剣客商売六 新妻 [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  鷲鼻の武士  品川お匙屋敷  川越中納言  新妻  金貸し幸右衛門  いのちの畳針  道場破り   解説 常磐新平     鷲鼻《わしばな》の武士      一  身長六尺に近い大きな体で、色白の、鼻すじの通った立派な顔の、髭《ひげ》の剃《そ》りあとが青々と冴《さ》えた三十三歳の剣客渡部甚之介《けんかくわたべじんのすけ》が、秋山小兵衛《あきやまこへえ》宅へあらわれると、 「あれ、色男が来ましたよう」  おはる[#「おはる」に傍点]が大声で、小兵衛に告げるのが例であった。 「だけど、あの色男の先生。もうすこし、目がぱっちり[#「ぱっちり」に傍点]していると、いいのだけれど……」  と、おはるが指摘するように、渡部甚之介の両眼《りょうめ》は、たれ下った瞼《まぶた》の中で、 「笑っているのだか、泣いているのだか……」  さっぱり、わからぬのである。  これは、道場で相手と木太刀《きだち》をまじえるときも同じで、相手は甚之介の眼光をはかりかねるところがあり、 「あの目も、ひとつの武芸といえましょうよ」  などと、小兵衛と親しい牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》が語ったこともある。  その日の昼下りに、 「ごめん下さい。近くまでまいりましたので、久しぶりに、お顔を見に立ち寄りました」  のっそり[#「のっそり」に傍点]と、隠宅へあらわれた渡部甚之介を、 「やあ、よくまいられたな」  にこやかに迎えた秋山小兵衛は、 (おや……?)  一瞬、得体の知れぬ何もの[#「何もの」に傍点]かを、甚之介に感じた。  甚之介の何処《どこ》に、何を感じたかというと、小兵衛自身にも、それは、よくわからなかった。  強《し》いていえば……それも、小兵衛流の表現でいうなら、 「こいつ。今日は、死神を背負《しょ》って来た……」  とでもいうより、いいようがなかったろう。  それは、この世に六十余年を生きて来て、剣客としては何度も生死の間を掻《か》い潜《くぐ》り、人間としても常人には量り知れぬ体験を経ている秋山小兵衛の感能があってこそ、嗅《か》ぎつけたものであろうか……。 「秋山先生。これを、めしあがって下さい」  と、甚之介が鱸《すずき》を二尾、竹の籠《かご》へ入れたのを差し出したものだから、小兵衛はいささかおどろいた。  その老いた夫のおどろきを、おはるは端的に口へのぼせた。 「あれ、渡部先生がおみやげを持って来るなんて、めずらしいよう」 「これ……」  小兵衛が、たしなめる間もなかった。  甚之介は、照れくさそうに、えりくびのあたりを掻き掻き、はずかしげに、もぐもぐと口をうごかしていたが、ややあって、 「秋山先生。よろしかったら、お相手を願えませぬか」 「ああ、よいとも。ちょうど退屈していたところだ」  何をするのかというと、将棋の相手をするのだ。  小兵衛は碁も好きだが、将棋もやる。  渡部甚之介は、碁がきらいだけれども、将棋を指すのなら、平生《へいぜい》の大食を忘れ、一日中、食をぬいても夢中になるほどであった。  小兵衛が甚之介を知ったのは、浅草の元鳥越《もととりごえ》に道場を構える牛堀九万之助が隠宅へ連れて来て引き合せたのがはじまりで、それは、もう二年ほど前のことになる。  そのときに、小兵衛の居間に置いてあった将棋盤を見て、渡部甚之介が感嘆の声をあげたものだ。  その盤は、小兵衛が出入りをしている備中《びっちゅう》・足守《あしもり》二万五千石の城主・木下肥後守《きのしたひごのかみ》から贈られたもので、いうまでもなく榧材《かやざい》の高級品であり、足の胴付には〔享保《きょうほう》十八年五月初代 町田平七〕と、盤師の名が刻んである。 「将棋が、お好きか?」 「はあ……」 「では、ひとつ、相手をさせてもらいましょうかな」 「願《ねご》うてもないことです」  というのが、はじまりで、以後は月に一度ほど、甚之介が隠宅へあらわれ、小兵衛と将棋を指し合うようになった。  このほうの二人の力量は、伯仲《はくちゅう》している。  だから、双方がおもしろい。  ことに甚之介は、いったん将棋盤に向うと無我夢中となり、前日の午後から指しはじめ、翌朝におよぶこともめずらしくない。この間、小兵衛は酒をのんだり、食事をとったりするが、甚之介は、 「いや、結構です」  と、盤面をにらみつけたままなのだ。  しかし、終ったのち、おはるが豆腐や野菜の煮染《にしめ》などを出そうものなら、大鉢《おおばち》のそれ[#「それ」に傍点]をぺろりと平らげた上、飯も六、七杯は食べ、 「ああ……よい気もちです」  子供に返ったような無邪気さで、細い眼をさらに細め、腹をたたきながら帰って行くのである。  その渡部甚之介が、今日は、小兵衛と将棋盤に向い合うや、 「秋山先生。本日は、三番かぎりといたします」  きっぱりと、いうではないか。 「ほう……何ぞ、急ぎの用でもおありか?」 「はあ……」 「三番では、おはるが煮染をつくる間とてないが……」 「いえ、本日は、結構です」  いつも口数のすくない男が、この日は、さらに、声を惜しんでいるかのようにおもえた。  甚之介は、黙々として将棋の駒《こま》をならべはじめた。  小兵衛も駒をならべながら、甚之介の右脇《みぎわき》に置いてある彼の大刀へ、ちらり[#「ちらり」に傍点]と視線を走らせた。  いつも、甚之介が腰に帯している大刀ではなかった。  鞘《さや》も黒、鍔《つば》も黒、柄糸《つかいと》も黒で、剛健な薩摩拵《さつまごしら》えの大刀なのである。 「では、わしから先《ま》ず……」  小兵衛は、こういって、飛車の頭の歩《ふ》を進めた。  どこかで、草雲雀《くさひばり》が透き通った可憐《かれん》な声で鳴いてい、庭の向うの葦《あし》の群れが微《かす》かにそよいでいる。  彼方《かなた》の大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)を行く舟の、艫《ろ》の音まで聞えてきそうな静けさであった。  はじめの一番は、小兵衛が勝った。  渡部甚之介の顔へ、わずかに血がのぼった。  つづいて、二番目。  またしても、小兵衛に凱歌《がいか》があがった。 「むう……」  と、甚之介が唸《うな》り声を発し、闘志をむき出しにして駒をならべはじめる。  その彼の顔や巨体から、 (や……死神が消えてしまったぞよ)  と、小兵衛は看《み》た。  ゆえに、最後の勝負へ、秋山小兵衛は全力をかたむけた。  どちらかといえば、小兵衛の駒の進め方は早い。医師・小川宗哲《おがわそうてつ》と碁をかこむときも同様であった。  ところが、いま、小兵衛は駒を一つ進めるたびに長考し、入念に闘いはじめている。  これに反して、いつもは長考する甚之介が苛立《いらだ》ち、小兵衛が駒から手をはなすのを待ち構えてでもいるかのように、すかさず、駒をすすめてくるのだ。  甚之介の顔面は紅潮している。よほど、今日は負けたくないらしい。  ……にもかかわらず、またしても彼は負けた。 「むう……」  甚之介が、駒をならべはじめた。  四番目の勝負をしようというのだ。彼は自分でいい出した「三番かぎり……」の約束を忘れてしまっているらしい。  だが、秋山小兵衛は、そのことを彼に注意せぬ。  四番目、またまた、小兵衛の勝ちである。 「う……こんな、はずはない……」  つぶやいた渡部甚之介は、まさに騎虎《きこ》の勢いというやつで、五番目の勝負をいどむ。小兵衛も無言で、これを受けた。  夕闇《ゆうやみ》が、淡くただよってきた。 (これは、長くなる……)  と看たおはるは、台所へ入って、甚之介が大好物の煮染の仕度に取りかかり、その庖丁《ほうちょう》の音が洩《も》れ聞えてくるというのに、甚之介は何《なに》も彼《か》も忘れきって将棋に没入している。 (ともかく、今日は、何か急ぎの事あって、三番かぎりで帰るつもりでいたらしい。それが一番も勝てぬため、ついつい、無我夢中となった……じゃが、そのために甚之介の死相が消えたというのなら、いくらでも相手になってやろう)  と、小兵衛は、こころを決めたのである。  五番目、六番目、いずれも小兵衛が勝った。  小兵衛自身にも、今日は何故《なぜ》、このように勝ちつづけることができたのか、ふしぎでならぬ。  七番目の勝負に負けたとき、渡部甚之介は、 「ああ……いかぬ。今日は、どうも妙な……」  いいさして、はっ[#「はっ」に傍点]となった。  すでに、行燈《あんどん》が灯《とも》っている。  外は、夜の闇であった。  そのことに彼は、はじめて気づいた。 「し、しまった……」  と一言。わしづかみに大刀をつかんで片ひざを立てた甚之介の顔色《がんしょく》が異常なまでに血の気を失っている。 「秋山先生。いま、何刻《なんどき》でしょう?」 「六ツ半(午後七時)ごろか、な……」 「むう……」  唇《くちびる》を噛《か》んだ渡部甚之介の両眼が、瞼の底からむき出され、 「先生。御免!!」  叫ぶや、外へ駆け出そうとするのへ、 「待て!!」  凛然《りんぜん》として小兵衛が、 「何処へ行く?」 「あ……」 「何処へ、何をしに行くのじゃ?」 「は、果し合いの時刻に、お、遅れてしまいました」 「何じゃと……」 「ああ、なんという……おれは、なんという奴《やつ》だ」  がっくりと肩を落し、巨体をすぼめた甚之介が、男泣きに泣きはじめたものである。  小兵衛は、しずかに「おはる。酒をもってまいれ」と、命じた。      二  この夜……。  秋山小兵衛は、渡部甚之介《わたべじんのすけ》をつれ、おはる[#「おはる」に傍点]に舟を出させて大川をわたり、橋場《はしば》の大治郎《だいじろう》宅へおもむいている。  しばらくして、おはると共に小兵衛は大治郎宅を出た。  渡部甚之介は、この夜、大治郎の家へ泊ったものとみてよいだろう。  舟へ乗る前に、 「ちょいと、不二楼《ふじろう》へ寄って行こう」  と、小兵衛がいい出し、なじみ[#「なじみ」に傍点]の料亭《りょうてい》〔不二楼〕へ立ち寄り、筆紙を借りて手紙をしたため、 「この手紙をな、四谷《よつや》の弥七《やしち》へとどけてくれぬか。すまぬが明日の朝、起きぬけに駆けつけてくれ。駕籠《かご》をたのんでくれてもよい」  不二楼の若い者へ、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]と共にわたした。  以前、隠宅が焼けたとき、小兵衛は一時、不二楼の離れ屋に暮していたことがあるし、その折、何度も四谷の御用聞き・弥七のもとへ使いに走ってくれた若い者は、万事のみこんでおり、 「大《おお》先生。暗いうちに起きて駆けつけます」  引きうけてくれた。  それから、おはるがあやつる舟で、小兵衛は隠宅へ帰って行ったのである。 「さ、おはる。明日は、いそがしくなりそうだぞ。早く寝よう、早く寝よう」  帰宅するや、二人は、すぐさま寝間へ入ってしまった。  だが、川向うの大治郎宅では、冷酒をくみかわしながら、大治郎と甚之介が語り合っている。 「私の父は、渡部|甚右衛門《じんえもん》と申し、上州|安中《あんなか》三万石・板倉家に仕えていたのですが、故《ゆえ》あって主家をはなれ、浪人となりました。さよう、私が八歳のときだったと申します」  と、甚之介が語るには、なんでも彼の父は、重役たちの汚職の責任《せめ》を負って、他《ほか》の二人の同僚と共に、安中藩を追放されたらしい。 「いろいろと深いわけがあったらしいのですが、父は母や私に、何も申しませぬでした。ともかく、主家を追い出されるときに、まとまった金が出たそうです」 「それは、板倉家から……?」 「さよう。してみれば父も、藩の公金に重役どもが手をつける、その手つだい[#「手つだい」に傍点]をしていたのかも知れませんな」 「なるほど……」 「とにかく、浪人になって、清々したと、父は、よく申しておりましたが……」 「ははあ……」 「江戸へ出て、本所《ほんじょ》の外れの柳島《やなぎしま》へ、小さな家を買い、親子三人で住みました。はあ、それが、いま、私がひとりで住んでいる家なのです」  渡部甚之介は、三十三歳になるが、妻も子もない。  父は、彼が二十五歳のときに亡《な》くなり、ついで、母も病歿《びょうぼつ》した。  そのとき、すでに、甚之介は一人前《ひとりまえ》の剣客《けんかく》になっていたのである。  いまは廃絶してしまっているが、当時、本所の石原町に牧山右平太という一刀流の剣客が道場を構えてい、甚之介は十歳の折に入門し、約十年を、たゆまずに精進したのであった。 「父も母も、お前のようなものに、よう剣術ができるものだ、などと、あきれていましたが……やはり、何といいますか、性に合っている。おぼえ[#「おぼえ」に傍点]も遅く、剣のすじもよくないのですが、どうしても、やめられなかった。叩《たた》かれても突かれても、怪我《けが》だらけになっても、道場へ通うのが、おもしろくてたまらない」 「なるほど」  これは、大治郎にも、おぼえがあることだ。  このことについては、筆や口にはいいつくせぬ。  ことに、少年のころから稽古《けいこ》をはじめた者には、理屈ではなく、わが手に木太刀《きだち》をつかみ、相手と闘うとき、おのれの若い肉体の感能の一つ一つが目ざめてきて、頭脳よりも先《ま》ず、肉体が納得してしまうのである。  そうした肉体を、生れながらにもっている者のみにしか、それは、わからぬことなのである。  けれども、剣客として大成するかせぬかは、別のことだ。  渡部甚之介の父は、小金を元手にして、金貸しのようなことをやっており、甚之介の将来についても、 「仕方もないことじゃ。好きなことをして生きるがよい」  そういってくれた。  父が遺《のこ》してくれた金で、甚之介は、いささかも暮しに困らず、剣術に没頭することができた。 「ですが、さほどの大金でもなし、そのうちに、心細いことになってきましてなあ。だが、よくしたもので、二年ほど前から、いささかながら、私の剣術も暮しの助けになってくれまして……」  と、語りながら甚之介は、おはるが二つの重箱につめてくれた煮染《にしめ》を、ぱくぱくと、たちまちに腹中へおさめてしまった。  小兵衛宅では、果し合いの時刻を忘れてしまった自分を責めて、生きた心地もしなかった甚之介が、このように平生の食欲を取りもどしたということは、小兵衛に何《なに》も彼《か》も打ちあけ、 「よし、よし。悪いようにはせぬ。何事も、わしにまかせておきなさい。そのかわり、わしのいうとおりにしてくれねば困る」  いいふくめられ、いくらか安心をしたからであろう。  二年前から、渡部甚之介は、自宅からも程近い小梅代地町《こうめだいちまち》にある、これも一刀流の黒田治兵衛《くろだじへえ》の道場へ出て行き、黒田先生の代稽古をつとめていた。  黒田治兵衛は、もう六十七歳の老齢で、病気がちで床へついていることが多い。老妻のたみ[#「たみ」に傍点]と二人暮しで、道場も小さなものだが、近辺の大名家の下屋敷にいる侍たちや、農家の子弟などの門人が、かなりいるのだ。  家が近いし、流儀も同じなので、甚之介は、十年も前から黒田道場へあらわれ、老先生のはなしを聞いたり、稽古をつけてもらったりしていた。  そこで、黒田治兵衛が、 「わしの代りをたのむ。わしも、こうなっては、間もなくあの世[#「あの世」に傍点]へ行くことになりそうだ。そうなったら、この道場をおぬしにあげよう。そのかわりといってはすまぬが、わしの古女房《ふるにょうぼ》の行末をたのむ」  と、いい出した。  行先のことはさておき、この老先生のたのみをことわるわけにはまいらぬし、ことわる理由もないので、甚之介は代稽古を引き受けた。  黒田治兵衛は、三月ごとに、金二両を甚之介へわたしてよこす。  これで、甚之介の暮しは充分に立つのである。      三  五日前の午後のことだが……。  いつものように黒田道場へ来ていた渡部甚之介《わたべじんのすけ》が、津軽家の下屋敷から通って来る門人ふたりに稽古《けいこ》をつけてやっていると、 「ごめん。一手、指南にあずかりたい」  こういって、三人の侍が道場へ入って来た。  二人は、小ざっぱりとした風体《ふうてい》ながら、あきらかに浪人であった。  一人は、立派な身なりをした三十前後の、たくましい体格のもちぬしである。  張り出した額の下に埋めこまれたような両眼《りょうめ》が炯々《けいけい》としており、鼻が高々とそびえ、その先が尖《とが》って曲っている。つまり、鷲《わし》のくちばし[#「くちばし」に傍点]のように見えるので、こうした形の鼻を鷲鼻などと人はいう。  腰に帯した大小の拵《こしら》えも贅沢《ぜいたく》なものだし、どこぞの大名の家来か、または幕臣か……ちょっと判断がつきかねるような侍なのだ。  というのは、立派な身分をもっている人物なら、浪人などを引きつれて町を歩くはずもないし、ましてや、藁屋根《わらやね》の古びた小さな黒田道場なぞへいきなり入って来て、立合いを申し込むようなまね[#「まね」に傍点]はすまい。 「当道場のあるじは病中で臥《ふ》せっている。ですから、お帰りをねがいたい」  と、甚之介はことわった。  すると、ふたりの浪人が、つかみかからんばかりの勢いで甚之介へ喰《く》ってかかった。 「あるじが病中ならば、おぬしでよい」 「もしも立合わぬときは、この道場に火をつけてしまうが、よいか」  などと、とんでもないことをいい出す。  これを鷲鼻[#「鷲鼻」に傍点]が、一言も口をきかず、両手をふところへ入れたまま、にたりにたり[#「にたりにたり」に傍点]とながめているのだ。  やむなく、甚之介が、 「では、私が、お相手をしよう」  と、いった。 「なあに、その浪人ふたりは何ともおもいませんでしたがね。鷲鼻の奴《やつ》が、どうにも気にかかりましてなあ。いや、見るからに凄味《すごみ》のある……立ちはだかった身の構えにも隙《すき》がなく、こいつを相手にするのでは、とてもいかぬとおもいました」  甚之介は、大治郎へそう語った。  しかし、先《ま》ず浪人ふたりが道場の木太刀をつかんで甚之介の前へ出て来た。  二人とも吐く息が臭い。酒をのんでいるのだ。  それでいて、道場破りをしようというのだから、よほどに自信があるのだろう。  三人は、門人に稽古をつけていた甚之介を、道場の窓の外から見ていたらしい。そして入って来た。目的は何であろう。おそらく、からかい半分の道場破りにちがいない、と、甚之介は看《み》た。 「黒田先生の道場を破ったところで、名誉にもならぬし、金にもなりませんからな」  であった。  ふたりの浪人は、かなり剣術をつかう。  しかし、大男でも、見るからに柔和な渡部甚之介を侮《あなど》りきっていたにちがいない。そうでなければ酒に酔っていながら立合いを挑《いど》むわけがない。  甚之介は、門人へ稽古をつけるときも、つとめてやわらかく教える。それでないと、近ごろの男どもは、 「強《きつ》すぎる」  といって、さっさと道場通いをやめてしまうからであった。 「そうなれば、黒田先生の医薬代にもさしさわりがありますし、私もその、暮しが立たなくなるというわけで……」  と、甚之介は、やや自嘲《じちょう》ぎみに大治郎へ語った。 「それで、どうなりました?」 「はあ。どうにか二人とも、打ち倒しました」 「それは当然。残る一人……その鷲鼻の侍は?」 「いや、それが、立合わぬのです」 「ほう……」  鷲鼻は、取り巻きの浪人ふたりが負けるのを見るや、にやりと笑い、無言のまま、悠然《ゆうぜん》と道場から去って行った。  浪人たちは、あわてて、その後を追って行ったという。 「いやあ、さすがに渡部先生だ」 「お強い、お強い」  ふたりの門人にほめそやされても、甚之介はよい気持になれなかった。 (あの鷲鼻は相当なやつだ。あいつに出て来られたら、とても勝てなかったろう)  と、おもわざるを得ない。  大身の旗本のような立派な風采《ふうさい》と、威圧的な風貌《ふうぼう》と、大男の自分を見下すかのようにおもえた堂々たる体躯《たいく》に、甚之介は、たしかに怯《おび》えていたといってよい。 「老先生には、今日のことを申してはなりません。御病気中のことだし、心配をかけてはならぬ」  甚之介は、ふたりの門人に堅く口どめをした。  そして、彼らを相手に闘ったことを、悔んでいた。何か不吉な予感がする。 (だが、ああするよりほかに、仕様がなかった……)  ともいえる。  甚之介が、あくまでも立合うことを拒んだなら、彼らが、どのような乱暴|狼藉《ろうぜき》をはたらいたか知れたものではない。それに、門人たちの前で甚之介が屈服すれば、そのうわさは、たちまちに近辺へひろまり、ひいては黒田|治兵衛《じへえ》の名を汚《けが》すことにもなる。また甚之介自身の、剣客としての誇りがゆるさなかった。  日が暮れてから甚之介は柳島の我が家へ帰った。  途中、じゅうぶんに気をつけたが、何事もなかった。  翌朝になったときは、もう、いつもの甚之介にもどり、顔を洗うと身仕度にかかった。このごろは道場へ行ってから、黒田治兵衛の老妻が仕度してくれる食事をとるのがならわしとなってしまっている。  家を出ようとすると、 「こちらは、渡部殿のお住居《すまい》か?」  声をかけて、いきなり庭へ入って来た者がいる。  浪人ではない。身なりも正しい若い侍であった。  彼は一通の書状を、甚之介へわたした。  これが、鷲鼻からの果し状だったのである。  たとえ、貴殿が辞退されようとも、かならず、 「斬《き》る!!」  と、鷲鼻は書きしたためている。 (あいつなら、やりかねまい)  甚之介は、覚悟をした。  たとえ、鷲鼻を自分が殪《たお》したにせよ、おそらく、鷲鼻につきそっている浪人どもに囲まれ、斬死をすることになるであろう。 「どうも、ちかごろは、老先生の代稽古をしながら、好きな酒をのんだり、将棋をさしたり、われから進んで、わが剣を磨《みが》くという気力もなくなってしまい、われながら、どうも、なさけなくおもっていたのです。なれば、この辺で、強い奴と斬り合い、死んでしまうのもよいとおもいました」 「で、その相手は、どこの何者……?」 「名は、津島玄蕃《つしまげんば》と書いてありました」 「聞いたことのない名ですな」 「さよう」  そこで甚之介が、 「津島殿は、いずこの御家中か?」  問いかけるや、使いの若侍がじろり[#「じろり」に傍点]と見返し、 「そのようなことは、果し合いに関《かか》わり合いのないこと。して、御承知下さったのですな?」 「いかにも」 「では、それでよろしい。約定《やくじょう》の日時をお忘れあるな」  もそもそと応対する渡部甚之介を軽侮の目で見て、さっさと引きあげて行った。  果し合いの場所は、押上《おしあげ》村の栄泉寺《えいせんじ》裏にある野原で、ここを土地《ところ》の人びとは〔狐《きつね》ヶ原《はら》〕とよんでいる。  時刻は、今日の暮六ツ(午後六時)。  それを渡部甚之介、小兵衛との将棋に夢中となり、うっかり忘れてしまったのだ。 「まったく、これでは、どうしようもない。私というやつは、もうだめ[#「だめ」に傍点]ですなあ。剣客《けんかく》としての値打ちは一文もない。これから、いったい、どうなることやら……」 「ま、父におまかせなさい」 「秋山先生は、うまく、相手にはなし[#「はなし」に傍点]をつけてくれましょうかな?」 「大丈夫でしょう」 「あらためて、今度は間ちがいなく、約定の日時に出て行き、鷲鼻の刀の錆《さび》になるつもりです」 「これはまた、早手まわしな……」 「ですが、相手の居所を、秋山先生はどのようにして……?」 「父のことです。何か考えているのでしょう。安心なさい」 「さ、さようですか、な……」 「酒は、まだあります。御遠慮なく……」 「かたじけない。よい酒ですなあ」 「父がくれました」 「よい父上ですなあ」 「はい」 「私の父も、秋山先生のように、やさしかったが……」 「そうでしたか……」 「うらやましい。あなたが……」  大治郎が、ふと見やると、甚之介のたれ下った瞼《まぶた》の下から泪《なみだ》が一すじ、かたちのよい鼻すじに沿ってながれた。 「そうだ。こんなになってしまっては、もういかん。一時も早く、亡《な》き父母のもとへ行きたくなってきた」  つぶやきながら、渡部甚之介は茶わん酒を水のようにのむ。  それでいて、きっちりとすわっている姿勢がすこしもくずれなかった。 「まったく、こんな世の中に、剣術をやってみても仕方がありませんなあ。つくづくと嫌《いや》になりました。ああ、もう私なぞ、早く死ぬがいい。それが、もっともよろしい」  大治郎は、微笑している。      四  翌朝。  四谷《よつや》の弥七《やしち》が、配下の徳次郎をつれ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ駆けつけて来た。二人とも朝飯を食べていなかった。不二楼《ふじろう》の若い者がとどけた小兵衛の手紙を見るや、すぐさま駆けつけたのであろう。  小兵衛は、二人と共に朝の膳《ぜん》に向いながら、何やら打ち合せをすませ、徳次郎だけをつれて、黒田治兵衛《くろだじへえ》の道場へ向った。  小兵衛と黒田は初対面であったが、黒田は剣客としての経歴が古いだけに、小兵衛の名をよく知っていた。  道場では、渡部甚之介《わたべじんのすけ》があらわれないので、十人ほどの門人たちが、入り乱れて稽古《けいこ》をしている。 「いや、実は昨夜、渡部殿が私のところへまいられ、いささか酒をのみすぎましてな。腹のぐあいが急に、悪うなりましたので、そのまま寝かせてあるのでござる。そのおわびに秋山小兵衛、こうしてまかり出ました」  小兵衛のていねいな挨拶《あいさつ》に、黒田治兵衛は恐縮した。  しばらくして、小兵衛は道場へあらわれ、片隅《かたすみ》にすわり、門人たちの稽古を見た。  黒田の老妻から、知り合いの老人が、ものめずらしげに見物に来た、というように門人たちへ通してもらったのである。  甚之介がいないものだから、昼近くなると、門人たちが帰ってしまい、小兵衛は、二間きりの母屋《おもや》へ行き、黒田の老妻の給仕で、徳次郎と共に、昼餉《ひるげ》を馳走《ちそう》になった。  食後、茶をのみながら、黒田治兵衛と昔ばなしをはじめたときである。 「ごめん。ごめん」  大声が、道場の方で聞えた。  小兵衛は黒田夫妻を目顔で制し、のこのこと道場へ出て行った。 「渡部甚之介は、おらぬか?」  すでに道場へ踏み込んでいた若い侍が怒鳴った。  こやつは、果し状を甚之介宅へとどけに来た侍だが、小兵衛は知らぬ。 「おりませぬよ」 「どこへ行った?」 「さて……」  若侍の背後の、道場の戸口には五人の浪人どもが押しならび、小兵衛をにらみつけていた。  いずれも、強そうに見える。 「爺《じじい》。おのれは何だ?」 「人の名を尋ねるときは、われから名乗るものじゃ」 「な、何だと……」 「用事を早く申せ」 「おのれ、ぶ、無礼な……」 「どっちが無礼じゃ。ことわりもなしに、土足で道場へ踏み込むとは言語道断。出て行け、気ちがい犬め」  低い声だが一語々々、相手の胸へ突き刺さるかのように、するどい。 「うぬ!!」  若侍が小兵衛へつかみかかったかとおもうと、どこをどうされたものか、 「ぎゃあっ……」  悲鳴を発し、道場の羽目へ叩《たた》きつけられていた。 「おのれ!!」  浪人のひとりが駆け入って来て、大刀の柄《つか》へ手をかけた、その顔面へ、いつの間につかんだものか、小兵衛の手から稽古用の木太刀《きだち》がうなり[#「うなり」に傍点]を生じて飛んだ。 「うわ……」  鼻柱を強打されて、鼻血だらけになってひざ[#「ひざ」に傍点]を突いた浪人のうしろから、どっと駆け込もうとする浪人どもへ、 「このわしを、だれだとおもうのじゃ。御老中・田沼主殿頭《たぬまとのものかみ》様の剣術指南役、秋山小兵衛と知ってのことか!!」  小兵衛が一気にいった。  ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と浪人どもが足をとめ、顔を見合せている。 (ほ、本当なのか……?)  本当なら大変なことだ。  まさか……と、おもっているのだろうけれど、いまの小兵衛の早業を見ているだけに、彼らは、あきらかに動揺したらしい。 「泡《あわ》を吹いて倒れている、そこの二人をつれて、早く帰れ。ばかものどもめ」  浪人どもが、もそもそとうごき出し、気をうしなっている若侍と浪人を引き起し、道場の外へ出て行った。  母屋にいた徳次郎は、早くも外へ出て、この様子を見ており、急ぎ足で引きあげて行く彼らの後をつけて行った。 (これでよし)  小兵衛は、母屋へもどり、 「実は、黒田殿……」  と、渡部甚之介の一件をすべて語った。 「おどろきましたな。そのようなことが、あったのでしたか……」  黒田治兵衛夫妻は、何も知らぬらしい。 「あなた方へ害を加えることはないとおもいますが、一時、私のところへでもおいでになりませぬか。すぐに駕籠《かご》をよばせにやりますが……」 「いや秋山うじ。大丈夫でござる。老いたりといえども黒田治兵衛……」 「いや、あなたは大丈夫であろうが……」 「いや、古女房《ふるにょうぼ》のことなれば御心配なく。なあに……」  と、黒田が窶《やつ》れた老顔をほころばせて、 「二人とも、逃げ道ぐらいは、わけもなくつけましょうよ」 「これは、どうも恐れ入った」 「ふ、ふふ……」 「では、これにて」 「渡部は、大丈夫でしょうかな?」 「せがれが、ついておりますよ」 「御子息にも、よろしゅうに……」 「はい、はい」 「それにしても、その相手は、いったい何者なのでござろう?」 「さて……間もなく判明いたしましょうよ」 「渡部がことを、何分にも、お願い申す。のんき[#「のんき」に傍点]者でござるが、私も女房も、息子のように可愛《かわゆ》くてなりませぬ。こんな、見すぼらしい道場ではござるが、甚之介なれば、何とかやって行けるのではないかと……」 「まことに、うってつけでござる」 「さように、おもわれますかな?」 「はい、はい」  老妻が、小兵衛へ、 「秋山先生。まことにもって御面倒ながら、これを甚之介どのへ、おわたし下されますまいか」  風呂敷《ふろしき》に包んだ、洗ったばかりの下着をさし出すのを、黒田が、 「これ、何を、そのように失礼なことを……」  あわてていい出た。 「なに、かまいませぬ。たしかにあずかりました」  小兵衛は風呂敷包みを受け取り、老妻のたみ[#「たみ」に傍点]へ笑いかけた。  童女のように小柄《こがら》な、まことに愛らしい老妻なのである。  おそらく、七十に近い年齢に達しているのであろう。  小兵衛は、この老剣客夫妻と渡部甚之介との取り合せが、 (ひどく、気に入った……)  のであった。      五  青山の外れに、安芸《あき》・広島四十二万六千石、松平(浅野)安芸守重晟《あきのかみしげあきら》の下屋敷がある。  正規の官邸ともいうべき上屋敷は霞《かすみ》ヶ関《せき》にあって、別邸は青山の外に、三ヵ所もある。  その中でも、青山の下屋敷は広大なもので、邸内の鬱蒼《うっそう》たる樹林が、青山通りに面した百人町の善光寺の背後にのぞまれた。  この下屋敷は、幕府から敷地を賜わり、塀《へい》をめぐらし、中に御殿も建ててはあるが、平常は、ほとんど使用されない。  別邸を使うときは、もっぱら、赤坂や築地《つきじ》の下屋敷が用いられ、現藩主・安芸守重晟も、少年のころに二、三度来たきりで、父・宗恒《むねつね》の跡を襲い、藩主の座に就いてからは、一度も青山邸へあらわれたことがないそうな。  屋敷をまもる家来たちの数も少なく、大名の下屋敷といえば、中間《ちゅうげん》部屋の博奕《ばくち》がさかんなものだが、ここには、その気配もない。  だが、今年の春ごろから、 「松平様の御下屋敷へ、人の出入りが多くなったような……」  などと、青山の町の人びとや、近辺の百姓たちの口にのぼるようになっている。 「妙なことよ……」 「何が?」 「松平様の御家来衆ともおもえぬさむらい[#「さむらい」に傍点]が、出たり入ったりしているらしい」 「では、浪人のような?」 「そうらしい」  そんなうわさ[#「うわさ」に傍点]も、きこえているようだ。  さて……。  秋山小兵衛が、黒田道場へあらわれた浪人どもを追いはらった、そのつぎの日の夜のことだが……。  青山の、松平安芸守下屋敷の御殿の奥庭に面した広間で、酒宴がおこなわれている。  正面に、ゆったりとすわっているのが、かの鷲鼻《わしばな》であった。  津島玄蕃《つしまげんば》と名乗った、この侍には、まるで殿様が下屋敷へあらわれて休息をしているかのような落ち着きがある。  その前に、前日、黒田道場へあらわれた浪人五人がならんでおり、津島玄蕃につきそっている若侍は、小兵衛に道場の羽目へ叩《たた》きつけられた男だ。  いま一人、これは、いかにも武芸者で、総髪《そうがみ》の四十男が羽織・袴《はかま》でひかえている。  この男は、渋谷《しぶや》村の道玄坂に、中条流の道場を構えている井川吉郎《いがわきつろう》という剣客《けんかく》であった。  みごとな顎鬚《あごひげ》をたくわえてい、見たところは、いかにも強そうだ。  五人の浪人たちは、井川道場へ出入りしている者らしい。 「いまも申したごとく……」  と、津島玄蕃がいった。  物凄《ものすさ》まじい風貌《ふうぼう》とは別人のような、笛の音色が狂っているような声なのである。 「われは、安芸広島四十二万石の当主ともなるべき身じゃ。故《ゆえ》あって、かように逼塞《ひっそく》いたしておるが、機会《とき》来たらば、四十二万石を我が手につかみ取ることも夢ではない。わかるか、わかっておろうな、井川」  鷲鼻をうごめかせていう玄蕃に、井川吉郎は両手をつかえ、 「昨日は、それがしが出向くべきでござりました」 「何故、出向かぬ?」 「まさかに、あのようなことが起ろうとは……」 「その、秋山なんとやら申す老いぼれを、そのほうは存じおるのか?」 「いえ、存じませぬ」 「聞けば、六十がらみの老いぼれだと申すではないか。そのような者に、そのほうの門人が、さんざんな目にあわされ、引きあげてまいったとは何たることか……」 「はっ。申しわけもござりませぬ」 「先般も、そのほうの門人ふたりをつれ、亀戸天神《かめいどてんじん》へ参詣《さんけい》しての帰るさ、かの道場の前を通りかかり、そのほうの門人どもに腕だめしをさせんとおもい、立ち向わせたるところ、代稽古《だいげいこ》の渡部《わたべ》なにがしに打ち負かされ……」 「いえ……なればこそ、貴方《あなた》様が渡部へ差しつかわされました果し合いの当日には、それがしがまいって、渡部|甚之介《じんのすけ》を一刀両断にいたすつもりでござりました」 「わしも一矢《ひとや》で、渡部を射止めてくれようとおもっていた。なれど、渡部は姿を見せぬ」 「まさかに……逃ぐるとはおもいませなんだ」 「これ、みなの者も、よう聞け」  と、津島玄蕃は、一同を見まわし、 「たかが、草深い本所《ほんじょ》の外れの、吹けば飛ぶがごとき道場の者に、このような恥辱を受けたのでは、もはや、われらの頼みにはならぬ。おのれたちのような者では、われらのちから[#「ちから」に傍点]にはなるまい」 「いや、しばらく……」  と、井川吉郎が必死の面持《おももち》で、 「秋山小兵衛も渡部甚之介も、かならず討ち果してごらんに入れまする」 「まことか?」 「武士に二言《にごん》はござりませぬ」 「いつまでに、彼らの首を討つか?」 「さよう……三日ほど、お待ち下さいますよう」 「三日じゃな」 「はっ」 「よし。その老いぼれが、まことに老中・田沼|意次《おきつぐ》のもとへ出入りをしておるとなれば、捨ててはおけぬ。一日も早《はよ》う始末をしてしまうがよい」  と、鷲鼻が、件《くだん》の若侍に、 「数馬《かずま》……」  よびかけて、目顔でうなずいて見せる。  若侍は広間を出て行き、やがて、もどって来た。  袱紗《ふくさ》に包まれた金五十両を、若侍が井川吉郎の前へ置いた。 「これ、井川」 「はっ」 「その金で、人数をそろえよ」 「かたじけのうござります」 「仕損ずるなよ」 「誓って……」 「これは、松平安芸守の……いや、身どもが弟の体面にもかかわることじゃ」  と、鷲鼻がいう。  津島玄蕃という、この人物は、広島四十二万石の大守・松平安芸守重晟の兄だ、と、いったのである。 (まさか……?)  と、広間の縁の下に潜んで、彼らの声を聞いていた傘《かさ》屋の徳次郎は、 (そんなこと、あるはずがねえ……)  おもったが、しかし、現に、津島玄蕃は、松平家・下屋敷に主人顔でおさまり、酒肴《しゅこう》の仕度をさせ、威張っているのである。  下屋敷に詰めている家来たちも、これを承知しているのだ。  それから、しばらくして、徳次郎は下屋敷の塀を乗り越え、外へ出た。  ほとんど、邸内の警備はなく、入るにも出るにも、四谷《よつや》の弥七《やしち》の下っ引をつとめて、江戸の御用聞きの間でも、 「弥七どんについている傘徳は、大した男だ」  と、評判をされている徳次郎にとっては、 (まるで、気がぬけてしまうほど……)  に、たやすいことだったのである。  夜ふけではあったが、新宿の我が家へ帰ることも忘れ、徳次郎は、まっしぐらに秋山小兵衛の隠宅へ駆けつけて行った。      六  つぎの日の夜ふけであった。  渋谷《しぶや》・道玄坂の井川道場の母屋《おもや》で、主《あるじ》の井川|吉郎《きつろう》が、妾《めかけ》のおきね[#「おきね」に傍点]を相手に酒をのみ、したたかにたわむれ、ねむりこけていた。  夕暮れから降り出した雨が、奥の寝間に大の字なりに寝た井川の鼾声《かんせい》を消してしまうほどに強くなってきた。  当時の渋谷は、江戸の郊外である。  町方の支配になってはいるが、坂の両側のところどころに百姓家があるだけで、井川道場も、こうした農家を改造したものだ。  井川は、三年ほど前に、此処《ここ》へ道場を構えたが、近ごろは、門人というよりも、妙な浪人どもが入れかわり立ちかわりあらわれては、酒をあおり、博奕《ばくち》をしたり、いかがわしい女を引き入れたりしている。  井川吉郎が妾にしているのも、近くの村の後家だった女だそうな。  浅ぐろい腕も胸も腰も、たくましくふとく、剣術で鍛えた井川の体にくらべても遜色《そんしょく》がないおきねが、ほとんど丸裸で、井川の腕を枕《まくら》にねむっている。  せまい寝間に酒の匂《にお》いがむれこもってい、二人とも掛蒲団《かけぶとん》をはねのけてしまっているのは、暑くてたまらぬからだ。  雨は降っているけれども、秋とはおもえぬ温気《うんき》なのである。  みごとにもりあがったおきねの乳房が汗にねっとりと光ってい、行燈《あんどん》の灯影《ほかげ》にゆっくりと呼吸をしていた。  十坪ほどの道場には、先夜、松平下屋敷にいた五人の浪人が、これも、したたかに酒をのみ、ねむりこんでいる。  明日の午後には、このほかに約十二名の浪人が道場へあつまり、井川吉郎の指図を受け、二人ずつ、道場を出て浅草へ向うことになっていた。夜ふけまでに全員が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛宅を包囲し、未明に襲撃する手筈《てはず》がととのえられた。  小兵衛が黒田治兵衛《くろだじへえ》の道場を出て帰るのを、先に痛めつけられ、逃げ去った浪人どものうちの二人が尾行し、隠宅をつきとめていたのだ。  昨日も、彼らは小兵衛の隠宅をひそかに見張っており、小兵衛がおはる[#「おはる」に傍点]を関屋村の実家へやったあとで、ひとり隠宅を出て、神田橋《かんだばし》門内の田沼|主殿頭《とのものかみ》邸へ入ったのを見とどけた。 「まさかとおもっていたが……やはり田沼老中の屋敷へ出入りをしていたのか」  と、井川吉郎はおどろいて、すぐさま、青山の松平下屋敷へ津島|玄蕃《げんば》を訪ね、このことを報告したのである。 「むうん……」  微《かす》かにうなって、おきねが身を捩《よじ》り、井川吉郎の体毛が密生した胸板へ顔をのせたときであった。  音もなく、寝間の襖《ふすま》が開き、小さな人影が入って来た。  秋山小兵衛である。  小兵衛は着ながしの裾《すそ》をからげ、脇差《わきざし》一つを腰に帯びているのみだ。  するすると近寄り、井川の枕をぽん[#「ぽん」に傍点]と蹴《け》った。 「あ……」  さすがに、そこは、井川も剣客だ。  ぱっとはね起き、枕もとの大刀をつかみざま、 「だれだ!!」  振り向いた脳天を、小兵衛が手刀《てがたな》で撃った。 「う……」  目がくらみ、倒れかかり、それでも必死に刀を引き抜こうとする井川吉郎の右腕をつかんだ小兵衛が、 「む!!」  腹の底で気合を発したかとおもうと、異様な、なんともいえぬ不気味な音がした。  同時に、井川が絶叫した。  利腕《ききうで》の骨を折られたのである。  寝ぼけ眼で飛び起きたおきねが、 「きゃあっ……だれか、だれか来て下さいよう」  悲鳴を発して寝間を転げ出て、道場にねむっている浪人どもへ救いをもとめに走った。  そのとき、道場でも凄《すさ》まじい物音が起っていた。  突如、道場へ侵入して来た男が五人の浪人を叩《たた》き起し、片端から棍棒《こんぼう》のような物で打ち据《す》えはじめたのだ。 「うわ……」 「く、曲者《くせもの》だあ」 「油断するな!!」  いいかわすのも、叫ぶのも、一瞬のことであった。  この曲者と共に侵入した二人の男が龕燈《がんどう》の灯《あか》りを浪人どもへ集中し、あわてふためく彼らの急所を、曲者の棍棒が容赦なく見舞った。  この曲者、秋山大治郎である。  龕燈を持った二人の男は、四谷《よつや》の弥七《やしち》と徳次郎なのだ。 「あれえ……」  おきねは、雨戸を引き開けて、外へ逃げようとした。  それへ、四谷の弥七が走り寄って、当身をくらわせた。 「おのれ!!」  辛うじて大刀を抜くことを得た浪人が大治郎めがけて切り込むのを、 「鋭!!」  はじめて大治郎は気合を発し、棍棒で相手の刀をはね[#「はね」に傍点]飛ばし、そのまま、ぐいと突きを入れた。 「ぐ、ぐう……」  浪人は胸を押えて、崩れ倒れる。  あとの四人は、いずれも大治郎の棍棒を受け、気をうしなっている。 「おお、片づいたようじゃな」  と、そこへ、小兵衛があらわれた。 「父上のほうは……?」 「腕一本、へし[#「へし」に傍点]折ってくれたわえ。これで井川吉郎も悪さ[#「悪さ」に傍点]が出来なくなろうよ」 「大先生。これから、どういたします?」  と、弥七。 「そうさな。みんな、縛りあげ、猿轡《さるぐつわ》でも噛《か》ませて、奥の一間へ一緒にぶちこんでおこうかな」 「それから、どうなさいます?」  と、大治郎が尋ねた。 「万事は、明日のことよ」      七  翌朝は、からり[#「からり」に傍点]と晴れあがった。  昨日の温気《うんき》が嘘《うそ》のようにさわやかな朝で、冷気をふくんだ雨後の微風がながれている。  昼すぎになってから、松平下屋敷の裏門へ、見るからに剣客らしい若者があらわれ、門番の足軽に、 「道玄坂の井川道場からまいった。これは井川先生の御手紙でござる」  にこやかに笑いかけながら、一通の手紙を差し出した。  これは、津島玄蕃《つしまげんば》へあてたものだ。  門番は若者を門内に設けられた供待《ともまち》の腰掛へ待たせておき、手紙を奥へ取りついだ。  玄蕃は、奥庭で弓を引いていた。  井上|数馬《かずま》のほかに、二人の家来がつきそっている。  玄蕃の弓術は相当のものだ。深い木立を背にして設けられた的を、適確に射つづけている。  そこへ、手紙がとどけられた。  文面は、およそ、次のごとくだ。 「……いよいよ、明朝未明に、秋山小兵衛を仕止めまするが、屈強の者が二十名ほどあつまりましたので、その者たちの手錬《しゅれん》の程を道場において、お見せいたしたく存じます。この手紙をもたせました男も奥山念流の達者にござります」  津島玄蕃は、手紙を一読するや、井上数馬へ、 「使いの者は帰してよい。すぐにあとから道場へまいる、と、つたえい」  と、いった。  半刻《はんとき》(一時間)ほどして、編笠《あみがさ》をかぶった津島玄蕃が、井上数馬ひとりを供に、下屋敷を出た。  これを見送った松平家の士《もの》は、何やら苦い顔つきになっている。あきらかに、彼らは不快の表情を浮べていたのだ。これは、いったい、どうしたことなのか……。  玄蕃は、畑の中の道を道玄坂へ向いつつ、 「井川の使いの者とは、どのような男であった?」 「見るからに筋骨たくましく、たのもしげなる剣客でございました」 「ほう、さようか。ふむ、ふむ……」  満足そうにうなずきつつ、 「わしの弓矢で仕とめてしまえば、わけもないことなのだが……」  と、玄蕃がいいかけるのへ、井上が忠義顔に、 「それにしても、秋山小兵衛なるものが、まことに田沼様へ御出入りの身なのでございましょうか?」 「田沼屋敷へおもむいたというではないか」 「はい。もしや、先日|来《らい》のことが、御老中の耳へでもとどくようなことになりますと、御本家にも、さしさわりが……」 「申すな。なればこそ、小兵衛めを討って取るのじゃ」 「はい……」 「それに、わしが……この津島玄蕃が、広島の松平家の血すじを引く者とは、江戸では、まだ、だれも知らぬわ。安心いたせ」  ふと立ちどまった玄蕃が、秋晴れの空を編笠の内から仰ぎ見て、 「数馬。広島へ帰りたいのう」  しみじみという。 「お察し申しあげまする。いま、すこし御辛抱なされませ。あと半年もいたしますれば、かならず……」 「半年か……長いのう……」 「すでに、半年を御辛抱なされたではございませんか」 「江戸には妻もおらぬ。わが子もいない。家来も、お前たち三人のみじゃ」 「御辛抱なされませ、御辛抱を……」  間もなく、二人は道玄坂へかかった。  牛車をひいた百姓や、旅人が坂を上ったり下ったりしている。  坂の途中を左へ切れこみ、しばらく行くと、畑をへだてた向うに井川|吉郎《きつろう》の道場が見えた。  道場の前に、先刻、下屋敷へ使いに来た若い剣客が立ってい、近づいて行く津島主従へ、ていねいに頭を下げ、 「みなみな、お待ちいたしております」  と、いった。  この剣客、秋山大治郎である。  むろん、二人はそれ[#「それ」に傍点]と知らず、大治郎がみちびくままに道場へ入った。 (や……?)  不審げに、津島玄蕃が井上数馬をかえり見た。数馬も腑《ふ》に落ちぬ顔つきになっている。  道場には、だれもいないではないか。二十名の浪人どころか、井川吉郎の顔も見えぬ。  大治郎が、しずかに戸を閉めたとき、正面の見所《けんぞ》へ、小柄《こがら》な老人と立派な体格の侍が出て来た。 「あっ……」 「おのれは……」  津島主従が同時に、おどろきの声をあげた。  この二人は、秋山小兵衛と渡部甚之介《わたべじんのすけ》である。  井上数馬が、それでも主人をかばうかたちを見せ、大刀の柄《つか》へ手をかける側面へ、音もなく近寄った秋山大治郎が拳《こぶし》を突き出した。 「う……」  当て落されて、ぐったりとなる井上を大治郎が抱きとめたとき、 「津島玄蕃殿とやら、いまこそ、おのぞみの真剣勝負を、なさるがよい」  秋山小兵衛が、こういって、渡部甚之介を目顔でうながした。  甚之介は襷《たすき》をかけ、大刀を左手に提げ、道場へ下り立った。  玄蕃は、茫然《ぼうぜん》としている。 「さ、御用意を……」  小兵衛がうながした。  しかし、玄蕃は口の中で何やらぼそぼそ[#「ぼそぼそ」に傍点]とつぶやきながら、立ちつくしたままだ。  玄蕃の顔色は、一変していた。  前に、黒田道場へあらわれて、甚之介を圧倒した威風は何処《どこ》にもない。  鷲鼻《わしばな》が青ぐろくなり、ひくひくと、ふるえている。  渡部甚之介も、意外におもったろう。  玄蕃は弓術に長じていても、剣術のほうは自信がないらしい。相手が弱味を見せたり、またはこちらに多勢の味方がいるときは、玄蕃も、その魁偉《かいい》な風貌《ふうぼう》に物をいわせる[#「いわせる」に傍点]ことができるが、取り囲まれて、たった一人で敵に立ち向うとなると、まるで人がちがったような怯《おび》え方なのである。  それに玄蕃は、甚之介の手錬の程を、わが目に見ているのだから、尚更《なおさら》であった。 (なあんだ。こんなやつだったのか……)  と、渡部甚之介は、しだいに落ちついてきた。 「両人とも、刀を抜かれい!!」  突如、秋山小兵衛が大音声《だいおんじょう》をあげた。 「応!!」  こたえて甚之介が、ぎらりと大刀を抜きはなった。 「ぶ、ぶれいもの……」  と、津島玄蕃は、ふるえ声でいうのがようやくのことで、よろめくように身を返すと、家来の井上数馬をも放り捨てたまま、大きな体を戸口へ打ち当てるようにして、外へころげ出て行った。 「待てい!!」  いまは元気にみちみちた渡部甚之介が、追いかけようとするのへ、 「かまうな。この家来さえ捕まえておけばよいわ」  と、小兵衛がいった。      八  それから、十日ほどたった或《あ》る日の夕暮れに、津島|玄蕃《げんば》は、ふたりの家来の給仕で、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に向っていた。  立派な什器《じゅうき》にもりつけられた料理が、二つの膳の上にならんでい、玄蕃は家来の酌《しゃく》で酒をのみはじめている。  井上|数馬《かずま》は、まだ、下屋敷へもどっていない。  秋山小兵衛によって、井上数馬は井川|吉郎《きつろう》と共に、幕府の評定所《ひょうじょうしょ》へ突き出され、取調べを受けているらしい。  他《ほか》の浪人剣客どもは、町奉行所の調べをうけ、牢獄《ろうごく》へ押し込められてしまった。  いま、青山の下屋敷は、松平藩士によって厳重に警備され、外から入ることもできぬし、津島玄蕃も御殿の一画から一歩も出られぬことになった。  庭先にも、絶えず、警戒の藩士がひかえているのだ。  たてつづけに盃《さかずき》をほした津島玄蕃が、 「むう……おもしろうないことよ」  いまいましげにつぶやいたかとおもうと、急に、顔を顰《しか》めた。  つぎの瞬間、玄蕃の手から盃が膳の上へ落ち、音をたてた。 「いかがなされました?」  家来が、玄蕃の顔をうかがったとき、にわかに色をうしなった玄蕃が、胸を掻《か》きむしるようにして、 「ど、毒……」  と、いった。  つぎの瞬間、がっ[#「がっ」に傍点]と、おびただしい血を吐き、膳の上へのめりこむように津島玄蕃が倒れた。 「ああっ……」  おどろいた家来たちが、狼狽《ろうばい》し、あわてふためき、 「お出合い下され」  一人が小廊下へ走り出たとき、そこに、いつの間に来ていたのか、上屋敷から派遣されている藩士四名が、いきなり、家来を斬《き》り殪《たお》すと共に、座敷へ躍りこみ、津島玄蕃の介抱をしている、いま一人の家来の背後から襲いかかった。  ちょうど、そのころ……。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅では、秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》が酒をくみかわしていた。  開けはなった縁側の向うの庭に、虫の声がしている。  台所では、おはる[#「おはる」に傍点]が蕎麦《そば》を打っているらしい。  夕闇《ゆうやみ》は、夜のそれ[#「それ」に傍点]に変りつつあった。 「津島玄蕃というのはな、いまの松平|安芸守《あきのかみ》の父君が、むかし、どこぞの女に生ませた子らしい。今日、田沼様にお目にかかって、いささか、耳にしたのじゃよ」  と、小兵衛が、 「いえば、いまの殿様の腹ちがいの兄ということになる。いまの殿様も妾腹《しょうふく》だというのに、玄蕃が松平|侯《こう》の血すじを引いた男であることを、みとめられなかったというのは、おそらく、玄蕃を生んだ母親の身分が、ずいぶんと低かったのであろうか……いずれにしても、大名のすることは勝手なものじゃ」 「それで、玄蕃は、松平様の御家来になったというわけで……?」 「そうさ。国もとで七百石をもらい、妻も子もいるそうじゃが……なんといっても、あのような男になってしもうたのだから仕方がない。去年な、広島城下で、罪もない町人たちを三人も、弓矢で射殺《いころ》したそうな」 「へえ……そいつは、まあ、ひどいことを……」 「その前にも、ずいぶん乱行の事があったらしい。玄蕃の肚《はら》の底には、いつも、自分が殿様の血すじを引いているというおもいが、わだかまっている。その鬱憤《うっぷん》が折にふれて狂い出てまいるのじゃな」 「ははあ……」 「国もとでの評判が大きくなったので、ひと先《ま》ず、江戸へ移した。ところが玄蕃、尚更《なおさら》にひどくなり、近辺の無頼|剣客《けんかく》どもを手なずけたりして、江戸市中をうろつきまわり出したというわけさ」 「ですが大先生。この始末は、どうなるので?」 「わからぬな。幕府《こうぎ》から松平家へ、何とか通達があろうよ。それによって、松平家でも、しかるべく、津島玄蕃を始末することだろう」 「しかるべく……?」 「そうさ。上《うえ》つ方《がた》のすることは、みんな、しかるべく[#「しかるべく」に傍点]さ。あは、はは……ときに、弥七。さすがに津島玄蕃、威張っているときの血すじは争われぬな。渡部甚之介《わたべじんのすけ》が、はじめは、あの鷲っ鼻を見て、ふるえあがったというからのう」  そこへ、おはるが蕎麦を運んで来た。  二人が蕎麦を食べはじめたとき、渡部甚之介が柄樽《えだる》の酒を持ってあらわれた。 「ちょうどよい。いっしょに、蕎麦をどうじゃ」 「いただきます」 「おぬし、いま、黒田|治兵衛《じへえ》殿の道場で暮していると、な……」 「はい。自分の家を売り払いました」 「ほう」 「その金で、黒田道場を建て直します。大したことはできませぬが、道場の根太《ねだ》が、すっかりゆるんでおりますので」 「それは、それは、結構なことじゃ。黒田さんもよろこばれたろう」 「はい。この酒は、黒田先生から、秋山先生へさしあげるように、申しつかりました」 「ありがとうよ。よろしくおつたえしてくれ」 「申しつたえます」 「では、いよいよ、黒田道場を引き受ける決心なのじゃな?」 「はい」 「これからは黒田さん夫婦を、わが父母とおもうがよろしかろう」 「道場を引き受けるこころになりましたら、私も何やら、そんな気がいたしましてな」  と、渡部甚之介は、たれ下った瞼《まぶた》を小指で掻いた。  これで、彼が照れくさそうにしていることが、よくわかるのである。  蕎麦を食べ終って、秋山小兵衛が、 「さて、渡部さん。一番やろうかね」  いうや、すかさずに、おはるが将棋盤を運んで来た。 「う……」  と、甚之介が、あわてて庭へ飛び下りた。 「どうなさいました?」  と、四谷の弥七が尋《き》いた。 「いや、もう、ふっつりとやめました」 「将棋をかえ?」 「秋山先生。私も、大した腕前ではありませんが、これからは、まあ、その、あんな貧乏道場でも、一国一城のあるじとなります」 「さようさ」 「ですから、二度と、あの折のような失態をくりかえしたくはありませぬ」 「なるほど、そうか……」 「おゆるし下さい」 「よいとも。うれしいこころがけだ。さ、おあがり。もうすこし、三人でのもうではないか」  おはるが傍から口をそえた。 「渡部先生。昨日つくった煮染《にしめ》が、まだ、ひとかたけ[#「ひとかたけ」に傍点]残っていますよう」  渡部甚之介が、のこのこと座敷へあがって来た。  月が出たようだ。  大川《おおかわ》から、船頭が唄《うた》う舟唄が風に乗って、跡切《とぎ》れ跡切れにきこえている。     品川お匙屋敷《さじやしき》      一  ちかごろの佐々木三冬《ささきみふゆ》は、父・田沼意次《たぬまおきつぐ》の上屋敷へ滞留することが多く、 「お嬢さまは、この老いぼれが嫌《きら》いになったのでござりましょうよ」  と、根岸の寮(別荘)で留守居をしている老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》が、和泉屋《いずみや》方へあらわれて、大いに、 「零《こぼ》した……」  そうである。  下谷《したや》・五条天神門前にある書物問屋〔和泉屋〕は、三冬の生母おひろ[#「おひろ」に傍点]の実家であり、当主の吉右衛門《きちえもん》は、三冬の伯父にあたる。  三冬は妾腹《しょうふく》の生れだけに、母|亡《な》きのちは、田沼の家臣・佐々木又右衛門《ささきまたえもん》の養女とされたが、のちに田沼夫人の怒りも解けて、江戸へ呼びもどされた。  しかし、三冬は、実父の田沼をうらみ、生母の実家・和泉屋の寮で、老僕と共に暮らしつつ、井関道場へ通いつめ、 「何《なに》も彼《か》も、哀《かな》しいことを、いっさい忘れよう……」  として、少女のころから、剣術へ熱中したのであった。 「いや、嘉助さんや。ちかごろの三冬さまは、伯父の、私の顔も忘れてしまったらしい」  和泉屋吉右衛門は、そういって嘉助をなぐさめた。 「さようで。こちらへも、お見えになりませぬか?」 「ここへ見えたなら、そちらへもまいられよう。ここから根岸は目と鼻の先じゃ」 「そりゃ、まあ、そうでございますねえ」 「ちかごろは、ずっと、御上屋敷においでなさるようだよ」  と、和泉屋は、わが血を引いた姪《めい》ながら、老中・田沼意次の子でもある佐々木三冬へ対し、敬った言葉づかいをくずそうとはせぬ。 「いったい、何でまた、そんなに御上屋敷がいいのでござりましょうかね?」 「御屋敷内へ、田沼様がお設けになった道場で、稽古《けいこ》がさかんらしい。ほれ、お前さんも知っている秋山の若先生が、時折、お見えになり、そりゃもう、ずいぶんと激しい稽古をなさるそうな。それで三冬さまも、おもしろくてたまらないのじゃないか」 「こっちは、さっぱり、おもしろくありませぬ」 「よし、よし。それでは、二、三日中に、私が御屋敷へ行き、様子を見て来よう。ちょうど、お納めする書籍《ほん》もあるので、な」 「よろしく、おねがい申します」  さびしげな嘉助の老顔が、いくらか救われたようになり、根岸へ帰って行った。  それから半刻《はんとき》ほどのちになって、 「伯父さま、無沙汰《ぶさた》をつかまつりました」  佐々木三冬が、颯爽《さっそう》と和泉屋へあらわれた。  例のごとき若衆髷《わかしゅわげ》の男装で、紅藤色《べにふじいろ》の小袖《こそで》に茶宇縞《ちゃうじま》の袴《はかま》。四つ目|結《ゆい》の紋をつけた黒縮緬《くろちりめん》の羽織。細身の大小を腰に、絹緒の草履《ぞうり》という姿《いでたち》なのだが、 (おや……?)  奥の間へ招じ入れながら、和泉屋吉右衛門は、これまでの三冬にはなかったものが、その容姿に感じられ、 (三冬さまは、どこか、お変りになったような……?)  どこが、どのように変ったかといわれれば、和泉屋も即座にこたえかねたろうが、強《し》いていえば、以前の三冬は、わが姪ながら、 (男か女か、わからぬような……)  おもいがしたものだ。  それが今日は、両刀を帯していささかもたじろがぬ、身についた男装でいながら、まぎれもなく三冬に若い女を感じたといったらよいであろう。  以前ならば、日暮れも近い時刻だし、 「伯父さま、伯母さま、お腹《なか》が空《す》きました」  と、夕飯のさいそくをし、臆面《おくめん》もなくぱくぱく[#「ぱくぱく」に傍点]と、御飯を三杯もおかわりをする三冬なのだが、吉右衛門から嘉助のことを聞くや、 「さようでしたか……それは、嘉助にも、すまぬことをいたしました」  やさしげな口調でいい、 「今夜は根岸へ泊りまする。明日、帰りがけに、また、立ち寄らせていただきます」  すぐさま、腰をあげ、辞去して行ったのを見送り、和泉屋吉右衛門が妻のお栄《えい》に、 「見たか、三冬さまを……」 「どうか、なさいましたか?」 「いや……きれいになられた、と、おもわないか?」 「そういえば……はい……」 「まさかに、好きな男ができたわけでもあるまいが……」  いいさした吉右衛門が「あ……」と、口を開けたまま、うなずいた。 「どうなさいました?」 「うんにゃ、なんでもない……」  このとき、吉右衛門の脳裡《のうり》に浮んだのは、ほかならぬ秋山大治郎《あきやまだいじろう》の顔だったのである。 (そ、そうか……秋山の若先生が、三冬さまの……)  そのころ、佐々木三冬は、上野山下から車坂の通りへ出ている。  切り立った上野の山を左に見ながら、三冬は奥州街道《おうしゅうかいどう》へつらなる往還をすすみ、坂本二丁目と三丁目の境の小道を左へ曲った。  にぎやかな通りを切れこむと、淡い夕闇《ゆうやみ》がたちこめている道には、人影も絶えていた。  西空の残照が、血のようにあざやかで、夕風が冷え冷えと吹きながれてい、要伝寺《ようでんじ》の塀《へい》の内に見える柿《かき》の木の実も、色づいている。  このあたりは、以前、三冬が、無頼の剣客《けんかく》・浅田虎次郎《あさだとらじろう》一味に襲われ、投網《とあみ》を投げ掛けられ、まことに危ういところを秋山|小兵衛《こへえ》に救われた場所であった。 (ああ……そもそも、あのこと[#「あのこと」に傍点]がなかったら、秋山小兵衛先生に親しくお教えをうけることにもならず、引いては……引いては、大治郎さまと知り合うことにもならなかったはず……)  おもうにつけて、三冬は全身に熱い血が駆けめぐるのをおぼえる。  今日は、田沼屋敷の稽古日ではない。  したがって大治郎の顔を見てはいないのだが、昨日は田沼邸内の道場で、大治郎と共に家来たちへ稽古をつけてやった三冬なのである。 (ああ、もう……たった一日、会わぬだけなのに、どうして、私は、このような……)  居ても立ってもいられぬ気もちになってくるのが、われながら、 (あさましいこと……)  だとおもう。 (大治郎さまも、私の胸の内が、わかっていて下さるように、おもえるのだけれど……)  ところが、秋山小兵衛にいわせると、 「大治郎も三冬どのも、二人そろって朴念仁《ぼくねんじん》ゆえ……」  らち[#「らち」に傍点]があかぬのだろうか。  二人とも、おのれの胸の内を打ち明ける術《すべ》を知らぬ。  それとも一方的に、三冬が大治郎へ想《おも》いをかけているのだとしたら、幼少のころから男同様の立居ふるまいをつづけて来た三冬だけに、たとえ、ことばには出さずとも、女の愛情をどのように顔や姿で表現したらよいのか、それをおもうと絶望的になってくるのだ。 (そもそも道場で、大の男を叩《たた》き伏せている私を見ては、大治郎さまも、これが女かと、おもわれるのもむり[#「むり」に傍点]はない)  のである。 「これ、しっかりせぬか。もっと、おもいきって立ち向ってまいれ!!」  とか、 「そのような太刀筋《たちすじ》で、いざというときの御役に立てるか!!」  などと、あられもなく大声に叱《しか》りつけつつ、木太刀を揮《ふる》う自分を見ては、大治郎も、 (興ざめとやらを、なさるにちがいない。ああ、嫌《いや》なこと。いっそ、剣術なぞを捨ててしまおうか……)  などと、日毎《ひごと》におもうことをくり返しては、おもい悩みつつ、歩む佐々木三冬が、急に、はっ[#「はっ」に傍点]となり、振り向いた。  そこは、木立に囲まれた小道で、前方には根岸の百姓地がひろがっている。  夕闇に小暗い道を、三冬の背後から、 (たれか、私を追って来る……?)  と、感じたのである。      二  振り向いた佐々木|三冬《みふゆ》の目は、こちらへ走り寄って来る人影をとらえた。  女である。女がひとり、必死に駆けて来る。駆けてはいるのだが、足もとが烈《はげ》しく乱れている。  女は、三冬を見て、立ちすくんだが、つぎの瞬間、のめりこむように道へ倒れた。 「これ、いかがしたぞ?」  駆け寄った三冬が、女を抱き起して、 「あっ……」  低く叫んだ。  町女房らしい女の、背中から腕のあたりが、おびただしい血に染まっていたからだ。 「女。しっかりいたせ」 「あ……」  ぽっかりと口を開けた女が、いきなり、三冬の腕を恐ろしいほどのちからをこめて掴《つか》み、 「お寺の……お寺さまの、お方でございますか?」  と、問いかけてきた。  夕闇《ゆうやみ》の中で、三冬を、寛永寺の寺小姓か何かと、見間ちがえたのであろうか……。  面倒くさいので三冬が、 「うむ」  うなずいて見せると、女は、帯の間へ手を差し込み、長さ七寸ほどの細長い革袋を出し、 「こ、これを……」 「これを、どうする?」 「おねがい……後生一生のおねがいでござ……」  女は、にわかに切迫してきた呼吸に堪《た》え、くび[#「くび」に傍点]につけた紐《ひも》を手繰って、ふところから胴巻を引き出そうとするのを、三冬が手伝ってやった。 「その金を、お礼に、さしあげ……」 「礼などは要らぬ」 「この革袋を、そのまま、そのまま……」 「どこかへ、届けるのか?」  女が、鉄漿《かね》をつけた歯で、ぎゅっと唇《くちびる》を噛《か》みしめ、うなずいた。 「何処《どこ》へ、届けるのじゃ。これ……」 「ふ、ふかがわ……」 「深川じゃな?」  うなずいた女が、ついで、 「は、はまぐり、ちょう……」  最後のちからをふりしぼっていい、がっくりと息絶えた。  三冬は、舌打ちをした。  見ず知らずの人に、火急のたのみをするため、女は先《ま》ず、胴巻の金をわたそうとした。そのために一瞬早く、肝心の品物を届ける先を、いい切れぬうちに息絶えた。  そのとき……。  女を追って来たらしい数人の足音に、三冬は気づいた。  これが秋山|父子《おやこ》ならば、ただちに、道の傍《わき》の木立の中へでも飛び込み、ひそかに、彼らの様子をうかがったろう。  だが、佐々木三冬では、そこまで、とっさ[#「とっさ」に傍点]におもいつけぬ。  革袋と胴巻を、しっかりと懐中にし、刀の鍔《つば》ぎわへ左手をかけ、駆け寄って来た三人の男の前へ、むしろ、立ちふさがり、 「この女を斬《き》ったのは、おのれたちか!!」  と、誰何《すいか》したものだ。  立ちどまった男たちが、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と左右にひらき、三冬の左側へまわった町人ふうの男が物もいわずに短刀《あいくち》を突き入れてきた。  いかにもなれきった、するどい攻撃であったが、くるり[#「くるり」に傍点]とまわった三冬の腰が沈むや、抜き打った一刀に、男の短刀をつかんだ手首がすぱっ[#「すぱっ」に傍点]と切って落された。 「うわ……」  のけぞった男を、もう一人の町人ふうが抱きかかえた。  あとの一人は、袴《はかま》をつけているが浪人である。  がっしりとした体格で、まだ刀の柄《つか》にも手をかけず、三冬を凝《じっ》と見つめている。 「ぶれいな奴《やつ》どもめ。名乗れ!!」  三冬が叫んだ。  どうも三冬では、こうしたときの呼吸が、自分の剣術をたのむだけで、紋切型になってしまう。  畑の向うで、通りかかった百姓夫婦が悲鳴をあげた。 「引けい」  と一言。浪人は傷ついた男をたすけて、三人とも、風のように逃げ去った。  三冬は胸を張り、 「ぶれいなやつどもめ」  いささか、得意であった。  それから三冬は百姓夫婦にたのみ、坂本一丁目の自身番所へ、このことを届けさせ、自分は女の死体を背負って、近くの円常寺《えんじょうじ》という寺へ担《かつ》ぎ込んだ。この寺では、三冬のことをよく知っている。  そして三冬は、三《み》ノ輪《わ》から日本堤へ出て、浅草|橋場《はしば》の外れにある秋山大治郎の道場へ、単身で駆け向った。  大治郎の道場を訪問する絶好の理由ができたことに、三冬は興奮していた。  その後を、先刻の町人ふうの男が尾行していることに、三冬は、まったく気づかなかった。  大治郎は、飯田粂太郎《いいだくめたろう》を相手に夕餉《ゆうげ》を終えたところであった。  豆腐汁《とうふじる》に、魚の干物《ひもの》である。 「粂太郎。私にも食べさせてもらいたい」  と、三冬が命じた。  粂太郎少年が仕度にかかる間、三冬は大治郎にすべてを語り、件《くだん》の胴巻と革袋を、 「ごらん下され」  と、大治郎の前へ置いた。  胴巻には十両余の金が入っていた。江戸の庶民の一家族が一年をらく[#「らく」に傍点]に暮らせるほどの金額である。  革袋は手指ほどの太さで、革紐で口を結び、その上に蝋《ろう》をかけてあった。 「中を開けずに、そのまま、届けてもらいたい様子でした」 「深川の、蛤町《はまぐりちょう》……と、申したのですな?」 「はい」 「ふうむ……」  しばらく考えていたが、大治郎は小柄を抜いて、革袋の蝋をはがしにかかった。 「開けてもよいのでしょうか?」 「三冬どの。開けて見なくては手がかりがつかめますまい」 「なるほど……」  そこへ、飯田粂太郎が膳《ぜん》の仕度をととのえてあらわれ、給仕をしようとすると、三冬はちらり[#「ちらり」に傍点]と大治郎を見やり、妙に、やさしげな声で粂太郎へ、 「私が、自分でする」  と、ささやいた。  革袋の中からあらわれたのは、なんと、筆が一本。変哲もない筆なのだが、短い軸は黄銅でつくってある。そこが変っているといえばいえる。  豆腐汁を口へ運びかけて、三冬が、 「妙な……?」 「さよう……」  大治郎が、筆を調べはじめた。  軸の尻《しり》に、何やら蓋《ふた》のようなものがついてい、これをまわすと、蓋が外れた。  と、軸の中から、何やら畳の上へ、転び出たものがある。  黒い丸薬のようなものが二粒、転び出たのだ。 「何じゃ、これは……?」  三冬が、あきれ顔になった。  秋山大治郎は、その一粒を手に取って鼻腔《びこう》へ近づけた。  大治郎の表情が、微妙に変った。  黒い丸薬のようなものから、え[#「え」に傍点]もいわれぬ芳香を嗅《か》ぎとったからである。  おそらく、練香《ねりこう》の一種なのだろうが、このような香の匂《にお》いを、三冬も大治郎も知らぬ。  脳髄がしびれるような蠱惑《こわく》と、それでいて鼻腔をつき刺す強烈さが、香の一粒を火に焼《く》べてみたとき、はっきりとわかった。      三  そのころ、秋山小兵衛は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅にいなかった。  おはる[#「おはる」に傍点]をつれ、関屋村の百姓・岩五郎の家へ滞在していたのだ。  岩五郎は、おはるの父親で、年上の小兵衛から「親父《おやじ》どの」と呼ばれるのが、うれしくて仕方がないらしい。 「たまさかには、共に、お前の実家《さと》で暮すのもよいだろう」  小兵衛はそういって、おはるをよろこばせた。  なぜなら、女というものは、他家へ嫁いでからも、決して実家を忘れぬものだからである。  大治郎は、折角に、のんびりと関屋村で暮している父をわずらわすこともないと考え、翌朝、佐々木|三冬《みふゆ》と共に、本所亀沢町《ほんじょかめざわちょう》に住む町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》を訪ねた。  宗哲も、碁敵《ごがたき》の小兵衛がいないものだから、さびしいらしい。 「ふうむ……」  件の、丸薬のような、残りの一粒の練香を大治郎が差し出すと、宗哲は、それを針の先でわずかにくずし、火に焼《く》べた。 「これは、異国わたりの香ではないかな……」  と、宗哲はいった。 「異国の?」 「そうとしかおもわれぬ匂《にお》いじゃよ、大治郎さん」 「ははあ……」  若いころに長崎《ながさき》で、異国渡来の医術をまなんだ小川宗哲だから、その言葉には千金の重みがある。  宗哲は、すこし欠けた練香を注意ぶかく、黄銅製の筆の軸へおさめ、沈思黙考のかたちとなった。  大治郎と三冬は、顔を見合せた。  二人とも両眼《りょうめ》が、すこし腫《は》れているのは、昨夜、よくねむれなかったのだ。三冬はひとりで大治郎の居室へねむり、大治郎は飯田粂太郎《いいだくめたろう》と道場に寝たのだが、双方ともに、気が昂《たかぶ》り、なかなか寝つけなかった。  二人が一つ屋根の下にねむったのは、昨夜がはじめてなのである。 「宗哲先生。異国わたりの香と申されますと、それは?」 「香料が異国のものということじゃ。それを、日本へ持って来て、このような練香につくったものと考えられる」 「すると、禁制の品でしょうか?」 「先《ま》ず、な……」  宗哲が、うなずいた。  当時、鎖国中の日本は、肥前の平戸《ひらど》と長崎のみを開港し、オランダ・中国・朝鮮の三国に限って、交易をしている。これは幕府のきびしい監視のもとにおこなわれるわけだから、諸大名も一般の商人も、異国との貿易をおこなうことはできない。  しかし、幕府の監視をかすめて密貿易がおこなわれ、異国わたりの珍奇な品物や薬種がひそかに売買されていることも事実であった。  むろん、これが摘発されれば重罪極刑を覚悟しなくてはならない。  ことに、このような特殊の香料による製品が、秘密めいた筆の軸に隠されてい、それを怪しい女が所持しており、男たちに追われ、重傷を負い、死にのぞみながら、通りかかった男装の三冬へ一縷《いちる》ののぞみ[#「のぞみ」に傍点]を託して手わたしたというのは、 (まさに、密貿易……)  と、秋山大治郎にも感じられたことである。 「よく、わかりました」  大治郎のこころは、決った。  こうなれば、もはや、自分や三冬の関知するところではない。 「どうするつもりじゃ?」 「弥七《やしち》どのへ、事情《わけ》をはなし、この品をわたし、すべてをまかせようとおもいますが、いかがでしょうか」 「あ、それがよい」  言下に、小川宗哲がいった。  お上《かみ》の御用をつとめる四谷《よつや》の弥七の、これは役目といってよい。 「では、これにて……いろいろと、ありがとうございました」 「いや、なに……ときに、小兵衛さんは、まだ、隠宅へもどらぬかの?」 「はい」 「仕方のない爺《じい》さんじゃ。若い女房をもらうと、碁敵まで忘れてしもう。なさけないことよ、男のくせに……」 「二、三日うちに関屋村へまいり、父へ、先生のお言葉をつたえましょう」 「ぜひとも、たのむ」  小川宗哲宅を出た大治郎と三冬は、両国橋を西へわたり、浅草橋・御門外で別れた。  三冬は、根岸の寮へ帰り、大治郎は四谷・伝馬町《てんまちょう》の弥七宅へ出向いたのである。  別れぎわに、大治郎は、 「三冬どの。昨夜、私の道場へまいられた折に、後をつけられたようなことは……?」  念を入れると、三冬は、 「大丈夫でございます」  と、こたえた。  その言葉づかいも、声音《こわね》も、以前の三冬のものではない。  以前なら胸を張り、得意げに「いわれるまでもない」などと、こたえたろう。  佐々木三冬が、根岸の寮へ着いたのは、昼ごろであった。  老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》が、飛び出して来て、 「お嬢さま。大変なことになりましてございますよ」 「どうしたのじゃ?」 「今朝、早く、円常寺の坊さんが駆けつけてまいりまして……」 「なに……?」 「昨夜、お嬢さまが、おあずけになった女の亡骸《なきがら》が、消えてしまったそうでございますよ。いったい、昨夜は何が起ったのでございます。それを聞いて、もう、心配で心配で……」 「よし。円常寺へ行ってまいる」 「危ないことに、かかわり合うのは、もう、おやめ下さいまし」 「案ずるな、爺や」  円常寺へ駆けつけて、はなしを聞くと、昨夜はあれから自身番の知らせで、いちおう寺社奉行所の同心が来て調べたが、格別のことはなく、朝になってから、くわしく調べ直すから、それまでは、女の死体を寺へあずけておくということで、同心は帰ってしまった。  円常寺では、死体を庫裡《くり》の一間へ安置し、経をあげた上で、若い寺僧が二人ずつ、交替で通夜《つや》をした。  夜が明けて、交替の僧たちが通夜の間へ入って行くと、死体をまもっていた二人の僧が猿《さる》ぐつわを噛《か》まされ、手足を縛られているではないか。  女の死体は、すでに消えている。 「どこからともなく入って来た男たちに、棍棒《こんぼう》で撲《なぐ》りつけられ、気をうしなってしまいました」  とのことだ。  円常寺では、三冬の寮へ、このことを告げ、寺社奉行所へも届け出たが、いまだに、だれもあらわれぬそうな。  三冬が、女から手わたされた品物のことを円常寺には語らなかったので、奉行所では、 「どこにでもある痴情の沙汰《さた》……」  と看《み》たらしく、面倒くさいものだから、始末にかからぬのだ。 「ちかごろの役人どもは、これだから困る」  三冬が、吐き捨てるようにいった。  それから三冬は、町駕籠《まちかご》で、神田橋《かんだばし》門内の田沼屋敷へおもむき、道場へ入った。  今日は稽古日《けいこび》である。  四谷の弥七宅へ行った秋山大治郎があらわれるまで、三冬が家来たちへ稽古をつけるよう、大治郎と打ち合せてあった。  稽古開始の時刻が、いつもより遅れることは、飯田粂太郎をもって、朝のうちにつたえさせておいた。  神田橋門外で駕籠を下り、門内へ入って行く自分を、昨夜の男とは別の、これもきちん[#「きちん」に傍点]とした身なりの町人ふうの男が尾行していたことを、佐々木三冬は、まったく気づいていない。  田沼家の家来たちと、道場で稽古をしているうちに、三冬は熱中し、何《なに》も彼《か》も忘れた。  稽古が終ると、いつの間にか夕闇《ゆうやみ》がせまっていた。 「粂太郎。大治郎さまは、まだか?」  我にかえった三冬が、まだ、道場にいた飯田粂太郎に尋《き》くと、粂太郎少年は、私も秋山先生を待ち、共に、橋場へ帰るつもりでございます、と、こたえた。 「さようか……」  三冬は思案の後に、粂太郎をつれて大治郎の道場へ行くことにした。  この時刻になっては、田沼邸の稽古が終ったことを大治郎もわきまえているはずである。  もしやすると、 (橋場へ、もどられたのやも知れぬ)  だからといって、何も自分までが行かなくてもよいのだが、 (円常寺の異変を、大治郎さまのお耳へ……)  このことであった。  これとても、粂太郎少年に言付けすればすむのである。  しかし、三冬は自分の口から告げたいのだ。  何のことはない、大治郎の顔を見たいからである。声を聞きたいからである。  三冬にとっては、異国わたりの香よりも、もっと芳《かぐわ》しい大治郎の体臭を身近に吸いこみたいからである。 「さ、まいろう」  田沼屋敷を出ると、冷たい秋の夕風が、汗をながしたあとの三冬の肌《はだ》にこころよかった。  浅草へ向う二人に、またしても、執拗《しつよう》な尾行がついている。      四  秋山大治郎が田沼屋敷へあらわれたのは、それから半刻《はんとき》ほど後のことであった。  この半刻の遅れを、のちに大治郎は、どれほど悔んだか知れない。  昼すぎに、四谷《よつや》の弥七《やしち》の家へ着いたが、弥七は、下っ引の傘《かさ》屋の徳次郎をつれ、そのすこし前に家を出てしまっていた。  四谷の伝馬町《てんまちょう》で〔武蔵屋《むさしや》〕という料理屋を経営している弥七の女房が、 「間もなく、帰ってまいりましょう」  というので、大治郎は昼餉《ひるげ》をよばれ、待つことにした。  二刻(四時間)ほどすぎて、弥七が帰って来た。 「これは若先生。大変なことになりそうでございますぜ」  弥七は、革袋の中の品物と十両入りの胴巻を、仔細《しさい》にしらべて見てから、そういった。 「こりゃあ、たしかに抜け荷が、からんでおりますよ」 「やはり、な……」  抜け荷というのは、密貿易のことだ。 「それにしても、三冬《みふゆ》さまのほうは、大丈夫なのでございましょうね?」 「根岸の寮へ立ち寄ることなく、すぐに、私の道場へまいられたのだから……」 「後をつけられたようなことは?」 「女ながら三冬どののことだ。案ずるにはおよぶまい」  うなずいた弥七が、ややあって、 「ですが、抜け荷をやっている連中は、油断がなりません」 「だが弥七どの。ここは西国《さいごく》や上方《かみがた》ではない。将軍ひざもとの江戸に、抜け荷をしている者がいるのかね?」 「ええ、もう……江戸ばかりではございませんよ。越後《えちご》・越中・越前から、遠くは松前や箱館《はこだて》まで、抜け荷の商人がおります」 「まことのことか?」 「はい。表向きは何々屋何兵衛[#「何々屋何兵衛」に傍点]なぞといって、別の商売をしておりますがね」 「なるほど」 「とにかく、あの連中ときたら、なかなかに尻尾《しっぽ》をつかませません。今度は、その、殺された女がからんで、何か手ぬかりがあったのでございましょう。女という生きものは、どうも、善悪にかかわらず、大事には邪魔になるものでございますね」 「だが弥七どの。その抜け荷の手がかりをつかんだのは、女の三冬どのだ」 「ですが若先生。三冬さまは……」  いいさして弥七が、あわてて口を押えた。 「三冬さまは、女なんていう代物《しろもの》じゃあございませんよ」  と、いいかけたのである。 「では、すべて、弥七どのにまかせた。それでよいな」 「はい。たしかに……」  これから町奉行所へ向うという弥七より一足先に、大治郎は武蔵屋を出た。  これから田沼屋敷へ行っても、道場の稽古《けいこ》は終っているだろうが、もしやすると、 (三冬どのが、待っているやも知れぬ)  と、おもったからだ。  以前の大治郎ならば、迷うことなく橋場の道場へ引きあげたろうが、そうおもいこむことによって、やはり、三冬の顔を見たかったのである。  無意識のうちに、自分のこころが、そのようにうごいて行くのだ。それを大治郎は、どうすることもできない。  田沼屋敷へ着くと、家来が、 「半刻ほど前に、飯田粂太郎《いいだくめたろう》をおつれになり、秋山先生の道場へまいられました」  とのことだ。 「さようか。では……」  すぐさま、大治郎は、わが道場への帰途についた。  田沼屋敷から提灯《ちょうちん》を借り、夜の道を急ぎながら、大治郎は妙に胸さわぎがしてきはじめた。  彼ほどの剣客《けんかく》になると、その感能は、常人にはかり知れぬちから[#「ちから」に傍点]をそなえているといってよい。  理屈ではない。  明治の剣聖などとよばれた直心影《じきしんかげ》流の山田次朗吉翁《やまだじろきちおう》は、かの、大正十二年の関東大震災を、四年前に予知し、これを発表している。 「おそらく、大正十三年までに、この東京に一大天災、つまり大地震があって、市民の七、八万人は死滅するだろう」  といい、この山田翁の言葉が、ロスアンゼルスの日本人会の新聞に出たという。  山田次朗吉いわく。 「剣道を、だんだんやって来ると感[#「感」に傍点]が強くなって、人の事がよくわかるようになるから、注意しなければいけない。感が当るときはよいが、それが当るとばかりはかぎらぬ。ときには間ちがうこともある。それに頼ると大変な誤りを犯すことになるから気をつけなさい」  また、いわく。 「ほんとうに、明鏡止水の心境に到達すると、鉄砲の弾丸《たま》も当るものではない。心のはたらきは弾丸のはたらきよりもずっと速いからだ。また、ここにすわっていて、太平洋の波の音も聞くことができますよ」  また、或《あ》る日のこと、門下生某が下谷《したや》の清水町に住んでいた山田次朗吉を訪問し、さて、帰ろうとすると、次朗吉翁が、 「もう十分もすると、M君が来るから、お待ちになってはいかがですか」  という。 「先生。お約束でも、なさったのですか?」 「いえ、何も約束をしたわけではないが、三十分ぐらい前に、M君が阿佐谷《あさがや》から私のところへ来るため、出発したような気がします」  果して、十二、三分後に、M氏が山田邸へあらわれたそうな。  秋山大治郎は、浅草橋門外へかかったとき、あきらかに佐々木三冬の異変を感じ、 (しまった……)  駆け足となった。  橋場の道場へ着くと、灯《あか》りも入っていない。  大治郎は大刀を抜き放ち、道場へ近寄って行った。  道場の戸は閉っていたが、勝手口の戸が開いている。  右手に大刀、左手に提灯を持った大治郎が音もなく、台所の土間へ入ってみると、そこに、飯田粂太郎少年が倒れ伏しているではないか……。  粂太郎は気をうしなってい、鼻血をながしていた。  助け起し、手当をすると、粂太郎が、 「も、申しわけも、ありませぬ」 「どうした?」  三冬と共に、道場へ着き、粂太郎が先へ立って勝手口へ入ったとたんに、屋内の暗がりに潜んでいた曲者《くせもの》が、おそらく棍棒《こんぼう》のようなもので、粂太郎の頭を強打したらしい。 「な、何も、わかりませぬでした」  と、粂太郎はいった。  佐々木三冬へも、同時に曲者が襲いかかって、三冬を失神せしめ、これを何処《どこ》かに誘拐《ゆうかい》し去ったものと看《み》てよい。  大治郎の居室も道場も、曲者たちによって、完膚《かんぷ》なきまでに荒されていた。  ただし、盗まれた物は何一つない。  曲者どもは、あの、異国わたりの練香《ねりこう》が入った筆を探しまわったにちがいなかった。 (やはり、三冬どのは、後をつけられていたのか……)  それならば、大治郎も尾行されていたものと考えねばならぬが、おもい当るふし[#「ふし」に傍点]はなかった。  曲者どもは、あくまでも三冬が、かの秘密の品物を所持しているものと考え、三冬を襲い、おそらく懐中を調べたのであろうが、見当らぬ。そこで、家探しをした。  となれば、当然、今度は、 (私に襲いかかって来るだろう……)  大治郎は、そうおもった。  ここにいたって、秋山大治郎が、先《ま》ずしたことは、粂太郎少年の傷の手当と、飯の仕度であった。  炊《た》きあがった熱い飯へ、生卵をかけ、大根の漬物《つけもの》で食べた。粂太郎は食欲を失っている。  それから大治郎は粂太郎を背負い、道場を出た。  粂太郎は、いま、役に立たぬ。傷の痛みもひどいらしく、高熱を発していたので、彼を近くの〔不二楼《ふじろう》〕へあずけておくことにしたのだ。不二楼は秋山|父子《おやこ》ともなじみの料亭《りょうてい》で、粂太郎の顔も見知っている。  不二楼へ粂太郎を置き、それから大治郎は、関屋村のおはる[#「おはる」に傍点]の実家へ向った。  この間、大治郎は、わが身を包む夜の闇《やみ》の気配にこころ[#「こころ」に傍点]を配り、すこしの油断もせぬ。提灯をつけて、さびしい夜道を行くのだから、曲者どもにとっては襲撃しやすいはずだ。  むしろ、大治郎は、 (それを待っていた……)  と、いってよい。  彼らが出て来てさえくれれば、尻尾の先へでも手をかけることができるからだ。  だが、関屋村へ着くまで、ついに、曲者どもはあらわれなかった。  大治郎を迎えて、おはるの父親岩五郎が、こういった。 「大先生は、おはるといっしょに、一昨日《おととい》、お出かけになりましたよ」 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ帰られたか?」 「うんにゃ、江ノ島や鎌倉《かまくら》を見物して来ると、いいなすって……」 「江ノ島へ……」 「はあい。ゆっくりと十日もかけて、見物をして来なさるとか……」 「そうでしたか……」  大治郎の声は、うめき[#「うめき」に傍点]声に近かった。  このような異変が起ったとき、たよりになるのは、なんといっても父の小兵衛だったからである。      五  一方、四谷《よつや》の弥七《やしち》は、この夜のうちに、かなりはたらいた。  先ず、自分が所属している南町奉行所同心・永山精之助《ながやませいのすけ》を八丁堀《はっちょうぼり》の役宅へ訪ね、黄銅製の筆と練香、十両入りの胴巻をわたして仔細《しさい》を語った。 「ふむ。これがもし、抜け荷の事件《こと》となると、おれたちの一存ではいかねえ。だが弥七。その、御老中様のお嬢さまへ、この品[#「この品」に傍点]をわたして死んだという女のことだけでも、こっちで何とか目星をつけたいものだ」  と、永山はいった。 「わかりました、旦那《だんな》。やってみましょう」 「たのむぜ」  永山同心は、すぐ身仕度をし、自分が直属している与力《よりき》・大沢主水《おおさわもんど》邸へ向い、弥七は傘徳をつれ、根岸の円常寺《えんじょうじ》へまわった。当夜の様子を聞きこむためと、女の死顔を見ている僧たちから女の顔だちや身につけていた衣類のことなどもくわしく聞き取り、人相書をつくるためであった。  人相書ができるのは、おそらく明日のことになるだろうが、根岸の近くの金杉《かなすぎ》下町には、弥七と親しい御用聞きの七兵衛《しちべえ》が住んでいる。 (七兵衛とっつぁんならたのみ[#「たのみ」に傍点]になる。ちから[#「ちから」に傍点]を貸してもらおう)  と、弥七は夜ふけの道を急ぎながら、考えた。  弥七が、これらの手筈《てはず》をすべてつけ終え、四谷|伝馬町《てんまちょう》の家へ帰って来たとき、空は白みかけていた。 「おや、若先生……」  我が家に秋山大治郎が待ち受けていたので、弥七はおどろいた。 「何か、あったので?」 「弥七どの。とんでもないことになってしまった……」  大治郎が、三冬《みふゆ》誘拐のことを語るにつれ、弥七も顔色が変った。  なんといっても、三冬は老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》のむすめなのである。こうなると、自分たちも、迂闊《うかつ》には立ちまわれないと、弥七はおもった。 「奴《やつ》らは、田沼様のお嬢さまと知っての上で……?」 「いや……おそらく、そうではないとおもう。三冬どのの体を調べるまでは、女とも、おもわなかったのではないか……」  そういって、大治郎は、何ともいえぬ苦渋を面《おもて》に浮べた。  曲者《くせもの》どもは、練香をさがし出すために、三冬の衣裳《いしょう》を押しひろげ、あちこちと手指を這《は》わせたにちがいない。そやつどもの手指は、三冬の乳房にも触れたろうし、腕にも足にも触れたろう。 「うぬ……」  おもわず、大治郎はうめいた。  全身の血が逆流するのではないか、とさえおもわれた。 「もし……若先生、もし……どうなさいました?」  弥七夫婦が、心配そうに、大治郎をのぞきこんだ。 「う……いや、別に……」 「さて、困った……」 「三冬どのは、練香の在処《ありか》を曲者どもに洩《も》らすまい。そうなれば、どのような拷問《ごうもん》に合うやも知れぬ。それが……それをおもうと、私は……」  絶句した大治郎を見やって、弥七は女房と顔を見合せた。 (そうだったのか……)  である。  朝になると……。  二人は一睡もせず、傘《かさ》屋の徳次郎をつれて武蔵屋《むさしや》を飛び出した。  弥七と徳次郎は、昨日に引きつづいての手配りをし、大治郎は田沼屋敷へ向かった。  田沼意次の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》に面会をもとめると、 「秋山先生。何事でござろうかな?」  生島用人は、大治郎が待っている〔欅《けやき》の間〕へ、気軽にあらわれた。ここは、三冬が田沼屋敷にいるとき、使用している一間であった。  生島次郎太夫は、田沼意次腹心の者で、いまでいうなら秘書官長のような役目をつとめている。  大治郎は、包み隠すことなく、すべてを生島用人へ語った。 「まことでござるな?」 「はい」 「むう……」  物に動ぜぬ生島次郎太夫が、このときは、つぎの言葉が出なかった。 「しばらく、お待ち下さるよう」  生島は熟考の後に、大治郎を残し、愛嬢の異変を主人の田沼意次へ告げるため、欅の間を出て行った。  田沼老中は、まだ、江戸城へ出仕する前であった。  間もなく、大治郎へ朝餉《あさげ》の膳《ぜん》が運ばれた。生島用人のはからい[#「はからい」に傍点]と看《み》てよい。このような異変の最中《さなか》に、大治郎が、早朝、食事もとらずにあらわれたのであろう、と、生島が気をくばってくれた。さすがに大家《たいけ》の用人である。大治郎は弥七の家を出るとき、朝餉をすすめられたが、そのときは、まったく食欲がなかった。それだけに、この生島の配慮はありがたかった。  箸《はし》をとりながら、 (このようなときに、よく、物が食べられるもの……)  だと、大治郎は、自分があさましくなった。  それほどに、いまの大治郎は三冬のことをおもいつめている。時がたつほどに、不安が増し、胸の傷《いた》みがひろがって来るのである。  一刻《いっとき》ほどがすぎて、生島次郎太夫がもどって来た。 「いかがで、ございましたか?」 「秋山先生……」  がっかりしたように、生島用人はうなだれて、 「老中のむすめだからと申して、特別のはからい[#「はからい」に傍点]をしてはならぬ、と、殿がおおせられましてな」 「なれど、それは……」 「何事も、しかるべき[#「しかるべき」に傍点]筋にまかせておけばよい。秋山先生に、しか[#「しか」に傍点]とおたのみをしておけ、と、かようにおおせられまして……」 「私へ、しか[#「しか」に傍点]とたのめと……」 「さよう」  うなずいた生島次郎太夫が、そこに両手をつき、喰《く》い入るように大治郎の目を見つめて、 「それがしからも、おねがいをつかまつる」  いうや、大治郎の前にひれ[#「ひれ」に傍点]伏したものである。  秋山大治郎の顔面へ、真赤に血がのぼってきた。      六  昼ごろになって……。  大治郎と弥七《やしち》が、打ち合せておいた場所で落ち合った。神田橋《かんだばし》門外の三河町二丁目にある〔東玉庵《とうぎょくあん》〕という蕎麦《そば》屋の二階座敷だ。  ここは三年ほど前に開店した、しゃれた構えの蕎麦屋で、磯浪《いそなみ》そばというのが名代《なだい》だそうな。粗粉《あらこ》を除いた蕎麦粉を細く上品に打ったものへ、もみ海苔《のり》をかけたのがそれ[#「それ」に傍点]で、何のことはない現代《いま》のざるそば[#「ざるそば」に傍点]なのだが、それでも当時はめずらしかったのであろう。  弥七も、朝は、あまり食べていなかっただけに、大治郎があらわれたとき、威勢よく磯浪そばを手繰りこんでいた。 「どうでございましたえ?」 「実は……」  と、大治郎が、田沼|意次《おきつぐ》の言葉を告げるや、四谷《よつや》の弥七が瞠目《どうもく》して、 「大したものですねえ、若先生。天下《てんが》の事をおさめるお人は、そうしたものなのですね」 「だが、いささか、冷たいようにおもう。あれほどに可愛《かわい》がっておられた三冬《みふゆ》どのなのに……」 「そこが、御老中様の辛《つら》いところだ。それにしても、これはね、若先生。あなたをはじめ、お上の御用にはたらく人びとを、たのみになすっていなさるからこそだと、私はおもいますよ」 「それは、よく、わかっているのだが……」 「ですが若先生。こんなときに大先生が、江ノ島見物とは……そいつが、むしろ、私にはうらめしい」 「で、弥七どののほうは、どうなったのだ?」 「あっ……」  と、弥七が、すわり直して、 「それが若先生。意外も意外、とんだことになってきました」  密貿易の探索に関しては、町奉行所よりも、幕府の、もっと上のほうに秘密の組織があり、これは老中の次位に在る若年寄《わかどしより》が支配している。  昨夜の、弥七の報告によって、殺害された怪しい女の素姓も、 「どうやら、わかりかけてきている……」  らしいのだ。  女が息絶える直前に洩《も》らした「深川・蛤町《はまぐりちょう》……」の言葉が、それを裏づけているのだそうな。 「いったい、どういうことなのだ?」 「八丁堀の永山の旦那《だんな》がいいますには、その女は、幕府《こうぎ》のおために、抜け荷のことを探っていたらしいので……」 「女の、隠密《おんみつ》……」 「ま、そんなところらしいので」 「すると、深川の蛤町にも、その女と同じような隠密がいて、女が、あの練香《ねりこう》を持って来るのを待っていた、とでもいうのか、弥七どの……」 「そこまでは、まだ、私にもわかりませんので……」  町奉行所の御用をつとめる絵師・久保田仙崖《くぼたせんがい》が、今朝、根岸の円常寺へおもむき、僧たちの言葉を聞きとり、死んだ女の人相を描き、これはすぐさま、奉行所を経て、幕府の、しかるべき筋へとどけられたらしい。 「ですから若先生。町奉行所も、私どもも、いまは、御公儀の御指図を待っているのでございますよ」  探索は、いま、幕府の隠密たちの手によっておこなわれつつあるというのだ。 「ば、ばかな……」  大治郎は叫んだ。 「そんな悠長《ゆうちょう》なまね[#「まね」に傍点]をしていて、どうなる。三冬どのは、どうなる!!」  そのころ……。  佐々木三冬は、日中の光も射《さ》し込まぬ地下蔵《ちかぐら》の中へ押し込められていた。  此処《ここ》が何処《どこ》なのか、それもわからぬ。  昨夜、三冬は、粂太郎《くめたろう》少年が倒されるのと同時に、背後からくび[#「くび」に傍点]を巻き締められた。ふとい男の腕で、ちからも相当なものだったが、そこは佐々木三冬である。じゅうぶんに組ませておき、叩《たた》きつけてやるつもりであったが、それがいけなかった。  何やら異様な匂《にお》いがする布を、うしろから鼻へ押し当てられ、 「な、何をする!!」  身を沈めて、曲者《くせもの》を土間へ投げ飛ばしたまではよかったが、 「あ……」  おぼえず、足もとがよろめき、踏みしめようとしてもちから[#「ちから」に傍点]が入らず、すっと頭の中の血が冷たくなったように、目もくらみ、あとはもう何もわからなかった。  そして気がつくと、この地下蔵に投げこまれていた。  猿《さる》ぐつわは噛《か》まされていなかったが、手の自由がきかず、袴《はかま》もぬがされ、大小の刀も奪われていた。  地下蔵は五坪ほどもあろうか。菰包《こもづつ》みの荷物やら大小の木箱やらが積み重ねてあり、周囲は石積みになっている。小さな掛燭台《かけしょくだい》の蝋燭《ろうそく》の灯《あか》りだけの地下蔵は夜のように暗く、四方に一抱えもあるほどの大きな水瓶《みずがめ》が置かれ、満々と水が湛《たた》えられてあった。  三冬は、えりもと[#「えりもと」に傍点]がくずれ、乳房の上部が露呈されてい、どうしたことか、そのあたりが血だらけになってい、その血が乾いていた。  ともかく、後手《うしろで》に太い柱へ括《くく》りつけられているので、どうにもならなかった。  今朝になってからだが、深いねむりからさめ、わが姿を見て愕然《がくぜん》となった三冬の前へ、三人の男があらわれ、尋問をはじめた。  先《ま》ず、件《くだん》の品物の在処《ありか》についてだ。  つぎに、彼らが殺害をした女と三冬の関係についてである。それから秋山道場と三冬。田沼屋敷と三冬と、それぞれの関係について尋問してくる。  三冬は、一言もこたえなかった。  しかし、彼らの尋問からおしてみると、どうも曲者たちは、殺された女と三冬を、 「同類の者……」  と、看《み》ているらしい。  三人のうちの一人は、根岸で女を殺した中年の浪人であった。浪人といってもむさ苦しい[#「むさ苦しい」に傍点]ところはすこしもなく、身なりも立派だし、上品な顔だちをしているが、無表情で、細い両眼《りょうめ》の光が沈み、気味のわるい男だ。  あとの二人は、しかるべき店舗《てんぽ》を構えている商家の主人《あるじ》といってよいほどに、ぜいたくなものを身につけている。  三冬は、自分が田沼意次のむすめであることを、よほど、打ち明けてやろうかとおもったが、 (いや、このような自分一身のことで、父上の名を出しては申しわけもない)  と意を決した。  もしも三冬が、これを口に出していたなら、おそらく三冬の命は、すでに失われていたかも知れぬ。  いかに責めたてても、三冬がこたえぬので、浪人がいきなり、三冬の胸もとを押しひろげ、小柄《こづか》を引き抜き、乳房の上部を数ヵ所、すっすっ[#「すっすっ」に傍点]と切った。  血がにじみ、痛みがはしったけれども、三冬は声もたてなかった。 「こやつめ」  浪人は、三冬を睨《ね》め据《す》え、 「これですむとおもうな。よく考えておけ。尚《なお》も、白状をせぬときは、その強情も張り通せぬほどの辱《はずか》しめを受けるとおもえ」  と、いった。  その辱しめが、どんなものか、おぼろげながら三冬にもわかる。男装の女武道の、その女[#「女」に傍点]の体を辱しめようというのであろう。  三冬は、 (そうなったときは、舌を噛み切るより仕方はない)  と、おもいきわめている。  その一方で、三冬は、自分が誘拐《ゆうかい》されたのちの秋山大治郎の手配に対して、 (小兵衛先生もおいでのことゆえ、きっと、助けに来て下さるだろう)  と、期待をも抱いていたことは、たしかだ。  しかし、それも、辱しめを受ける時が来たら、間に合わぬのである。      七  東玉庵《とうぎょくあん》を出て、町奉行所へ向う弥七《やしち》と別れた秋山大治郎は、橋場《はしば》の道場へ帰ることにした。  今度は自分に襲いかかる敵を待つより、 (手段はない……)  からであった。  あたたかに晴れわたった秋空の下を、赤蜻蛉《あかとんぼ》が群れをなして泳いでいる。人通りも多かった。  大治郎は筋違《すじかい》御門外へ出て、神田川沿いの道を東へ行く。  尾行者に気づいたのは、左衛門河岸《さえもんがし》のあたりだったろう。  何気なく振り向いた瞬間に、町人ふうの一人の男が素早く、酒井|侯《こう》の上屋敷と八名川町の間の道へ隠れたのを、大治郎は見た。  見たが、そ知らぬ顔で歩みつづけた。  胸の内は、火のように燃えている。 (この機《おり》を逃してはならぬ。だが、どうしたらよいか……)  であった。  捕えることは、非常にむずかしい。  だが、何としても、捕えねばならぬ。  おもい迷いつつ、一度も後を振り向かぬまま、大治郎は、浅草の駒形堂《こまかたどう》前まで来てしまった。  ある考えが脳裡《のうり》に閃《ひらめ》いたのは、このときであった。  駒形堂裏に、もと不二楼《ふじろう》で料理人をしていた長次が、座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]と夫婦になり〔元長《もとちょう》〕という小体《こてい》な店を出している。大治郎も小兵衛に連れられて、何度か来ていた。  元長の戸障子を開けると、魚をさばいていた長次が、 「おや、若先生……」 「客は、いないようだな」 「ごらんのとおりで」 「長次。たのみがある。秋山大治郎が一生一度のたのみだ。聞いてくれるか……」 「へ……」  長次が、びっくりして、女房と顔を見合せた。  しばらくして、大治郎は元長を出たが、それより先に長次が二階の小座敷の障子の隙間《すきま》から、外を見まわした。  前に、駒形堂が見える。左手は大川《おおかわ》で、右手は浅草寺《せんそうじ》門前の大通りだ。  打ち合せておいたように、女房おもとが、店の戸障子を開けると、駒形堂の石垣《いしがき》の蔭《かげ》から、ひょい[#「ひょい」に傍点]と男の顔が出て、凝《じっ》と見まもっている。おもとが軒下へ暖簾《のれん》を掛け、店へ入って戸障子を閉めると、男の顔が、また石垣の蔭へ隠れた。 (あいつだ。ちげえねえ)  長次は店へ下りて来て、大治郎に告げると、大治郎は長次に耳打ちをし、 「もし、間ちがっていてもかまわぬ。私が、すべて責任《せめ》を負うから……」  と、いった。  長次は裏口から出るとき、心張棒をつかみ取り、これを背中へ隠すように持ち、路地づたいに並木町の大通りへ出て、駒形堂前をすぎ、すこしはなれた場所へしゃがみこんだ。  ころあいを見はからい、大治郎が元長を出て、駒形堂の北側を並木町の通りへ向う。  大治郎の後をつけて来た男は、駒形堂の南側から通りへ出て、ふたたび、尾行をはじめようとした。  しゃがみこんでいた長次が、敢然と、男へ走り寄り、心張棒で足を払い、倒れかかる男へ組みつきざま、 「泥棒《どろぼう》だあ!!」  天にもひびけとばかりの大声に、道行く人びとの視線があつまったとき、身をひるがえして秋山大治郎が駆け寄って来た。  男に当身《あてみ》をくわせておき、いったん、元長へ引き入れ、長次がたのんで来た近くの〔駕籠伝《かごでん》〕の町駕籠で、大治郎は橋場の道場へ男を運び込み、ついて来た長次と駕籠を外へ待たせておき、男を道場の柱へ括《くく》りつけた。  男は、息を吹き返している。青ぐろい顔つきの、痩《や》せた三十男で、身なりは商人《あきんど》のものだが、得体の知れぬ面貌《めんぼう》をしており、大治郎を横目に見て、口をゆがめ、冷笑を浮べている。  大治郎が男の正面へまわり、 「女武芸者を、何処へ隠した?」  と、尋《き》いた。  男は、返事のかわりに、せせら笑った。  転瞬……。  腰を沈めて、腰間《ようかん》の備前兼光《びぜんかねみつ》を抜き打った大治郎の呼吸が、絶妙をきわめていた。  一閃《いっせん》、一閃……。  男の体を柱に括りつけていた縄《なわ》が切断され、よろめき出た男の帯が切られ、ついで、男の右の耳朶《みみたぶ》が切り飛ばされた。  一瞬の間のことだ。 「う……」  両手を宙へ泳がせるようにして、男が両ひざをついた。死人《しびと》のような顔色《がんしょく》である。 「いえ。いわぬか!!」 「う……」  ぱっと、大治郎が右へうごくと、また一閃……。  男の左の耳朶が、切り飛ばされた。 「ああっ……」  男が悲鳴をあげ、仰向けに倒れた。  その喉《のど》もとへ大刀の切先を突きつけ、 「いわずともよい。おのれを殺してやる」  大治郎の声は、凄《すさ》まじい殺気をふくんでいる。 「あ……お助け……」 「いうか!!」  顔中を血まみれにして、男が、うなずいた。  それから間もなく……。  傷の手当をしてやった男の手足を縛り、待たせてあった駕籠へ乗せ、大治郎は、これを父・小兵衛と親しい牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》の道場へ担《かつ》ぎこませた。  ここならば、いかな曲者《くせもの》があらわれようとも大丈夫である。  牛堀は、大治郎が手短かに語る経緯《いきさつ》を聞くと、すぐさま、門人のひとりを南町奉行所へ走らせてくれた。 「牛堀先生。では、よろしく……」 「どこへ行かれる?」 「三冬《みふゆ》どののことが、案じられます。ごめん」 「奉行所の手配を待たぬのか?」 「先へ……一足先へ、まいっています」  牛堀道場を飛び出した大治郎は、淡く夕闇《ゆうやみ》がただよいはじめた江戸の町を、南へ向って走りはじめた。  急に、風が出て来たようである。      八  そこは、品川の宿場へ入って、坂道を西へのぼって行った台地で、桜の名所として名高い御殿山《ごてんやま》の北隅《きたすみ》にあたるといってよい。  現代の東京都品川区北品川四丁目のあたりで、いまは閑静な住宅地になっているが、当時、このあたりは深い木立と畑地の間に、大名の下屋敷が点在する江戸の郊外であった。  その一角に、練塀《ねりべい》に囲まれた、武家のものとも町人のものともおもえぬような邸宅がある。木立に包まれている邸内の様子は、外からはよくわからぬ。母屋《おもや》は檜皮葺《ひわだぶ》きの風雅な造りで、そのほかに茶室めいた離れ屋がある。  近辺の百姓たちは、この屋敷を、 「お匙《さじ》屋敷」  などと、よんでいる。 〔お匙〕とは、将軍家の侍医の別名で、御典医ともよばれ、格式も高い奥御医師になると御番料が二百俵。屋敷も賜わるし、諸大名が往診を請《こ》うことも多く、ある大名の大病を癒《なお》した幕府医官は、金千両の褒美《ほうび》をたまわったことさえある。  つまり、それほどの威勢をもっていたということだ。  御殿山の〔お匙屋敷〕の所有者は、山路寿仙《やまじじゅせん》といい、本邸は神田駿河台《かんだするがだい》にあるのだから、ここは別邸ということになる。  秋山大治郎が、お匙屋敷と道をへだてた雑木林の中へ身を潜めたとき、すでに、夜となっていた。  それから一刻《いっとき》ほど、大治郎は屋敷の周囲をひそかにまわり歩きつつ、その筋[#「その筋」に傍点]の手配を待ったが、一向にあらわれぬ。  夜がふけるにつれて大治郎は、もう、待ち切れなくなってきた。  これまでは、どのような異変に際しても、めったに自分《おのれ》を失うことがなかった大治郎だが、 (もはや、この上、待つことはできぬ。三冬《みふゆ》どのが危うい)  と、感じた。  というよりも、むしろ、 (三冬どのは、もはや、この世[#「この世」に傍点]の人ではないのではないか……?)  その感のほうが強かったといえよう。  それだけに、もう我慢がならなくなってきたのである。  大治郎は練塀を乗り越え、屋敷内に潜入した。  そこが、屋敷内の何処《どこ》に当るのか、さっぱりわからぬ。建仁寺垣《けんにんじがき》や内塀がいくつもあり、竹藪《たけやぶ》や木立で隙間《すきま》もない夜の闇《やみ》を掻《か》きわけるようにして、ようやくに大治郎は、母屋の一角へたどり着いた。広くも大きくもない屋敷であるが、この構え、この造りは、たしかに人目を遠ざけようとしている。  そこは、屋敷の裏手らしかった。  石畳が敷きつめてあり、前方に台所口が見える。  そのとき、台所口の大戸が開き、中から小者らしい男が二人、外へ出て来た。  それを見た瞬間、秋山大治郎は木蔭《こかげ》から走り出て、小者どもをはね[#「はね」に傍点]飛ばし、台所口から中へ躍り込んでいる。 「うわっ……」 「く、曲者《くせもの》だ!!」  わめき声を背に聞いたとき、大治郎は大竈《おおかまど》に燃えている薪《たきぎ》の火を引きぬき、つづけざまに、板の間の向うへ放《ほう》り投げ、駆けもどって組みついて来る小者二人を、峰打ちに倒し、台所から廊下へ、さらに奥へ突き進んだ。 「何者だ!!」  小廊下からあらわれた侍がひとり、刀を突き入れて来るのを前へ飛んだ大治郎が振り向きざまに兼光《かねみつ》の銘刀を打ち込み、返す刀で、目の前の襖《ふすま》を引き開けた別の男の胴を払った。  二人は絶叫をあげ、刀を放り出し、からみ合うように廊下を泳いで転倒した。  火と煙が、背後から大治郎を追って来た。  外からは人の気配もなかったような屋敷内に、男たちの怒声や足音が乱れ起りはじめた。  秋山大治郎の剣が、このときほど、激しい怒りに震《ふる》い立ったことはなかった。  闘いつつ、切り払いつつ、大治郎は一間々々《ひとまひとま》をくまなく、三冬を探しまわり、奥庭に面した茶室へも踏み込んだ。  三冬を責めた浪人と斬《き》り合ったのは、そのときである。  茶室は、池へ突き出していた。  三冬が居ないことをたしかめた大治郎へ浪人が駆け寄り、 「おのれ!!」  八双《はっそう》に剣を構えたが、大治郎は凄《すさ》まじく、一陣の旋風《せんぷう》のように肉薄し、躍りあがって、兼光を揮《ふる》った。  圧倒され、迎え撃つこともできず、池へ落ち込んだ浪人の首は、ほとんど切断されていた。  町奉行所の一隊が、四谷《よつや》の弥七《やしち》の先導で駆けつけて来たのは、このときである。  お匙屋敷は、消しとめようがないまでに炎をふきあげていた。  夜が明けたとき、お匙屋敷は完全に焼け落ちていた。  奉行所の捕方《とりかた》に縛された者は十一名。大治郎に斬られた者の焼死体は七名。そのほかに、池の中の浪人の死体である。  佐々木三冬らしい焼死体は、どこにも見当らなかった。  ところが、すっかり煙が引き、火がおさまったのち、昼ごろになって、奥の間の十|帖《じょう》の焼け跡から、地下蔵《ちかぐら》への入口が発見された。  石畳をあげると、細長い石段が下ってい、地下蔵の中のものは何一つ、燃えていなかったのである。  火災に対する万全の構築がなされていたのだ。  そのかわり、地下蔵に置いてあった四つの水瓶《みずがめ》の水は、ほとんど蒸発していたそうな。  半死半生の佐々木三冬が、救い出されたのは間もなくのことであった。  ところで……。  この密貿易一件は、公《おおやけ》にされなかった。  将軍の侍医である山路寿仙の別邸の地下蔵から、異国わたりの高貴薬や珍奇な品々が発見されたということは、取りも直さず山路寿仙が、抜け荷に関係していたことになる。  山路は、間もなく、幕府奥御医師を解任されたが、半年後に江戸から姿が消えてしまったそうな。くわしいことは何一つわからぬ。  密貿易については、幕府直属の長崎《ながさき》奉行所をはじめ、隠密《おんみつ》たちが、これを監察し、探索しつづけてきており、そのケースも多種多様にわたっている。北海道から、北国・北陸・山陰の日本海沿岸や、九州の各地において取引きがおこなわれるが、その組織《しくみ》は、まことに複雑をきわめているらしい。  九州の薩摩《さつま》藩(島津家七十七万石)の密貿易には、幕府も見て見ぬふり[#「見て見ぬふり」に傍点]をしているとのことだ。  何人も隠密をさしむけているのだが、その証拠がつかめぬからであった。このように大がかりなものは別として、北海道や、越後《えちご》を中心に、いわゆる俵物三品《たわらものさんぴん》(煎海鼠《いりこ》・干鮑《ほしあわび》・鱶鰭《ふかのひれ》)や刀剣、細工物と引き替えに、異国からの高貴薬や反物を受け取るケースが、近年は多くなったらしい、と、四谷の弥七は秋山|父子《おやこ》へ告げた。 「あの、三冬さまへ練香《ねりこう》をわたして死んだ女は、蛤町《はまぐりちょう》に住んでいた町医者・杉伯道《すぎはくどう》の姪《めい》ごさんだったそうで。さよう、杉先生も公儀の隠密だったのでございましょう。あの、筆の軸と練香はね、大先生。抜け荷のやつらが海の上で品物を引き替えるときに、香の匂《にお》いと匂いを合わせるのだそうでございます。その匂いが合わぬときは、抜け荷の商談がととのわねえというわけで……やつらの間では、大変な物らしいのでございます。それを、あの女が盗み取って江戸へ逃げて来た……まあ、そんなところではございませんかね」 「なるほど。すると、その女は越後の抜け荷を探っていたとでもいうのかな」  越後どころか、北海道までも行き、おそらくは、抜け荷仲間の情婦になっていたのだろう、そんなことはめずらしくない、と、同心・永山精之助《ながやませいのすけ》が弥七へいったそうだ。  女は、千住《せんじゅ》四丁目の旅籠《はたご》〔井筒屋〕へ旅装を解き、追手の目をくらましながら、隙《すき》を見て三《み》ノ輪《わ》から金杉《かなすぎ》へかかったところを、追手に見つけられ、追いかけられ、斬られたらしい。  この事件によって、北海道から越後にかけての、密貿易の本拠が三ヵ所と、大坂の讃岐屋《さぬきや》平助といって、四国の金毘羅詣《こんびらもう》での船を出している大きな宿屋の主人が捕えられた。この男が首魁《しゅかい》となっておこなわれていた抜け荷は、どうも、薩摩藩を通じておこなわれていたらしい。  もっとも、そのことを四谷の弥七が秋山父子へ告げたのは、二年後のことであった。 「そのほかのことは、何も知りませんでございます」  と、弥七はいった。      ○  それにしても、佐々木三冬が救出されたときの、老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》のよろこびは、非常なものであったという。  三冬が健康を取りもどすや、意次は、三冬と秋山父子を屋敷へ招き、その席で、三冬の意向をたしかめもせず、いきなり、秋山大治郎へ、 「ふつつかなむすめなれど、三冬めを妻に迎えていただけぬか。もはや、かくなっては、大治郎殿をおいて、ほかに、おたのみをする人とてござらぬ」  と、いったものである。  大治郎が満面を紅潮させ、うつ向いてしまうのへ、 「意次も、このような御役目に就いているからには、いつ、どのような変事に見舞われるやも知れぬ。いまのうちに、三冬が一生のことを安んじておきたいのじゃ。いかが? 聞きとどけてはもらえぬかな……?」 「は……」  ちらりと、大治郎が三冬をぬすみ見ると、三冬は、これも真赤になり、うつ向いたままである。  そこへ、秋山小兵衛の大声が落ちた。 「ばかもの。ありがたく、お受けをせぬか」 「は、はい」 「田沼様に申しあげます」 「何かな、秋山先生……?」 「この両人に代り、秋山小兵衛、ありがたくお受けつかまつる」 「さようか。まことじゃな?」 「いやと申さば両人を、御殿山の地下蔵へ閉じこめてしまいまする」 「かたじけない……かたじけない」  田沼意次から、いきなり、この申し出《いで》があったのは、三冬にも秋山父子にも意外であった。意次は、すでに、若い二人の間にかもし出されていたものを見ぬいていたのであろうか……。  若い、といっても、三冬は、もう二十《はたち》を二つも越えている。当時の女としては老嬢であったし、大治郎にしても二十七歳。晩婚の男といってよい。  二人の婚礼は、この年の十一月十五日に、浅草橋場の不二楼《ふじろう》で簡素におこなわれた。  田沼意次も、生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》を従え、気軽に列席をした。  白無垢《しろむく》の綸子《りんず》の小袖《こそで》に、同じ打掛。綿帽子をかぶった三冬の花嫁姿は、意次にとって、はじめて見るわがむすめの女の姿であった。  意次は、泪《なみだ》を隠そうともせず、花嫁の三冬を見まもっていたという。  このときの宴席で、田沼意次は秋山小兵衛に、 「いまこのときになって、抜け荷などがおこなわれるとは、つくづくなさけない。一日も早く国を開き、異国との交易をさかんにしなくては、いまに日本の天下は立ち行くことがかなわなくなる。そのときを夢見て、わしもはたらいているのじゃが、なかなかに、おもうようにはまいらぬ」  と、ささやき、小兵衛を愕然《がくぜん》とさせた。     川越中納言《かわごえちゅうなごん》      一  秋山大治郎《あきやまだいじろう》は、三冬《みふゆ》と結婚して間もなく、急に、大坂へ旅立つことになった。  大治郎が以前、諸国をまわっての修行中に、何度も訪れては世話になり、ときには半年近くも滞留させてもらった大坂|天満《てんま》の柳道場の主《あるじ》・柳嘉右衛門《やなぎかえもん》急死の報がとどいたからだ。  三冬との結婚を知らせた大治郎の手紙を、 「柳先生は病床にあってごらんなされ、大変に、よろこんでおられました」  と、柳嘉右衛門の高弟・菊村三吾《きくむらさんご》が早便をもって知らせてよこした。  菊村は大坂町奉行所の同心だが、人柄《ひとがら》もよく、柳先生の信頼が厚かったことを、大治郎は忘れていない。  江戸から大坂までは、百三十五里二十八丁。大治郎の脚力《きゃくりき》をもってしても十日はかかる。  それゆえ菊村三吾は、わざわざ大坂までお出向き下さってはまことに恐縮。ただ、秋山殿と柳先生生前の御交誼《ごこうぎ》を知るがゆえに、 「かく、お知らせをいたしました」  と、書きしたためてよこした。  大治郎は、この手紙を新妻の三冬へ見せて、 「すぐさま、大坂へまいらねば……」 「はい。では、お仕度を……」  といったが三冬、男の道中に必要な品々を、どのようにととのえたらよいものか、さっぱり、わからぬのである。  新婚のことでもあるし、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年は道場へ寝泊りすることをやめ、田沼《たぬま》家中屋敷の長屋に暮す母のもとへ帰り、毎朝、道場へ通って来るようになった。  それはよいのだが、いままで粂太郎の受けもちだった食事の仕度は、当然、新妻の三冬がすることになり、やってみたがどうにもならぬ。  いまでも時折、様子を見に来てくれる近くの百姓の女房に教えてもらっているようだが、 (どうも、これは、剣術のようにまいらぬ……)  のである。  火加減もわからぬし、水加減もわからぬ。  いや、三冬は、米に水を加えなくては飯にならぬということを、実に、このときまで、 (知らなんだ……)  というのだ。  それでも、何とか、飯と味噌汁《みそしる》だけはつくれるようになったが、むろん、完全ではない。  いよいよ、明日は江戸を発《た》つという前夜に、三冬が脂汗《あぶらあせ》をかきながら懸命に飯を炊《た》いている傍《そば》で、大治郎は、父の小兵衛《こへえ》がおはる[#「おはる」に傍点]にもたせてよこした鴨《かも》の肉へ塩を振り、鉄鍋《てつなべ》で煎《い》りつけてから、これを薄く小さく切り分けている。 「三冬どの……」 「は、はい……」 「米が飯に変じましたかな?」 「だ、大丈夫……かと、おもいます」 「それは、たのしみ」  今夜は何とか、うまくできた。  すこし、固めに炊けたのだが、 「それは、ちょうどよい」  と、大治郎がいった。  鉢《はち》に生卵を五つほど割り入れ、醤油《しょうゆ》と酒を少々ふりこみ、中へ煎鴨の肉を入れてかきまぜておき、これを熱い飯の上から、たっぷりとかけまわして食べる。 「大治郎さまは、あの、このような料理を、いつの間に、おぼえられましたか?」 「料理などというものではありません。男どうしが寄りあつまってすることです。だれにでもできる」 「ははあ……」  三冬の飯茶碗《めしぢゃわん》を取った大治郎が鴨入りの生卵をかけまわしてやり、 「さ、おあがりなさい」  うけ取った三冬が、 「かたじけない」  するする[#「するする」に傍点]と口中へふくみ、 「む……これはうまい」  というのだから、まるで新婚の夫婦とはおもえないのだ。  おはるが、そっと小兵衛に、 「奇妙な夫婦ができあがったものだねえ、先生」  といったそうな。  食事の仕度もさることながら、いま、三冬がもっとも困惑しているのは、長年にわたり身についてしまった男装をやめ、女の姿になったことだ。女の着物を身につけても胸を張り、両足をひろげて歩む癖がついているので、どうにもならぬ。男装ならば袴《はかま》をつけているから、女の身ながら両足を張って歩むことも平気だが、女の着物だと、そこは股《もも》を合わせて歩まないと、いかに三冬でもはずかしい。しかし、そうやって歩むと転びそうになってしまうのだ。 (はて……女になるのは、むずかしいものじゃ)  なのである。  それに、いままでの若衆髷《わかしゅわげ》が急に伸びるわけのものではない。これは髪をうしろへ垂らし、その先を紫縮緬《むらさきちりめん》をもって包んだのは、ほかならぬおはるの考案であった。  帯も、いくらか細目にし、六十年ほど前の享保《きょうほう》の時代《ころ》の女がしていた水木結《みずきむす》びにした。  きりっ[#「きりっ」に傍点]とした童顔の三冬に、これが意外に似合う。 「大治郎さま……」  と、三冬が、大治郎と一つ臥所《ふしど》に身を横たえるや、甘え声を出し、 「あの……あの……」 「あの?」 「お早く、おもどりに……」 「心得ています」  大治郎も呼吸が荒くなり、 「三冬どの……」  抱き寄せて、三冬のえりもと[#「えりもと」に傍点]から大きな手を差し入れ、武骨に乳房をまさぐる。 「ああ……」 「三冬どの……」 「ああ……」  三冬は無我夢中の態《てい》で双腕《もろうで》も露《あらわ》に大治郎のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]を巻きしめ、喘《あえ》ぎに喘ぐ。  真剣を抜きはらって強敵に立ち向っても呼吸ひとつ乱さぬ佐々木三冬……いや、秋山三冬が、いまにも息が絶えぬばかりに喘ぐのである。  剣術のほかに、このような、すばらしいもの[#「すばらしいもの」に傍点]があろうとは、結婚前の三冬の、まったく予期せざるところであったといえよう。  そして、それはまた、大治郎にとっても、同様のことだったにちがいない。      二  翌朝。  秋山大治郎は、江戸を発《た》った。  三冬《みふゆ》のほかに、父の小兵衛。それに四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》が高輪《たかなわ》の七軒茶屋まで、大治郎を見送った。  つい三月《みつき》ほど前に、秋山|父子《おやこ》は、大坂へ帰る剣客《けんかく》・小針又三郎《こはりまたさぶろう》を、此処《ここ》まで見送りに来たものだ。 「大坂では、小針の又さんにも会えような、大治郎」 「はい。小針さんも、柳嘉右衛門先生には、ずいぶんと可愛《かわい》がっていただきましたから、さぞ、ちからを落していましょう」 「うむ、うむ……」 「では、行ってまいります」 「気をつけてな」 「はい」  背を見せかける大治郎へ小兵衛が、 「これ。新妻に何かいうてやらぬのか……」 「いや、別に……」 「よろしいのです」  大治郎と三冬が同時にいった。  それでも大治郎は、品川の方へ遠去かりながら、塗笠《ぬりがさ》を高々と打ち振って見せた。 「それ、三冬どの。あれは、お前さまへ打ち振っているのでござるぞ」  と、小兵衛。 「はい」  三冬も、しおらしげに手をあげ、小さく振った。 「それでは、大治郎の目にとどきませぬぞ。もっと大きく打ち振るがよろしい」 「先生。もう、それくらいにしておあげなさいまし」  と、弥七が、三冬をしきりにからかう小兵衛をたしなめた。 「は、はは……ときに弥七。いますこし、酒をのみたくなってきた。どうじゃな?」 「朝っぱらから、よろしいので?」 「なあに、かまわぬ。もう師走《しわす》だというのに、どうじゃ。まことに、おだやかな朝ではないか。こうした朝に、のむ酒はうまいぞ」 「そりゃまあ、そのとおりでございますがね」 「さ、もどろう。三冬どのも……いや、嫁女《よめじょ》どのもまいられい」 「はい、父上……」 「や……」  と、小兵衛が目をみはって、 「はじめて、父とよばれましたな」 「私も、はじめて嫁とよばれました」 「あ……まことに、そうじゃ」  晴れあがった冬の朝空の下に、旅立つ人、見送る人びとも、このあたりへあつまって来はじめた。 〔七軒茶屋〕は、芝の田町九丁目の外れにあり、休み茶屋や飯屋など七軒がたちならんでい、ここで、旅立つ人を見送るために待ち合せたり、江戸へ帰って来る旅人を出迎えたりする。  小兵衛たちも、大治郎を囲み、〔亀屋《かめや》〕という休み茶屋で別れの盃《さかずき》をくみかわしたばかりであった。 「海を見ようか……」  と、秋山小兵衛は先に立ち、亀屋の二階へあがって行った。  二階も入れ込みの大座敷で、うしろは品川の海である。  岸辺へ寄せる静かな波の音も、座敷いっぱいの人びとの声に掻《か》き消されてしまっていた。  小兵衛は弥七を相手に、熱々《あつあつ》の餡《あん》かけ豆腐《どうふ》で酒をのみながら、障子を少し開け、海をながめ、三冬は餅《もち》を食べた。 「嫁女どのは、少々、肥えましたな」 「さようでございましょうか」 「剣術の稽古《けいこ》は、もう、おやめになったか?」 「いえ、あの……なれど、私は、もはや秋山大治郎の妻でございますゆえ……」 「なれば、あれほどに好まれた剣の道を絶つ、と申される……?」 「はあ……」 「真実は、木太刀《きだち》を取って稽古をなさりたいのであろう。ちがいますかな?」 「あの、それは……」 「かまいませぬ。おやりなさい」 「何と申されます……?」 「この父が相手をつとめてもよろしい」 「ち、父上……」 「大治郎にしても、そのほうがよいのではあるまいかな……?」 「さようでございましょうか?」 「先日、わしが隠宅へまいった折、何も急に、稽古をやめることもないのにと、かように申していたが……」 「大治郎さまが?」 「さよう。せがれは、あのような男でござる。強《し》いて申さば、男装の女武道に惚《ほ》れたのでござるよ」 「ほれた[#「ほれた」に傍点]、と、おっしゃいますのは?」  傍で聞いていた弥七が、たまりかねて吹き出した。 「弥七どの。何が可笑《おか》しい?」 「いえ、その、三冬さま……別に、何でもございません」 「いや、なに……」  と、秋山小兵衛の両眼《りょうめ》が、めずらしく潤《うる》みかかって、 「このような嫁ごをもろうて、大治郎めは、まことに仕合せなやつじゃ」 「父上。まことに、さようおもわれますか?」 「まことも嘘《うそ》もござらぬ。三冬どのが他《ほか》の女性《にょしょう》より特に優れていると申すのではない。ただ、大治郎にとって、かほどに似合いの妻を得たことが仕合せと申したのじゃ」 「うれしゅうございます。父上に、そういっていただき、三冬、いまはじめて安堵《あんど》いたしました」  と、以前は男を男ともおもわぬ女武道の三冬が、つつましく両手をつき、これも目に熱いものをたたえ、 「ふつつかなれど、これより精一杯につとめまするゆえ、父上、何分よろしゅうおみちびき下さいますよう」  こういったのには、四谷の弥七もびっくりしたようである。  しばらくして……。  三人は亀屋を出た。  いや、出ようとして秋山小兵衛が、はっ[#「はっ」に傍点]と、土間の戸障子の蔭《かげ》へ身を引いた。 「大《おお》先生……どうなさいました?」 「弥七。ほれ、向うの、荷をつけた馬の、こちら側を歩いて来る男な……」 「え……あ、妙な姿の?」 「うむ……」 「町医者が、品川から朝帰りをしているような恰好《かっこう》でございますね。それにしては大小を腰にしているのが、どうも妙な……」 「妙な男《やつ》ゆえ、妙なのじゃよ」  三冬も、小兵衛のうしろへ隠れている。 「大先生。それにしても、品のよい顔だちの、何とも、いい男でございますね」 「十年前にくらべると、いささか、値も落ちたがな……」 「あれは、いったい……」  いいさして弥七が、さらに身を引いた。  件《くだん》の男は、亀屋の方《かた》を通りすぎて行く。 「たのむ、弥七。あいつが何処《どこ》へ行くのか、たしかめてくれぬか。なれど油断は禁物じゃぞ」 「承知いたしました」  そこは四谷の弥七である。むだ[#「むだ」に傍点]な反問などせずに、すぐさま、ふわり[#「ふわり」に傍点]と亀屋から出て行った。 「父上。あの男は……?」 「あの男が、江戸にいようとはおもわなんだ。見ぬうちは仕方もないが、見たからには放ってもおけまい」 「あの、やさしげな歩きぶりの中にも、隙《すき》がありませなんだ」 「さすがに三冬どのじゃ。よう看《み》て取りましたな」  いよいよ人通りがはげしくなった往還へ出た秋山小兵衛が、 「弥七ならば、何とか後をつけられよう」  つぶやいたものである。      三  三冬《みふゆ》は、この夜、小兵衛の隠宅へ泊ることにした。  夫の旅行中に、新妻がひとりきりで、橋場《はしば》の外れの一軒家に留守番なぞしていて、泥棒《どろぼう》にでも入られたら物騒だというのではない。ひどい目[#「ひどい目」に傍点]に合うのは泥棒のほうであろう。  三冬は、おはる[#「おはる」に傍点]が台所で煮炊《にた》きするのを、 「手伝わせていただきたいのです」  と、いった。  いまは舅《しゅうと》となった秋山小兵衛に、ふたたび剣術の稽古《けいこ》をゆるされた三冬は、実にうれしそうであったが、同時に、人妻としての自分の不足を補おうとする心情が生れる。そこが、もう以前の三冬ではなくなってきているのだ。  夕暮れになり、三冬がおはると共に台所へ入り、 「ふうむ……魚《うお》は、こうしてさばくものなのか……」  などと、ひとりで、しきりに感心をしている。  そこはさすがに女武芸者であっただけに、おはるがちょっと教えると、 「よし。母上、やってみます」  すぐにおぼえ、庖丁《ほうちょう》のあつかい方も危なげがないのだ。 「あれまあ、三冬さままでが母上っていうよう」  と、おはるはすっかり照れている。  四谷《よつや》の弥七《やしち》が隠宅へあらわれたのは、ちょうどそのときであった。  小兵衛は、入って来た弥七を見るより早く台所へ行き、湯のみ茶碗《ぢゃわん》へ冷酒をみたして来て、 「間もなく、飯の仕度ができようから、先《ま》ず、こいつを引っかけておくれ」 「これはどうも、恐れ入りました。では、さっそく……あ……これはどうも、いい酒でございますねえ」 「不二楼《ふじろう》が届けてくれたのじゃよ」 「大先生。あの[#「あの」に傍点]男でございますが……」 「おお、どうした?」 「日暮里《にっぽり》の、道灌山《どうかんやま》の西側に、佐竹様の御下屋敷がございますね」 「うむ、うむ……」 「その御下屋敷と小道をへだてた西側の谷間《たにあい》に、妙源寺《みょうげんじ》という小さな寺がございます」 「あの男、その寺へ入って行ったのか?」 「さようで」 「御苦労だったな、弥七」 「それだけで、いいのでございますか?」 「ま、あとは、わしひとりで……」 「ついでに、妙源寺のことを、近所で当ってみましたが、小さな寺でも大きな檀家《だんか》をもっているらしく、庫裡《くり》も去年に新しく建て直したそうで……」 「ほう……」  小兵衛の両眼が、煌《きら》りと光った。 「しばらく見張っておりましたが、何事もないようなので、ともかく、このことをお知らせ申します。よろしかったら、あの男のことをお洩《も》らし下さいませんか、大先生。私も、何かお手伝いをさせていただきとうございます」 「あの男は、川越中納言《かわごえちゅうなごん》といってな」 「ちゅうな[#「ちゅうな」に傍点]……すると、京の御公家《おくげ》さまなので?」 「いやなに、わしがつけた渾名《あだな》よ。どうじゃ、弥七。あの男、ちょいと美《い》い面《つら》がまえで、公家|面《づら》をしているだろう?」 「いえ、私はまだ、お公家さんなんてものを見たこともございませんが……なるほど、そういえば、妙に品がよくて、おさまりかえって歩いておりました」 「天下《てんが》に、自分ほど美い男はないとおもっているやつさ。あれでもう、たしか四十を越えているはずだ」 「へへえ……とても、そうは見えません」 「きゃつめの実家は、武州・川越城下の小間物問屋・山城屋忠兵衛《やましろやちゅうべえ》で、わしの道場へ来ていたころは、小野半三郎《おのはんざぶろう》と名乗っていた」 「では、あの男が剣術を……」 「弥七。お前も、わしのもとで大分に修行をしたが、中納言にはかなうまい」 「そういえば、どこかちがっておりました。後をつけて行くうちに、あの男の二つの目が背中にもついているような気がいたしましたよ」 「お前だから、うまく、後をつけ遂《おお》せたのじゃ」  小野半三郎が小兵衛の門人となったのは、秋山小兵衛が、十五歳になった一人息子の大治郎を、山城の国|愛宕《おたぎ》郡|大原《おはら》の里へ引きこもった恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》の手もとへ修行に差し出してから、間もなくのことだ。  当時、小兵衛は四谷の仲町に小さな道場を構えてい、門人も、かなりいたのである。  小野半三郎を、 「ぜひとも、たのむ」  と、小兵衛に引き合せたのは、四谷御門外に屋敷を構える三千石の大身旗本・川口左京義近《かわぐちさきょうよしちか》であった。  川口左京は、二人の子息のほかに家来たちをも小兵衛の道場へ通わせていたし、道場の後援者でもあったから、むろん、小兵衛に否《いな》やはなかった。  横山町一丁目に、〔日野屋〕という高級小間物をあつかう店があって、これが、川口屋敷へ出入りをしており、その日野屋の主人《あるじ》清七から、川口左京がたのまれたのだそうな。  日野屋清七は、川口左京へ、こういった。 「実は、小野半三郎さんは、川越の山城屋の実子ではございません。くわしい事情《わけ》は存じませぬが、ともかく、幼少のころから剣術の修行をなさって、行く行くは剣術のほうで身を立てたいのだそうでございます。それには、やはり、御ひざもと[#「御ひざもと」に傍点]の江戸で身を立てたい。また、いますこし、修行をしてみたいということで、私が山城屋からよくよくたのまれましたのでございます」  半三郎は、少年のころから剣術が好きで、川越城下に無外流《むがいりゅう》の道場をもっていた五十嵐専蔵《いがらしせんぞう》のもとで修行を積み、長じてからは、山城屋忠兵衛に金を出してもらい、諸国をまわって業《わざ》を磨《みが》き、数年前に川越へ帰り、江戸へ出る機会を待っていたというのである。  秋山小兵衛は、同流の五十嵐専蔵の名を耳にしていた。  当時、五十嵐は、すでに病歿《びょうぼつ》している。 「では、お引き受けいたしましょう」  と、小兵衛は川口左京にいい、小野半三郎を門人にした。 「そのころ、半三郎は、たしか駒込《こまごめ》の吉祥寺《きっしょうじ》の裏手にある〔植甚《うえじん》〕という植木屋の離れを借りて、そこから、わしの道場へ通って来ていたようじゃ」  と、小兵衛が弥七に、 「いや、半三郎の剣を見ると、たしかに強い。そのころ、わしの道場にいた門人のうちで、どうにか半三郎に勝てるのは、三人ほどしかいなかった」 「そんなに、強いので?」 「あ、待て」 「え……?」 「強いというより、巧《うま》いのじゃよ」 「ははあ……」 「そこでな。一月《ひとつき》ほどたってから、わしがおもいきり叩《たた》きのめしてやったのじゃ。すると半三郎め、きびしく叩き打たれたのがおもしろくないというので、ぷいと道場から出て行って、もう二度と帰って来なかったわい。よほどに虚栄の心の強《きつ》い男よ」 「なるほど。そういうことだったのでございますか」 「ふ、ふふ……それだけのことで、わざわざ四谷の親分を煩《わずら》わすものかえ」 「では、別に何か……?」 「そうとも。それから、あの川越中納言め。とんでもないことを仕出かしたのじゃよ」  そこへ、おはると三冬が夕餉《ゆうげ》の仕度をととのえてあらわれたので、二人のはなしは中断された。  しかし四谷の弥七は、この夜、ついに伝馬町《てんまちょう》の我が家へ帰らなかった。  泊りこみで、小兵衛のはなしを聞いたのである。  三冬とおはるは、奥の間に寝た。  小兵衛の居間で、枕《まくら》をならべながら、じっくりと〔川越中納言〕のことを聞き終えた弥七が、 「これは大先生。とんでもないことでございます。これは私が、ぜひとも御用を……」 「まあ、待て」 「ですが、大先生……」 「どうじゃ、弥七。わしに手伝わせてくれぬか。わかるだろう?」 「え、それは……」 「この事件《こと》は特別の御用だ。な、そうではないかえ?」  と、意味ありげにささやいた秋山小兵衛の意中を、四谷の弥七は敏感に察知したらしく、 「おっしゃるとおりでございますね」  と、こたえた。 「さ、もう寝《やす》もう。万事は明日のことじゃ。弥七、大治郎は今夜、どこへ泊ったかな?」 「若先生の足は速《はよ》うございます。さよう、一気に平塚《ひらつか》あたりまで飛ばしたのじゃあございませんかね」 「そうかも知れぬなあ……ときに弥七。ばかに冷えてきたのう」 「そういえば……」 「炬燵《こたつ》がないと寒いわい」 「何でございますって……大先生が炬燵をお入れなさる。こいつは初耳でございます」 「冗談ではないよ。ときどき、わしだって炬燵を入れるさ。お前だって入れるだろう、寝るときに」 「とんでもねえことを……そんな意気地なしではございませんよ」 「なあに入れるさ。入れているさ」 「いいえ、大先生……」 「これ、弥七」 「え……?」 「わしの炬燵はな、今夜は奥の座敷へ行ってしまったよ」  これには弥七も、あきれて返事もできなかった。      四  それから、十日ほどがすぎた。  秋山大治郎が大坂へ到着したのも、そのころであったろう。  この十日の間、秋山小兵衛夫婦や三冬《みふゆ》に、別だん、変ったところは見られなかったようだ。  稽古《けいこ》をゆるされた三冬は、一日置きに、田沼屋敷内の道場へ通い、家来たちへ剣術を教えていたし、橋場の家にいるときは、飯田粂太郎《いいだくめたろう》の稽古台になってやっている。  小兵衛は、ほとんど外出《そとで》をせず、隠宅へ引きこもってい、退屈をすると、本所亀沢町《ほんじょかめざわちょう》の町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》のもとへおはる[#「おはる」に傍点]を使いにやり、宗哲に隠宅へ来てもらって、碁を囲むのである。  四谷《よつや》の弥七《やしち》は、時折、姿を見せ、何やらひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]と小兵衛と語り合っていた。  弥七が来ないときは、傘《かさ》屋の徳次郎が弥七の手紙を小兵衛へ届けに来たのである。  さて、その日の朝になって……。  小兵衛は、おはるを使いにやり、三冬を隠宅へよんだ。 「父上。何か、急な御用とか……?」 「おお、さよう。一肌《ひとはだ》ぬいでいただきたいのじゃ」  そういわれて三冬が、何を勘ちがい[#「勘ちがい」に傍点]したものか、 「ま……」  顔を赤らめて、うつ向いてしまった。  本当に、肌をぬぐのだとおもったらしい。 「これ、嫁女《よめじょ》どの。そうではない、そうではない。そのようなことをしたら、わしが大治郎に叱《しか》られてしまう。いやなに、ちから[#「ちから」に傍点]を貸してもらいたいということなのじゃ」 「あ……さようでございましたか」 「おはるにも、手伝《てつど》うてもらうつもりなのじゃ」  打ち合せをすませたのち、三冬は、おはるの舟に乗って我が家へ帰り、身仕度をととのえ、待っていたおはると共に引き返して来た。  小兵衛の隠宅には、昨日の昼すぎから、おはるの父親で、関屋村の百姓・岩五郎が、 「いざというときの留守番……」  をするため、泊りこんでいた。  まだ明るいうちに、小兵衛たちは腹ごしらえをすませ、おはるは老夫のために、竹製の水筒へ酒をつめた。  そのうちに、徳次郎があらわれた。 「おお、徳かえ。どんなぐあい[#「ぐあい」に傍点]じゃ?」 「そろそろ、お出張《でば》り下さるようにと、親分が申します」 「そうか、よし。では関屋村の親父《おやじ》どの。留守をたのみましたぞ」 「へい、へい。行っておいでなせえまし」  傘徳が先に立ち、小兵衛たちは隠宅を出た。  三冬は例の女の姿で、おはるは髪をゆい直し、町娘の風体《ふうてい》となっている。  女たちは、浅草|山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕まで来て、町駕籠に乗り、これに小兵衛がつきそい、上野の不忍池《しのばずのいけ》に沿った道を東から北へまわり、谷中《やなか》へ入ったとき、日はとっぷりと暮れた。  傘徳は、先行している。  谷中から天王寺門前へ出ると、〔蔦屋《つたや》〕という茶店があり、四谷の弥七と徳次郎は、ここで小兵衛たちの到着を待っていた。  駕籠も中へ入れ、二人の駕籠|舁《か》きへ小兵衛が、 「まあ、ゆっくりと酒をのんで待っていてくれ」  と、いった。  蔦屋の老夫婦の息子で新助というのが、実は、弥七の女房・おみね[#「おみね」に傍点]が経営する料理茶屋〔武蔵屋《むさしや》〕で長らく料理人をつとめており、蔦屋では弥七が来ると下へも置かぬ。  戸締りをした蔦屋から、先《ま》ず、傘屋の徳次郎が出て行き、しばらくしてから、小兵衛・弥七・三冬・おはるの四人が出て行った。  件《くだん》の川越中納言《かわごえちゅうなごん》が姿を隠したという日暮里《にっぽり》の妙源寺《みょうげんじ》は、ここからも程近い。  やがて四人は提灯《ちょうちん》のあかりを消し、妙源寺の南側から、木立の中をしずかに近寄って行った。  前方の右手に佐竹|侯《こう》の宏大《こうだい》な下屋敷。その向うは道灌山《どうかんやま》で、物の本に、 「……一名を城山《しろやま》ともいえり。往古《むかし》、太田道灌江戸城にありしころ、出張《でばり》の砦城《とりで》とせし跡なりともいい伝う。此地《このち》、すこぶる薬草多く、採薬《さいやく》の輩《ともがら》、常に此地へ来《きた》れり、ことに秋のころは松虫鈴虫露にふりいでて清音《せいいん》をあらわす。よって、雅客幽人《がかくゆうじん》ここに来り、風に詠《えい》じ、月に歌《うと》うて、その声を愛せり」  などとあるように、江戸時代のこのあたりの風色《ふうしょく》は、現代の人びとの目からは想像もつかぬほどに鄙《ひな》びていたのである。  風は絶えていたが、闇《やみ》は凍りついているかのようだ。 「うう、寒《さむ》……」  おもわず、ふるえ声でいいかけたおはるを、小兵衛が「叱《し》っ……」と睨《にら》んだ。  闇の底から、傘屋の徳次郎があらわれ、 「親分。やっぱり今夜ですぜ。十人ほど、あつまっているようで……」 「そうか、よし」  すると小兵衛が、 「弥七。これまで、二人きりではたらいてくれたのかえ?」 「いえ、四、五人、たのみましたので」 「そうだろう、そうだろう。費用《ついえ》は後で払うよ」 「何をおっしゃいます」 「その連中、口は堅いだろうな?」 「ええもう、みんな、叩《たた》けば埃《ほこり》の出る奴《やつ》らばかりですから、他人のことなぞ、どうでもいいんでございます。金にさえなれば、何でもやってのけてくれます」 「そういう者《の》も飼っておくのかえ?」 「お上《かみ》の御用をつとめるには、きれい事[#「きれい事」に傍点]にはまいりませんので」 「もっともじゃ」  徳次郎の手引で、四人は、いつの間にか木立をぬけ、妙源寺の境内へ出ようとしていた。  前方の鐘楼のところに人影が二つ、星明りに見えた。 「あれが、この寺の見張りでござんす」  と、徳次郎。  小兵衛が、三冬へ目顔で、うなずいて見せた。  三冬は心得て、おはるの手を引き、境内へ出て行った。  そして、三冬のほうから、 「もし……もし……」  よびかけながら、二人の見張りへ近寄った。二人とも一目で無頼の男たちと知れる。 「おや……何だ、てめえ……?」 「女じゃあねえか」 「はい。今夜の御席にまいるのが遅れまして……」  と、これは、おはるが小兵衛から教えられたとおりに、せいぜい、色気を見せていう。  すると、二人が顔を見合せ、 「ふむ、そうか……」 「ともかく、おれが聞いて来よう」  一人が、庫裡《くり》の方へ行きかけた前面へ、ひらりとまわった三冬。小兵衛から借りた鉄扇を揮《ふる》って、そやつ[#「そやつ」に傍点]のくびすじの急所を強打した。 「むう……」  よろめき倒れ伏した男に気づき、 「あ、何を……」  別の男がいいかけたときには、早くも、三冬の突き入れた鉄扇が、そやつ[#「そやつ」に傍点]の脾腹《ひばら》に沈んだ。 「う……」  こやつも倒れる。  倒れた二人を弥七と徳次郎が木立の中へ運び込むと、どこからあらわれたのか、弥七の手の者四人が気絶した二人を引き取った。  小兵衛は、あたりを見まわしつつ、 「三冬どの。おはる。うまくやったのう。その調子、その調子。なれど気をつけるがよい。まだ、見張りはいようから……」  木立から出て来た弥七と徳次郎をふくめた五人は、地を這《は》うようにして、庫裡へ近づいて行った。  本堂は茅《かや》ぶき屋根の古びたものだが、去年、新築したという庫裡は瓦《かわら》ぶきの大屋根で、まことに立派なものであった。      五  妙源寺の庫裡《くり》は、一応、書院造りになっている。  その奥の〔二の間〕とよばれる十五畳敷きの室房《しつぼう》で、異様な光景が展開していた。  五つの燭台《しょくだい》の大蝋燭《おおろうそく》の照明を受け、全裸の男女が緋色《ひいろ》の夜具の上で烈《はげ》しくからみ合っているのだ。  これを、十人の男たちが喰《く》い入るように見つめている。十人のうちの三人は立派な身なりの武家であった。残る七人は、いずれも商家の主人と見てよいが、十人ともに、白絹の頭巾をかぶり、ぎらぎらと光る双眸《そうぼう》だけがのぞいている。  男に嬲《なぶ》りつくされ、息も絶え絶えに喘《あえ》いでいる女の肉置《ししおき》はゆたかで、白い全身が興奮の血の色に染まり、汗に光っている。  それに引きかえ、中年の男のほうはうす[#「うす」に傍点]汗も浮べず、年齢には似合わぬ引きしまった五体を得意げに律動させるかと見ると、つぎには微妙に顫動《せんどう》させる。  女は歯を喰いしばり、声を立てまいとするが、耐えかねて叫び、うめく。  見物の男たちは身を乗り出し、しきりにくび[#「くび」に傍点]をまわしたり、両ひざを立てたりして、男女の媾合《こうごう》を出来るかぎり違った角度から見物しようとする。  夜ふけの寺院の中で、このような〔見世物〕がおこなわれていようとは、だれも考えおよばぬことであった。  男が激しく律動するたびに、肩まで垂れた総髪がゆれうごく。  眉《まゆ》は細くうすいが、切長《きれなが》の両眼《りょうめ》といい、かたちのよい鼻すじといい、錦絵《にしきえ》の役者がぬけ出したような……というよりも、そうした類型の美男にはない品格がある顔だちで、彼の傲慢《ごうまん》な目の光さえも、天性そなわった気品をさらに高めているかのようにさえおもわれた。  こういう男が、十人もの見物の前で淫猥《いんわい》きわまる行為をしてのけているからこそ、刺激は層倍のものとなる。  この男が川越|中納言《ちゅうなごん》こと小野半三郎なのである。  女は、もう、たまりかねて、くろぐろとした腋毛《わきげ》も露《あらわ》に両腕を上へ突き伸ばし、狂人のごとくのたうちまわりはじめた。  室房には得《え》もいわれぬ熱気と、見物の男たちがもらす喘ぎが異様な音響となってたちこめている。 (半三《はんざ》め……またしても……)  と、秋山小兵衛は、このありさまを、入側《いりかわ》と室房をへだてた舞良戸《まいらど》の隙間《すきま》から見とどけていた。  小兵衛は、ここへ潜入するまでに、三冬《みふゆ》とおはる[#「おはる」に傍点]を巧みにつかい、鐘楼の二人をふくめて六人の見張りを打ち倒している。  おはるは、弥七《やしち》の手の者に送られ、一足先に蔦屋《つたや》へもどって行ったが、三冬のみは、玄関|傍《わき》の小間に押し込め、猿《さる》ぐつわを噛《か》ませ、手足を縛しておいた見張りの無頼どもを見張っている。  四谷《よつや》の弥七と徳次郎は、いま、小兵衛が潜んでいる入側と反対の、〔一の間〕の向うの入側に潜み、小兵衛の合図を待っている。  一の間には、これも無頼の男が二人に、浪人ふうのが二人、酒をのみながらひかえていた。彼らも、熱演中の小野半三郎も、六人の見張りがことごとく悲鳴もあげず打ち倒されたことに、まったく気づいていない。  傘屋の徳次郎の報告によると、この寺の和尚《おしょう》や住僧たちは、みな、本堂でねむっているらしい。 (さて、どうしてくれようか……?)  小兵衛は戸の陰へ屈《かが》み込んで、くび[#「くび」に傍点]をひねった。      ○  十余年前に、秋山小兵衛道場を去ってのちの小野半三郎について、おどろくべき事実が判明したのは、一年後のことであった。  それより先の……半三郎が道場へあらわれなくなってから十日ほどすぎた或《あ》る日に、突然、秋山家の下女でおみつ[#「おみつ」に傍点]という十八になるむすめも姿を消してしまった。  当時、大治郎を生んだ小兵衛の先妻・お貞《てい》は病歿《びょうぼつ》してしまってい、小兵衛はひとりで気をもみ、おみつの実家がある葛飾《かつしか》の松戸へも問い合せたが、帰ってはいないという。  むろん、このことはお上へ届け出たが、さすがの小兵衛も、 「よもや、あの、田舎から出て来て一年にもならぬ小娘が、小野半三郎の毒牙《どくが》にかかっていたとは、おもいおよばぬところ……」  だったのである。  口数は少ないが、よくはたらいてくれて、化粧の気もない浅ぐろい顔が可愛《かわい》らしく、 (いずれは、よい相手を見つけて嫁がせてやろう)  とさえ、小兵衛はおもっていたのだ。  それが、半三郎の餌食《えじき》になろうとは、気《け》ぶりにも見えなかっただけに、おもいおよばなかった。  ところが、一年後に……。  小兵衛が目黒の不動堂へ参詣《さんけい》をしに行った帰途、白金《しろかね》の瑞聖寺《ずいしょうじ》門前の茶店へ立ち寄り、そこではたらいているおみつを発見した。  見るかげもなくやつれ果てたおみつは、小兵衛を見て逃げようとしたが、 「待て」  小兵衛の一声に足がすくみ、そこに泣きくずれたのである。  小兵衛は、茶店の老夫婦に事情をはなし、四谷の道場へ、おみつを連れ帰った。茶店の夫婦が語るところによると、つい五日ほど前の早朝、老爺《ろうや》が茶店の戸を開けると、戸の前におみつが伏し倒れていたのだそうな。  助け起して中へ入れ、介抱をしてやり、あたたかい粥《かゆ》をあたえると、おみつは貪《むさぼ》るようにして食べた。 「何もいわずに、すこしの間、ここではたらかせて下さいまし」  と、おみつが必死の面《おも》もちでたのむものだから、人のよい老夫婦は、 「もうしばらくして、体が元通りになったら、ゆっくり、はなしを聞くつもりでいたのでござりますよ」  と、小兵衛へ語った。  小兵衛の家へ連れもどされたおみつは、なかなかに口を割らなかったが、小兵衛の誘導|訊問《じんもん》と、やさしい説得に負け、ついに、すべてを語った。  つまり、おみつは、小野半三郎に肌身《はだみ》をゆるし、誘惑されて秋山家を出奔したのち、十年後のいま、妙源寺の庫裡で、見物を前にして半三郎がおこなっているような淫事《いんじ》の相手をつとめさせられていたのであった。  場所は、渋谷《しぶや》・広尾にある長円寺《ちょうえんじ》という寺だったそうな。 「あの、川越中納言めが、そのようなことを……」  小兵衛は、あきれ果てた。  小野半三郎は、高い見料を取るばかりでなく、客となった人びとを、その後も強請《ゆすり》にかける。見物は、いずれも、身分がある武士や、商家の主人などで、現代ならともかく、当時、そのようなことが世間へ知れたら一大事となる。もちろん、お上は、このような淫事をゆるしていない。おこなった者も、見た者も同罪であるから、一時の好奇心を押えかねて見物したが最後、半三郎にまとわりつかれ、二度三度と大金を捲《ま》きあげられることになってしまう。 「ふ、ふふ……中には、私を殺害せんとして、刺客《しかく》をさし向けた大身の武家もいるが、いずれも返り討ちにしてくれた」  と、半三郎が、長円寺の和尚へはなしているのを、おみつは耳にはさんだこともあった。  おみつは、一年の間に、恐るべき小野半三郎の体の魔力に魅入《みい》られてしまい、はじめは、 「いっそ、死んでしまいたい……」  ほどに恥ずかしく、恐ろしかった見物の前での媾合にも馴《な》れ、 「馴れた自分があさましく、そらおそろしく[#「そらおそろしく」に傍点]なって……」  それはもう、おみつにいわせると、 「地獄に落ちたような……」  明け暮れであったという。  そして、小野半三郎の許《もと》を逃げ出した動機は、 「近いうちに、江戸をはなれ、上方《かみがた》へまいるゆえ、そのつもりでおるがよい」  半三郎に、そういわれたからである。  上方といえば江戸から百何十里もはなれてい、おみつにとっては、まるで夢のように遠い国々ではないか……。  それほどに遠いところへ行ってしまっては、松戸にいる父母や弟妹にも二度と会えまい。  こうなったら、なんとしても、この淫欲《いんよく》の泥沼《どろぬま》から這《は》いあがらねばならぬと、おみつは、ついに脱走の決意をかためた。  それというのも、そのときのおみつは、小野半三郎の美貌《びぼう》と甘言に恍惚《こうこつ》となっていたときの彼女ではなくなっていたからである。半三郎の悪業を嫌《いや》というほど、知りつくしていたからだ。ただ、半三郎の体にひきこまれて、どうしようもなかったのである。半三郎への、ひたむきな愛情は、すでに消え果てていて、それだからこそ、脱走の決心もついたのであろう。  おみつが語り終えたとき、秋山小兵衛は暗然となった。  とりあえず小兵衛は、おみつを松戸の両親のもとへ引きわたし、それから先《ま》ず、後援者の川口左京へ事実を打ち明けた。  川口左京はおどろいて、小野半三郎のことをたのみこんだ出入りの小間物屋・日野屋清七を問いつめると、日野屋は、たちまちに顔面|蒼白《そうはく》となった。  日野屋も、半三郎の犠牲者だったのである。  川越の小間物問屋・山城屋忠兵衛《やましろやちゅうべえ》と日野屋の関係は、嘘《うそ》ではない。山城屋からも「自分の子になっている半三郎をよろしゅうたのむ」と、手紙が来ている。  だが、もしやすると山城屋も、 (半三郎に噛みつかれているのやも知れぬ……?)  と、小兵衛はおもった。  小兵衛と川口左京は、さらに、渋谷の長円寺へおもむき、和尚を問いつめた。  和尚は、金百両を半三郎にもらい、庫裡を淫事の場所に貸していたことを白状した。  すでに、小野半三郎は江戸を去っていた。  長円寺の和尚の自白によると、犠牲者の中には、おもいもかけぬ武家や商家の主人がいたので、川口左京も、 「これは秋山先生。この事件《こと》を公《おおやけ》にしたならば大変なことになろう。大身の旗本は切腹をおおせつけられようし、商家は取りつぶされてしまうであろう。そうなれば家族から奉公人たちへまで累《るい》がおよぶことになるゆえ、これは、どこまでも内密にいたしたほうが……」  と、いう。  小兵衛も同意見であった。  憎むべきは、 「中納言の半三郎」  であって、見物の人びとは殺人を犯したわけでも盗みをはたらいたわけでもない。男ならば、だれもが胸底にもっている好奇心と誘惑にそそのかされたまでなのだ。  小兵衛と川口左京は、目をつむることにした。  川越の山城屋についても、放《ほう》り捨てておくことにした。  なにぶん、川越は江戸御府内を十二里はなれた松平家十五万石の城下である。  事件を公のものとしない以上、他国の人である山城屋を調べるわけにはまいらぬ。  しかし一応、小兵衛は、小野半三郎の行状について手紙に書きのべ、川越の山城屋へ送ったけれども、ついに返事は来なかった。 「そのとき、な……」  と、秋山小兵衛が四谷の弥七へ、 「長円寺と日野屋から、それぞれ三十両ずつ、わしのところへ持って来たよ。口どめ料というわけなのだろう。いまのわしなら、遠慮なしにもらったろうが、そのころはまだ血の気も残っていたので、金を叩《たた》き返し、この馬鹿者《ばかもの》どもめ、とか何とか大見得《おおみえ》を切ってやったものじゃ。あは、はは……」 「そのときの大先生を、見とうございましたね」 「弥七。お前が、わしの門人になったのは、それから……さよう、三年ほど後のことだったな」  それはさておき……。  おみつは、その後、松戸の在の百姓・宗五郎《そうごろう》の後妻となり、いまは四人の子を産み、幸福に暮している。  そしていまも、年の暮になると宗五郎が土産をたずさえ、小兵衛の隠宅へ挨拶《あいさつ》にやって来るのである。  むろん、宗五郎は、女房おみつの過去を知らぬ。      六  はなしを、日暮里《にっぽり》の妙源寺《みょうげんじ》へもどそう。  小野半三郎が十人の見物の前で女を嬲《なぶ》っている二の間の奥に、これも十五畳敷きの〔雲霓《うんげい》の間〕と十畳敷きの〔三の間〕がならんでいる。  この二間に、七人の女たちがあつめられ、全裸となった体を夜具の中にひそませ、時を待っている。  燭台《しょくだい》も二つずつしかなく、うす暗い照明の室房に焚《た》きこめられた香の妖《あや》しい匂《にお》いがただよっていた。  これはつまり、半三郎と女の淫行《いんこう》に昂奮《こうふん》した客が、ただちに雲霓の間と三の間へ走り込み、今度は自分たちが身分も忘れ家職《かしょく》も忘れ、羞恥《しゅうち》のこころもかなぐり捨てて、女たちへ飛びかかり、飽くこともなく、互いに女を替えては、夜が明けるまで楽しもうというのである。  これは、おみつの口からも長円寺の和尚《おしょう》からも聞いていない小兵衛であった。  してみると、上方から江戸へ舞いもどった小野半三郎は、おのれの淫行を見せたのちに、女を抱かせることまでつけ加え、法外の大金を得るばかりでなく、 (強請《ゆすり》の種をも、ふくらませようとおもいついた……)  のに違いない。  女たちは一昨日から、一人、二人と妙源寺へあつまって来て、今夜まで泊りこんでいたのだ。  それを、四谷《よつや》の弥七《やしち》が探りとり、小兵衛に告げたので、 「では、ひとつ、三冬《みふゆ》どのとおはるをつかってみよう」  と、小兵衛はおもいついたのである。  それというのも、 「何としても、現場を押えなくてはならぬ」  からであった。  その現場は、いまや、最高潮に達しつつあった。 (あっ……)  と、小兵衛が瞠目《どうもく》したのは、小野半三郎が女と結合したままで、女の裸身を腹へ抱えあげ、すっく[#「すっく」に傍点]と立ちあがったのを見たからだ。  女は烈《はげ》しく腰をゆすりつつ、すすり泣きをもらしている。 「さ、御一同……」  と、半三郎が十人の見物に呼びかけた。  十年前と同様に、半三郎の声はさわやかで、芝居に出て来る公家《くげ》のようなめりはり[#「めりはり」に傍点]があり、役者の演技のようなところがあるのだ。 「御一同、われら共に極楽へまいろう」  と、小野半三郎は叫び、真先に雲霓の間へ女を抱えたまま走り込んだ。  見物たちが何ともいえぬ声を発し、いっせいに立ちあがって羽織をぬぎ捨て、雲霓の間と三の間へ駆け込んで行った。  腰をあげた秋山小兵衛が二の間へ入り、たちこめている異臭に顔を顰《しか》めたとき、 「や……何者だ?」  一の間からあらわれた二人の浪人者が、おどろきの声をあげた。  じろりと見返した秋山小兵衛が、 「おとなしくせぬと、怪我《けが》をするぞ」 「な、何だと……」 「この爺《じじい》め、何処《どこ》から入って来た……」 「おのれ!!」  つかみかかる浪人の腕をくぐりぬけた小兵衛が、別の浪人の大きな体へ吸い込まれるように躍り込んだかと見えたが、 「うわ……」  そやつ[#「そやつ」に傍点]は、小兵衛の当身《あてみ》を急所にくらって転倒した。 「小野様。お気をつけなされい。曲者《くせもの》でござる!!」  叫んだ浪人が、小兵衛の側面から抜き打ちをかけた。  凄《すさ》まじい刃風《はかぜ》を頭上へながし、腹這《はらば》いになるほど身を伏せた小兵衛が、その反動を利用し、矢のごとく浪人の手もとへつけ入った。 「ぬ!!」  たちまちに間合をせばめられ、振りかぶった二の太刀《たち》を打ち下ろしかねた浪人が、あわてて飛び退《の》こうとするとき、今度は小兵衛の一刀が腰間《ようかん》から疾《はし》り、大刀をつかんだ浪人の右手首を下からすくいあげるように切断したものである。  一の間では、四谷の弥七と徳次郎が、二人の無頼者を叩き伏せた。  と、そのとき……。  雲霓の間の襖《ふすま》が開き、小野半三郎が顔を突き出した。 「めずらしや、川越中納言《かわごえちゅうなごん》」  すかさず呼びかけた秋山小兵衛を見るや、半三郎が狼狽《ろうばい》して、襖を閉めた。 「弥七。襖を蹴倒《けたお》せ!!」  小兵衛が叫び、駆け寄って襖を引き開け、 「一同、神妙にいたせ。寺社奉行所の御用改めであるぞ!!」  呼ばわったその眼[#「その眼」に傍点]は、雲霓の間から向うの大廊下へ逃げる小野半三郎の裸身をとらえた。  三の間と雲霓の間では、名状しがたい混乱が起り、裸体の男女が、だれの物ともわからぬ衣類に身を隠そうとしている。  かまわずに小兵衛は、雲霓の間を走りぬけ、大廊下へ出た。  暗い大廊下を、総髪を振り乱した裸体の小野半三郎が逃げて行く態《さま》は、何とも奇妙なものであった。  半三郎は、右手の部屋へ飛び込んだ。  追いついた小兵衛が、戸口でぴたり[#「ぴたり」に傍点]と足をとめ、凝《じっ》と中の気配をうかがった。  逃げた様子はない。  半三郎は、小部屋の中で息をころしているらしい。 (ははあ……刀を取りに入ったのか。してみると、わしと切り合うつもりらしい)  と、小兵衛は看《み》た。 「これ……小野半三郎」  低く呼びかけた小兵衛に、返事はなかった。  雲霓の間のあたりで、四谷の弥七が何か大声でいい聞かせている。滅多には見せぬ十手《じって》を出して自分が御用聞きであることを示し、見物の男や相手の女たちを取り鎮《しず》めているらしい。 「おい、川越中納言。返事をせぬか」 「…………」 「刀を捨てて、出て来い」 「…………」 「これ、半三……」 「だまれ!!」  と、部屋の闇《やみ》の中から、小野半三郎が、 「秋山小兵衛。このわしをたれ[#「たれ」に傍点]とおもうか」 「たれじゃ?」 「みだりに事を構えては、おのれが悔いを残すぞ」 「ほう……」 「わしは、京の都の、やんごとなき御方の血を引く者じゃ」 「その、やんごとなき御方の名は?」 「おのれごときの耳へ、聞かすも恐れ多し」 「ふん……」  小兵衛は、鼻で笑った。  そしてこのとき、秋山小兵衛の決意は牢固《ろうこ》たるものになっていたのだ。 (半三郎を斬《き》って捨てる……)  このことであった。  こやつを捕えて、お上へ引きわたし、正規の取り調べがおこなわれれば、その毒牙《どくが》にかかった女たちをはじめ、あさましい本能のおもむくままに一夜の楽しみを買っただけの人びとや、その家族にまで害がおよぶことになろう。  それに、いま一つ。 (もしやすると、小野半三郎は、まことに、天皇の家臣として名のある公卿《くぎょう》の落し子かも知れぬ……?)  と、感じたからだ。  万一にも、そうだとしたら、事は尚更《なおさら》に面倒となる。 「これ、半三郎。川越の中納言よ」 「だまれ!!」  と、小野半三郎が怒鳴り返した瞬間に、秋山小兵衛は小部屋の中へすっ[#「すっ」に傍点]と入った。  半三郎の怒号が聞え、部屋の中で、何かの調度が倒れる物音がし、それから深《しん》となった。 「大先生。もし、大先生……」  よびかけつつ、傘《かさ》屋の徳次郎が大廊下を走って来て、 「あっ……」  ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]と立ちすくんだ。  小部屋の中から、ふらり[#「ふらり」に傍点]とあらわれた裸身の小野半三郎が大刀を右手につかんだまま、大廊下へあらわれたからである。  半三郎は、壁によりかかり、微《かす》かにうめいた。  半三郎の手から、大刀が落ちた。  壁に背をつけたまま、ずるずると腰を落し、ゆっくりと大廊下へ倒れ伏した半三郎の左の頸《くび》すじから噴きこぼれる黒い血が、廊下へ這いながれて行くのを、傘屋の徳次郎は茫然《ぼうぜん》と見つめている。  秋山小兵衛が小部屋からあらわれ、大刀にぬぐいをかけつつ、 「徳や。どうしたえ?」 「へ……あの……」 「さ、早く本堂へ行き、この寺の和尚を叩《たた》き起し、ここへ呼んで来ておくれ」      七  当夜。  妙源寺へあつまった見物と女たち。それに寺僧たちは、秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》が取り調べた。  そして、彼らの身分と姓名を聞き取った上で、夜が明けると同時に釈放したのである。  小兵衛は、一人ずつ、彼らを別間へ呼び入れ、 「寺社奉行|与力《よりき》・秋山|弥右衛門《やえもん》である」  と名乗り、 「いつわりなく、身分と姓名を打ち明けるならば、今夜のことを奉行所は忘れて進ぜよう」  と、いったのである。  彼らは、大きなよろこびと同時に、大きな不安をも背負って、妙源寺から去った。  彼らが顔を隠していた白絹の頭巾《ずきん》は、小野半三郎が用意しておいたものだという。  ところで、二人の浪人者と無頼どもは、これを釈放するわけにはまいらぬ。  そこで、彼らを厳重に縛した上で、妙源寺の納屋《なや》へ押しこめ、四谷の弥七は、これを自分が所属している南町奉行所同心・永山精之助《ながやませいのすけ》へ密《ひそ》かに告げた。  同時に、秋山小兵衛は、老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》の屋敷へおもむき、用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》と会い、 「御老中からの御手配が肝要かと心得ますが……」  と、すべてを物語った。  生島用人も、おどろいたらしい。  なぜなら、当夜の客の中には、大身の旗本の中でもそれ[#「それ」に傍点]と知られた人物が二、三まじっていたからである。  田沼意次は、生島次郎太夫から事情を聞くや、すぐさま、南町奉行所へ密命を下した。 「その後のことは、どうなったか、私にもわかりませんので……」  と、事件後七日を経て、隠宅に小兵衛を訪ねた四谷の弥七が告げた。 「そうだろうとも、そうだろうとも……」 「大先生は、何か御存じで?」 「いいや、知らぬ。ただ、わしとしては、中納言《ちゅうなごん》めの餌食《えじき》になった女たちや、当夜の見物の、罪もない家族たちへ累《るい》がおよばなければ、それでよいのじゃ」 「それはもう、大丈夫でございます。そっちのほうは、お上でも目をつぶることになったらしゅうございますよ」 「大身の旗本どもなぞは、身から出た錆《さび》。どうなってもよいのじゃが……」 「それはともかく、あの、小野半三郎にはおどろきました。私も、ずいぶん長く、御用をつとめておりますが、こんなのは、はじめてでございました」 「そうよ。あの、半三郎なあ……」 「はい……」 「やはり、あの男は、公家《くげ》の落し子かも知れぬな」 「そうでございましょうか?」 「日がたつにつれ、いよいよ、そのように思えてきた」 「ですが、大《おお》先生……」 「いや、いまどきの公家なぞには、ああいうのが多いのじゃ。その血を引いたのであろうよ。古い古いむかしはいざ知らず、天下の政治《まつりごと》が武家の手へ移ってからの公家どもは、すべてがそうだというのではないが、天皇の家臣という身分のみが頼りで、ふところも寒く、引いては悪賢く立ちまわっておのれの欲を満たそうとするものが多くなった。その上、猥《みだ》らがましいことになると、わしたちがおもいもおよばぬことを、平気でしてのけるのじゃ」 「ですが先生。あんなに上品な顔かたちをしていて……」 「あの顔が、何百年もの間にできあがった公家面《くげづら》というやつよ。公家の血すじでなくては生れぬ顔じゃ」 「ははあ……」 「これ弥七。いまな、その後を追いかけて、腐れかかっているのが武家じゃよ。天下のちから[#「ちから」に傍点]は、いまや、武家から町人に移った。ふ、ふふ……いまに、おもしろい世の中になって来るぞ。もっとも、そのころはもう、わしなぞはあの世[#「あの世」に傍点]へ行っていようがな」  ところで……。  見物の男たちをあつめたのは、小野半三郎自身であったらしい。  半三郎の手先となり、見物の相手をする女たちや、見張りをしていた無頼どもは、本郷から小石川にかけて縄張《なわば》りをもつ香具師《やし》の元締・井筒屋喜兵衛《いづつやきへえ》の手の者だったらしい。  喜兵衛は、奉行所に検挙された。 「おそらく、別の埃《ほこり》を叩き出し、その罪名で、みんな、島送りにでもされるのでございましょう」 「ふうむ……おもえば、あの連中も気の毒な……」 「いえ、あの連中をおッ放《ぱな》したら大変なことになります。それこそ、中納言のまね[#「まね」に傍点]をして、強請《ゆすり》をかけかねません」 「なるほど……」  小兵衛は、吸いかけた煙管《きせる》から口をはなし、 「何から何まで、うまく行くことはないものじゃな、人の世の中というものは……」  と、つぶやいたのである。      ○  松戸の在の百姓・宗五郎《そうごろう》とおみつ[#「おみつ」に傍点]の夫婦が歳暮の挨拶《あいさつ》にあらわれたのは、それから五日後のことであった。  夫婦は、朝も暗いうちに松戸を発《た》ち、宗五郎は野菜やら餅《もち》やらをつめこんだ大きな籠《かご》を背負い、おみつは、二歳になる女の子を背負って、昼前に鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。  夫婦の間には、四人の子が生れている。  小兵衛も、年末のこの日[#「この日」に傍点]を待っていて、あらかじめ、松戸に留守居をしている子供たちへわたす玩具《おもちゃ》などを買いととのえておくのであった。 「あれまあ、おみつさん。よく来なすったねえ」  と、おはる[#「おはる」に傍点]は、自分が農家に生れ育った女だけに、おみつとは至極気が合う。 「これはまあ、先生もおはるさまも、お達者で、何よりでござんす」 「ありがとうよ。おお、これが、今度の子かえ?」 「はい」 「今度の子も丈夫そうじゃな」 「おかげさまでござんす」  おみつは、うれしげに夫の宗五郎と顔を見合せた。  いまのおみつには、あの中納言めに骨身をしゃぶりつくされ、いのちからがら逃げ出したころの面影《おもかげ》は全くない。  はじめて、小兵衛の家へ奉公にあがったときの健康な少女が、そのまま人妻となり、母親となったような元気さであった。  無口な宗五郎は満面を笑みくずしながら、籠いっぱいの土産物を台所へ運び込んだ。 「おはるや。大治郎の嫁にも、裾分《すそわ》けをしておやり」  小兵衛がそういうのを、傍《そば》で聞いていたおみつが、 「あれ先生。大治郎さまがお嫁さま、もらいなすったので?」 「おお、そうじゃ。うっかりして、お前たちには知らせなかったわい。かんべんをしておくれ」 「いいえ、とんでもねえことで……それで、どこのお嬢さまをおもらいなさんしたので?」 「それがさ……まるで、足柄山《あしがらやま》の金時《きんとき》を女にしたような……」  いいかける小兵衛へ、おはるが、 「そんなこというものではねえですよ」  と、たしなめ、 「さあさあ、おみつさんも宗五郎さんも足洗っておあがりなさい。ちょうど饂飩《うどん》を打ったところだから、お前さん方が持って来てくれた鴨《かも》を入れて、熱いのをみんなで食べようねえ」 「そんなら、私も手伝いましょう」  おみつも台所へ入ったが、すぐに、おはるがおみつの子を抱いてあらわれ、 「先生。抱いていておくんなさいよう」 「いいとも。さ、よこせ」  抱きとって小兵衛が、 「何という名だ?」 「お幸《こう》ちゃんというのですってよう」 「ふむ。それはよい名じゃ」  年の瀬ともおもわれぬほど、おだやかに晴れわたった日和《ひより》であった。  秋山小兵衛は、無心にねむっているお幸を抱いて縁側へすわりこんだ。  大川に面した庭の枯蘆《かれあし》にも暖かい日射《ひざ》しが零《こぼ》れている。 「なんという可愛《かわい》い顔をしているのじゃ、お前は……」  ねむっているお幸によびかけながら、小兵衛は一人息子の大治郎が生れたころの自分を、おもいうかべた。  そのころの小兵衛は、明けても暮れても剣術に夢中であって、ろく[#「ろく」に傍点]に赤子《あかご》の大治郎を抱いてやったこともない。 (大治郎は、こんな小さなころに、どんな顔をしていたか、な……?)  どうしても、それがおもい出せぬ。  台所で、生気にみちた大声で、おはるとおみつが何やら語り合い、笑い合っている。 「お幸や。いまのお前は、まるで観音《かんのん》さまのような顔をしてござる」  凝《じっ》と、お幸の小さな体を抱きしめている秋山小兵衛の目に、何とも知れぬ熱いものがふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]とわきあがってきた。     新妻      一  その日の夕暮れに、秋山大治郎《あきやまだいじろう》は東海道|御油《ごゆ》の宿場へ入ったが、いっそ、三里ほど先の吉田《よしだ》(現|豊橋《とよはし》市)まで足を伸ばそうとおもい、客引き女の声を振り切るようにして宿場をぬけ、御油川へ懸《かか》っている〔まざいこ橋〕をわたろうとしたとき、はらはら[#「はらはら」に傍点]と雪が落ちて来た。  空を仰いで立ちどまった大治郎だが、やがて苦笑をもらし、御油宿へ引き返したのである。  もし、このとき、たとえ半刻《はんとき》でも雪の降るのが遅れていたら、大治郎は吉田へ泊っていたろう。そうしたら、彼を待ち構えていた事件にも遭遇することはなかったのだ。  江戸から十日をかけて大坂へおもむき、すでに葬儀も済んだ柳道場へ到着し、故|柳嘉右衛門《やなぎかえもん》の墓前にぬかずいた大治郎は、道場に二泊したのみで、江戸へ引き返しつつある。  柳道場も、柳嘉右衛門がすぐれた剣客《けんかく》であっただけに、後継者に、 「これぞ……」  という門人がなく、門人たちの中で二つにも三つにも派が分れ、まとめ役の菊村三吾《きくむらさんご》も困り果てており、 「秋山先生。いましばらく御逗留《ごとうりゅう》下さって、何かと相談に乗っていただきたい」  しきりにたのんだが、大治郎は、こうした道場の内紛にかかわり合うことが不得手でもあり、きらいでもあった。  そこで、菊村がとめる手を振り切るようにして大坂を発足《ほっそく》したのだが、一つには、やはり、新妻の三冬《みふゆ》と共に、新婚はじめての正月を江戸で迎えたかったのであろう。  御油は飯盛《めしもり》と称する商売女が多いところだ。  黄色い声を張りあげて客を引く女たちにはかまわず、大治郎は、街道筋から少し左へ入ったところにある〔山吹屋平助〕という旅籠《はたご》へ入った。  山吹屋は小さな旅籠だが、飯盛女は置いてない。こういう旅籠は、旅人なら一目でわかる。旅をすれば女を抱くものだときめている旅人ばかりではないからである。  で……。  部屋数も少なく、客も少ないが掃除の行きとどいた、清げな山吹屋の奥まった部屋へ入り、大治郎が旅装を解いていると、品のよい顔だちをしている老人があらわれ、 「てまえが、あるじの山吹屋平助でございます」 「おお。厄介《やっかい》になります」 「宿帳を、おつけ下さいまして……」 「そこへ置いて行って下さい」 「はい、はい。では、ちょいと、おうかがいを申しあげます」 「何をだね?」 「あの、お名前を……」 「秋山大治郎といいます」 「あ、やはり……」 「どうかしたのかね?」 「いえ、たったいま、旅のおさむらいさまが門口《かどぐち》に見え、この旅籠に、秋山さまというおさむらいさまが泊っているはずゆえ、この手紙をわたしてくれと、かように申されまして……」 「その人は?」 「すぐに何処《どこ》かへ行ってしまわれました。そこで宿帳をしらべて見ましたところ、秋山さまの名前は一つもございませぬ。それなら、少し前にお着きになったお客さまではなかろうかとおもいまして……」 「ふうむ……」  手紙といっても、それは結び文《ぶみ》であった。  内容は、つぎのごとくである。  長瀬達之助《ながせたつのすけ》が、宿外れ、赤坂寄りの松並木にて待つ。この上は、いさぎよく出向くがよい。 (はて……?)  どうもわからぬ。長瀬|某《なにがし》の姓名にも、まったくおぼえがない。 「たしかに、秋山大治郎と申したのだな?」 「はい、たしかに……」 「ふうむ……」  思案する大治郎を見まもる山吹屋のあるじの顔に、不安の色がただよいはじめた。  それと気づいて大治郎が、 「ともあれ、行って見よう。履物《はきもの》を貸して下さるか?」 「はい、はい」  借りた高下駄《たかげた》をはき、山[#「山」は底本ではyama.png]吹のしるしを大きく書いた番傘《ばんがさ》をさした大治郎が、夜に入った路上へ出た。  しずかに、雪が降っている。  御油の宿場を西へ出外れると、すぐに街道の両側の松並木が空をおおっている。  先刻は大治郎が、この松並木を西から通りぬけて来たのである。  松並木へさしかかるまでに、大治郎は自分の後をつけて来る男に気づいていた。旅姿の侍であった。 (どうも、妙な……?)  しかし、剣客としての大治郎は、あの〔小雨坊《こさめぼう》事件〕のごとく、おもいもかけぬところから恨みを受けることも覚悟していなくてはならぬ。また、それなればこそ、こうして呼び出しに応じたのだ。  相手も、いきなり山吹屋へ打ち込むことを避けたのは、関係のない人びとの迷惑を考えてのことか……。  結び文の内容は、あきらかに不穏のものなのである。  松並木へ足を踏み入れた大治郎は、山吹屋で借りた提灯《ちょうちん》に道を照らしつつ、ゆっくりと歩む。  大治郎を尾行して来た男は、いつの間にか、姿を消していた。 (来た……)  ぴたりと足をとめた大治郎へ、左側の松並木の間から躍り出した黒い影が、いきなり、手槍《てやり》を突きかけて来た。  高下駄をはいていながら、大治郎の足さばきはみじん[#「みじん」に傍点]も狂わず、ぱっと飛び退《しさ》って、手に持った番傘を手槍の侍へ叩《たた》きつけるのと同時に、 「む!!」  松並木の右側からあらわれて斬《き》りかかった別の黒い影を、抜き打ちに切りはらった。 「あっ……」  そやつ[#「そやつ」に傍点]がよろめき、飛び下った。  もとより殺すつもりはない。  浅く傷つけたまでである。  大治郎は高下駄をぬぎ捨て、 「御老中・田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》が家人《けにん》、秋山大治郎と知ってのことか!!」  大音声《だいおんじょう》に名乗った。  ゆれうごいていた闇《やみ》が、はた[#「はた」に傍点]としずまった。  街道の向うに、いくつもの白刃《はくじん》が光っているのを、大治郎は見た。彼らは、いまの大治郎の声を聞いて、愕然《がくぜん》としたらしい。  このごろの大治郎は、江戸へ帰って父・小兵衛《こへえ》と共にすごした歳月のうちに、いささかは父の感化を受け、無益《むやく》の争いを未然にふせぐ術《すべ》を心得つつある。 「御老中・田沼意次の家人」  と、名乗ったのは、まさに効果があったと看《み》てよい。 〔家人〕というのは、家来という意味なのだが、いまの大治郎はそれどころではない。妾腹《しょうふく》とはいえ、田沼老中のむすめ三冬の夫なのだから、表向きにはならずとも田沼意次の〔聟殿《むこどの》〕なのである。 「ちがう……」 「しまった……」  などと、あわただしくささやき合う声を、大治郎は、たしかに聞いた。 「いかぬ」 「引けい」  彼らは、松並木の街道を西へ引き退《の》いて行った。  それを見とどけて秋山大治郎は、足袋はだしのまま、まっしぐらに御油の山吹屋へ走りもどったのである。      二  山吹屋は、すでに表戸を下ろしていたが、潜戸《くぐりど》を叩《たた》くと、すぐに女中が開けてくれた。  あるじが、待ちかまえていたかのように飛び出して来て、傘も下駄《げた》も捨てたまま戻《もど》った大治郎を見るや、顔色を変えた。 「ど、どうなさいましたので……?」  大治郎は、山吹屋平助に帳場の奥の小部屋へ案内をさせ、 「どうやら、人ちがいらしい」 「何でございますって……?」 「このことを知っているのは、私ひとりか?」 「はい。宿帳をしらべましたところ、秋山さまの名前が見当らなかったので、すぐさま……」 「私のところへ来た……?」 「そのとおりでございます」 「いま泊っている客の中で、私が出て行った後《のち》に、何処かへ行った者はないかね?」 「ございません」 「ふうむ……」 「もし、あの……?」 「私は、こういうものだが……」  と、大治郎は、道中手形(一種の身分証明書でもある)を出して、平助に見せた。この手形は、田沼家から出されたものである。 「では、あの、御老中さまの、田沼さま?」 「さよう。そこで、たのみがある。宿帳を見せてもらいたい。尚《なお》、奉公人たちへ、このことを知らせてはなりませぬ。よろしいか」 「心得ましてございます」 「何事も明日の朝まで。それまでは、私にまかせておいてもらいたい」 「いったい、何事が起りましたので?」 「実は……」  と、大治郎は、山吹屋平助が相当にしっかりした老人だと看《み》たので、すべてを語った。 「わかりましてございます」  うなずいた平助は、宿帳を持って来て、大治郎の前へ差し出し、 「おさむらいさまは、あなたさまの他《ほか》にお一人でございます」  なるほど、大治郎の他の泊り客十一人のうち、二人連れが五組。残る一人が旅の侍で、宿帳へしたためた名は、 〔鳥居小四郎《とりいこしろう》〕  と、ある。  その鳥居小四郎は、大治郎が山吹屋へ入る前に到着し、あるじが大治郎の部屋へあらわれたときは食事中だったそうな。 「ちょっと、奉公人たちへ口どめをしてまいります」  と、平助が、部屋を出て行った。  秋山大治郎は、沈思している。 (私が、だれか、別の男と間ちがわれたことはたしか……)  なのである。  大治郎の声と言葉を聞いた彼らは「ちがう」といい「しまった」といって、引き退《の》いたではないか。  しかし、あの結び文を届けに来たのは、彼らのうちのだれかが、大治郎と同姓同名の男が山吹屋へ入るのを見たからではないのか……。  大治郎は山吹屋を出るとき、一足先に出た女中がひろげてくれた番傘を受け取ったので、顔は、ほとんど傘の中へ隠れていたから、外で見張っていた男も、これを目ざす相手と看て、うたがうことなく後をつけて来たにちがいない。しかも、なにぶん雪の夜のことであった。尾行者が見誤ったとしてもむり[#「むり」に傍点]はないといえるし、おそらく別の〔あきやまだいじろう〕は、大治郎と同じような体つきをしているのであろう。  そこで、もどって来た山吹屋平助に尋《き》くと、果して、鳥居小四郎は堂々たる体格の、年齢は三十前後に見える侍だそうな。 「なるほど……」  鳥居は宿帳に〔芸州広島浪人〕と記していた。  食事の給仕に出た女中がいうには、 「無口で、取りつきにくいお客……」  だそうである。  大治郎は、急に空腹をおぼえた。 「ここへ、膳《ぜん》を運んでもらいたい」 「お風呂《ふろ》は、どうなされます?」 「今夜は、やめにしておこう。ときに御主人。その鳥居なにがしの部屋の、となりの部屋は空いているかね?」 「はい」 「そこへ、私を入れてもらおう。いま着いたばかりということにして……」  いいかけたが、急に、 「いや、そうせぬほうがよい。この部屋へ、私は寝よう。そのほうがよい」  と、いったのは、万一にも先刻の刺客が襲撃して来ることを考えたからだ。  もしやすると、彼らは御油へ引き返して来て、見張りをつづけているのではないか。別の〔あきやまだいじろう〕が、明朝、山吹屋を出発するのを待ち構えているのではないか……。  夜が更《ふ》けた。  大治郎は一睡もせずに時を待った。  雪は、熄《や》んだらしい。  八ツ(午前二時)ごろになって、大治郎が小部屋からぬけ出した。  屋内のだれもが、ねむっている。一刻《いっとき》ほど前までは、不安でねむれなかったらしい山吹屋平助が厠《かわや》へ立つ足音を聴いたが、いまはようやく、ねむりに落ちたらしい。  脇差《わきざし》一つを腰に帯したのみで、秋山大治郎は二階へあがった。  二階は三部屋である。  いちばん奥の部屋に、鳥居小四郎がねむっているはずだ。  わざと、大治郎は足音をさせて、その部屋へ近づいて行く。  鳥居の部屋の前で自分の足が止ったとき、あきらかに、部屋の中の気配があらたまったのを大治郎は感じた。  部屋の中の人が、目ざめたのである。 「もし……」  障子ごしに、大治郎が声をかけると、返事はなかった。  そのかわりに、淡く灯《とも》っていた行燈《あんどん》の火が消えたのである。  大治郎は、かまわずにつづけた。 「あなたの本名は、あきやまだいじろう[#「あきやまだいじろう」に傍点]と申されるか?」 「…………」 「私も、秋山大治郎という者です」  今度は、わずかに動揺の気配が起った。 「どうやら私は、あなたに間ちがえられたらしい。ひどい目に合うところでした」 「…………」 「この上、また、あなたに間ちがえられては、たまったものではない。そのためにも、あなたの顔を見ておかねばならぬし、あなたもまた、私に顔を見せるべきでしょう。いかが?」  こたえはなかった。 「いかが? 御返事がなくば、私から入りますぞ」  わずかの間をおいて、部屋の中から、 「お入り下さい」  うめくように、こたえてきた。      三  鳥居小四郎の本名は〔秋山大次郎〕であった。次[#「次」に傍点]と治[#「治」に傍点]の一字ちがいで、音読すれば全く同姓同名に聞える。  ゆえに、しばらくは鳥居小四郎の仮名をもって、別の大次郎をよびたい。  さて……。  この夜から未明にかけて、二人は小四郎の部屋で何やら語り合っていたようだが、朝になると秋山大治郎は自分の部屋へもどり、手早く身仕度をしてから、帳場の奥の小部屋へ来て、そこで、朝飯をすませた。  山吹屋平助が、しきりに心配するのへ、 「何もなかったことにしておけばよい」 「大丈夫でございましょうか?」 「二人のあきやまだいじろう[#「あきやまだいじろう」に傍点]が、この旅籠《はたご》を出てしまえば、お前さんたちには何の関《かか》わり合いもなくなる」 「それは、そうでございますが……」  どうやら、あるじは大治郎に好意を抱きはじめているらしい。だから、案じているのだ。  大治郎は、余分に旅籠代を出した。 「とんでもないことで……」 「いや、昨夜は、借りた傘も下駄《げた》も提灯《ちょうちん》も捨てて来た。その損料とおもって下さい」 「さようで、ございますか……それは、どうも、ごていねいに……恐れ入りましてございます」  二階から旅仕度をととのえた鳥居小四郎が降りて来たのは、このときであった。  帳場へ出て行った大治郎へ、鳥居は目礼し、草鞋《わらじ》をはき、塗笠《ぬりがさ》をかぶり、女たちの声に送られ、外へ出て行った。  大治郎はすでに、新しい草鞋を部屋の中ではいていた。 「では、これにて……厄介《やっかい》をかけましたな」  山吹屋平助にそういって、秋山大治郎も外へ出た。  ときに六ツ半(午前七時)ごろであったろう。  雪は熄《や》んだままで、ほとんど積ってはいなかったが、寒気はきびしく、道には氷が張っている。  空は一面の灰色で、朝とも日暮れともつかぬ薄暗い街道には、まだ旅人の姿もなかった。  この天候と、この寒気とでは、飯盛女《めしもりおんな》を抱いて寝た旅人などが、発足《ほっそく》に手間どるのもむり[#「むり」に傍点]はない。  鳥居小四郎は御油《ごゆ》の宿場をぬけ、まざいこ橋をわたった。  その三|間《げん》ほど後ろを、秋山大治郎が行く。  橋をわたってから、二人は肩をならべた。  鳥居の背丈は、ほとんど大治郎と同じである。年齢は二歳下の二十五歳だそうな。  宿帳には、芸州広島の浪人と記してあったが、これも本名を隠していたのと同様に、嘘《うそ》の事であった。鳥居小四郎の風体《ふうてい》は、浪人のものではない。 「秋山殿……」  鳥居が笠の内から、ささやいてきた。 「私を、いかがなさるおつもりか?」 「さて……私にもわからぬ」 「このまま、江戸へ……?」 「行先は同じですな。だから、こうして歩いている」 「はあ……」 「昨夜の、あなたのはなしをうかがって、私は私なりに、あなたの申されることに嘘はないと看《み》た」 「か、かたじけのうござる」 「江戸まで、同道しようという気もちに、いま、私はなりかけている」 「は……?」 「江戸へ到着したなら、かならず、幕府《こうぎ》の評定所《ひょうじょうしょ》へお出向きなさるか?」 「申すまでもないこと」 「ふうむ……」  街道には人影がない。  尾行する者も、ないようだ。 「では、御覚悟に変りはないのですな?」 「ありませぬ」  と、鳥居の返事は、きっぱりとしたものであった。  緊張の連続の旅をつづけて来て、昨夜のみか、毎夜々々、鳥居小四郎は安眠をしてはいなかったろう。  若い顔が、老人のごとく憔悴《しょうすい》していたけれども、気力はさかんで、足どりもしっかりとしている。 「くどいようだが、いま一度、お尋ねしておこう」 「はい」 「昨夜、私に申されたことは、嘘ではありませぬな?」 「天地神明に誓います」 「武士が申されたことだ」 「はい」 「いま一つ。あなたが江戸へ着き、評定所の門を入るまで、私は見とどけますぞ。もしも、私を裏切るようなことがあれば、そのときは……」 「裏切るも何も、私がすることは、もはや、その一事しかないのです」 「では……」  と、大治郎が足をとめ、笠の中の鳥居小四郎の顔をのぞき込むようにして、 「江戸まで同道いたそう」 「まことでござるか……」 「およばずながら……」 「かたじけない……」  鳥居が両膝《りょうひざ》を折り、手をついて大治郎へ頭を下げた。  二人は、御油から半里ほどはなれたところまで来ている。  街道の右手は一里をへだてて渥美《あつみ》湾の海。左手は豊川《とよかわ》がさかのぼって宝飯《ほい》郡の山中へ消えるあたりまで、約二里の平野がひらけている。  しばらく行くと川がながれてい、〔八枚橋《はちまいばし》〕とよばれる長さ六|間《けん》の板橋が懸っていた。  木立も田畑も凍りついたように見え、またしても、雪が舞い下りて来た。  と、そのとき……。  八枚橋の向うの木立から、八人の旅の侍があらわれたのを大治郎は見た。鳥居小四郎も見た。  鳥居が顔面|蒼白《そうはく》となって大刀の柄袋《つかぶくろ》を脱しかける、その手を押えた秋山大治郎が、 「柄袋はそのままに……刀を抜いてはならぬ」 「は……」 「あなたが刀を抜いては、向後《こうご》の事に傷がつきましょう」 「あ……」 「さ、落ちついて……落ちついて、私のうしろへぴたり[#「ぴたり」に傍点]とついて、私がいうとおりに動かれればよい。よいか、よろしいな」 「は、はいっ……」 「笠を、お除《と》りなさい」 「はっ」  大治郎も塗笠を除り、これを右手に持ち、八枚橋へ近づいて行く。  長さ六間の橋をはさんで、双方が睨《にら》み合った。  八人の侍のうち、二人が手槍《てやり》を持っている。  その中の、四十がらみの、体の構えに隙《すき》がない侍が、八枚橋の中程までわたって来て、 「田沼様御家人、秋山大治郎殿と申されましたな。昨夜は、まことに御無礼をつかまつった」  こういって、頭を下げたものである。  大治郎は、こたえぬ。 「その者を、こちらへお引きわたし下され」  大治郎が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。 「どうあっても?」  大治郎が、うなずく。 「何故《なにゆえ》に、邪魔をなされる?」 「邪魔は、そちらがしている」  と、はじめて、大治郎がいった。      四  いつの間にか、手槍《てやり》の鞘《さや》を外し、刀の柄袋《つかぶくろ》を脱した七人が、橋の上の侍のうしろまで押し出して来た。 「この秋山大次郎殿は、あなた方と同じ御家中で、勘定方をつとめておられたそうな」  と、大治郎が、 「あなた方の御主君の名もうけたまわった。ところで、一月ほど前に、この秋山殿が、なんと藩の公金を千二百両も、ひそかに隠し盗《と》っていたことが判明したという。まことでござるか?」 「まことじゃ。なれば、すぐさま、われらに引きわたしていただこう」 「ところが、この秋山殿は、まったく、身におぼえがないと申される」 「だまれ!!」 「推参な……」 「盗人《ぬすっと》のいうことを、真《まこと》に聞かれたのか!!」  侍たちが、口ぐちに叫んだ。 「この秋山殿は、何者かに罪を着せられたとしかおもえぬと申される。お国家老の指図で、有無をいわさずに捕えられ、無実の罪を着せられようとした間一髪、この秋山殿は辛《から》くも虎口《ここう》を脱し、国もとを脱《ぬ》け出られ、そのあとを、あなた方が追いかけ、ついに昨夜、御油《ごゆ》の旅籠《はたご》へ入ったところを見かけて、これを呼び出し、斬《き》り捨てようとした。そして、同姓同名の私が間ちがわれたということになる。どうもこれは、いささか、あなた方や、国もとの御家老が無体なことをなさっているようだ。ともかく、だれにも知られぬうちに、この秋山殿を殺害してしまわなくてはならぬ。ちがいますかな。どうも、そうらしい」  侍たちは、こたえなくなった。  彼らは、それぞれに目と目を合わせたり、それとなく、あたりを見まわしたりした。  雪が、かなり降ってきはじめた。  旅人の姿は、まったく見えぬ。 「この秋山殿は、江戸表へおもむき、死を決して、身の潔白を公儀へうったえるといわれる。およばずながら私が、江戸まで、お送りするつもりだ」  いいつつ、大治郎の左手が腰のうしろへまわり、わずかにうごいた。鳥居小四郎へ退《さが》れと合図をしたのである。  七人の侍のうちの四人が、橋をわたり切って、街道の左右へわかれ、刀の柄に手をかけた。 「私がおもうに、公金千二百両を我が物にしたのは、あなた方の御家老らしい。その罪を勘定方の秋山大次郎へ着せ、有無をいわせずに処刑してしまうつもりだったのであろう。これ、よく聞け。この秋山殿が、つい三月ほど前に妻を娶《めと》ったことは、あなた方も知っていよう」  いいつつ、左手が大刀の鍔口《つばぐち》へかかり、 「その新妻は、決死の覚悟を定《き》めて江戸へ向う夫をはげますため、自害をされたそうな」  と、大治郎の双眸《そうぼう》に烈《はげ》しい怒りがふきあがって、 「退《の》け。退かぬか!!」  凄《すさ》まじい声で、叱呼《しっこ》した。  橋上の三人は、その声に圧倒されたようだが、側面へまわった四人が、二人ずつ、ほとんど同時に、二人のだいじろう[#「だいじろう」に傍点]へ斬りつけて来た。  秋山大治郎の体躯《たいく》が斜め後方へ翻《ひるがえ》った。  鳥居小四郎へ襲いかかった一人が、その体当りにはね[#「はね」に傍点]飛ばされ、鳥居を街道から枯野へ突き飛ばした大治郎が腰を沈めて抜き打った井上|真改《しんかい》二尺四寸五分の銘刀に、別の一人の右腕が大刀を掴《つか》んだまま切断された。 「うわ……」  四つの白刃《はくじん》は、むなしく空《くう》を切り裂いたのみだったのである。 「真直《まっす》ぐに退《ひ》け。四間ほど私から離れて退くのだ」  振り向きもせずに大治郎が、鳥居小四郎へ声をかけた。 「たあっ!!」  正面から突き入れて来た手槍が二つに切られ、あわてて身を引き、大刀の柄へかけたそやつ[#「そやつ」に傍点]の手首が、これもつけ入った大治郎の一閃《いっせん》に切断された。 「おのれ!!」 「は、早く、早く……」  わめきつつ展開しかける敵へ、大治郎が我から走りかかり、右へ左へ薙《な》ぎはらい、さらに反転して、鳥居小四郎へ手槍を突き入れようとする侍の背中を切った。  目ざましい早業である。  八人のうちの五人が、腕を切断され、背中を切られ、太股《ふともも》と脚を切られてしまった。  五人とも、死ぬほどの傷ではないが、もはや充分に闘うことは不可能である。 「真直ぐに……真直ぐに……」  と、大治郎は鳥居小四郎へ声をかけつつ、侍たちを見まもりながら、ゆっくりと枯野を引き退いて行く。  街道に、雪の枯野に、傷を負った侍たちがうごめき、これを二人の侍があわただしく介抱にかかっている姿が、しだいに遠くなる。  ただ、はじめに大治郎へ声をかけた中年の侍だけが、凝《じっ》と立ちつくして、こちらが冬木立の中へ入るまで見まもっていたようである。      五  秋山大治郎と鳥居小四郎が、吉田《よしだ》の城下へさしかかったのは、四ツ半(午前十一時)ごろだ。  あれから二人は、枯野や木立の中を東へすすみ、さらに南へ転じ、四ツ屋村のあたりから、ふたたび東海道へ出たのであった。  雪が降りしきっている。  雪を冒して行く旅人もないではないが、尋常の天候のときの、この時刻の街道ともおもえぬほどに人の往来《ゆきき》が少ない。  大治郎は、一気に吉田城下を通過し、今日のうちに白須賀《しらすか》まで行くつもりである。  三河の吉田は、松平|侍従信明《じじゅうのぶあき》七万石の城下だ。  東海道を下って来ると吉田城下へ入る手前をながれる豊川《とよかわ》に百二十間の〔吉田橋〕が懸ってい、豊川をへだてて北東の方に吉田城の櫓《やぐら》や石垣《いしがき》がのぞまれるのだが、いまは、降りしきる雪の幕に閉ざされ、橋の全貌《ぜんぼう》をすら見とおすことができなかった。  吉田から江戸まで七十三里半。白須賀までは約三里。  橋の手前に立ちならぶ藁屋根《わらやね》の茶店や飯屋の大半が戸障子を閉めている、その前を通りすぎた二人が吉田橋をわたりはじめた。  橋の中程まで来たとき、後方から旅人を乗せた道中馬を馬子《まご》が、 「ほれ、ほれほれ……」  声をかけて急がせつつ、大治郎と鳥居小四郎を追いぬいて行った。  大治郎が足をとめ、左手をあげて鳥居を制したのは、このときである。 「は……?」 「退《の》かれい」  大治郎は先刻の乱闘で塗笠《ぬりがさ》を捨ててしまった。そこで、途中の百姓家へ立ち寄り、わけてもらった菅笠《すげがさ》を鳥居へわたし、井上真改の一刀を抜きはなった。  と……。  雪の幕の彼方《かなた》へ消えかかる道中馬の旅人とすれちがうようにして、橋上をこなたへ歩み寄って来る人影が見えた。  あの、中年の侍であった。  その手には、早くも大刀が抜き持たれている。 「鳥居殿。うごかれるな」  いうや、大治郎が刀をひっさげたまま、中年の侍へ近づいて行く。  両者の間合いが三間にせばめられたとき、双方の足がぴたりと止まり、一呼吸のちに、橋上へ積った雪を蹴《け》って、 「鋭!!」 「おう!!」  同時に突きすすんだ二人が烈しく一合、二合と打ち合い、ぱっと体《たい》が入れかわった。  中年の侍がちらり[#「ちらり」に傍点]と振り向き、鳥居小四郎を睨《にら》みすえた。  大治郎より先に、鳥居へ襲いかかろうとしたのやも知れぬが、すかさず、正眼《せいがん》に刀を構えた大治郎が間合いをせばめて来たので、 「むう……」  中年の侍は、意を決したらしく、大治郎を迎えて刀を大上段にふりかぶった。  先刻も大治郎は、この侍の一挙一動を注視していたが、果して、相当の遣い手であった。  自信がなくては大上段に構えられるものでない。大上段の構えは気力によって相手を圧倒しつつ、得意の間合いをはかり、ただ一撃のもとに振り下ろした大刀で相手を仕止めるのである。  侍は、じりじりと間合いをせばめつつ気力を充実させ、 (いまこそ……)  と、おもったその瞬間に、大治郎がふわり[#「ふわり」に傍点]と退って間合いを外してしまう。 「ぬ!!」  また、肉薄する。  いざという瞬間までうごかぬ大治郎が、またも颯《さっ》と間合いを外す。 「く、く……」  侍が、歯がみをした。  こうなると、もはや振りかぶった刀を構え直すわけにはゆかぬ。そのようなことをしたら、大治郎の一刀が電光のように襲いかかってくるにちがいない。 「おのれ!!」  と、迫る侍。つ[#「つ」に傍点]と間合いを外す大治郎。  たまりかねたかして、 「やあっ!!」  猛然と踏み込んだ侍が打ち込む一刀は、焦《あせ》っていただけに三寸を残して、大治郎の頭へも顔へも触れなかった。  これで勝負は決った。  打ち下ろして、空を切って、身をひねって刀を構え直そうとする侍の右腕が、躍り込んで下から切りあげた大治郎の一刀に切断され、橋の欄干をこえ、豊川の川面《かわも》へ雪片と共に吸い込まれて行ったのである。 「う、うう……」  呻《うめ》きつつ、片ひざを突いて大治郎を口惜《くや》しげに睨んだ中年の侍が、左手に小刀を引きぬいた。  秋山大治郎は、しずかに、これを見まもっている。鳥居小四郎は凍りついたように立ちすくんでいた。  侍の腕からふきこぼれる血汐《ちしお》が橋上の雪を見る見る赤く染めていった。  突然、中年の侍が、のめり込むようなかたちになった。左手の小刀を自分の心ノ臓へ深ぶかと突き入れたのである。  走り寄った鳥居小四郎が、息絶えた侍を抱き起し、 「叔父上……」  と、悲痛に叫んだ。 「何と……それは、あなたの……?」 「母方の叔父にて、長瀬達之助《ながせたつのすけ》と申します」 「この仁《じん》が、長瀬殿か……」 「はい。叔父も、御家老の威勢にはかないませなんだ……」 「大名家の侍とは、こうしたものなのか……」 「はい……」      ○  それから八日目の午後。  江戸へ到着した秋山大治郎は、鳥居小四郎こと秋山大次郎が江戸城・和田倉門外にある幕府|評定所《ひょうじょうしょ》の門へ入るのを見とどけてから、浅草橋場の我が家へ足を向けた。  あれから、白須賀の宿場へ入った大治郎は、父・小兵衛とも親しい善照寺《ぜんしょうじ》の和尚《おしょう》を訪ね、そこで秋山大次郎の頭をまるめてもらい、僧侶《そうりょ》の姿にさせ、中二日をおいて白須賀を発《た》ち、江戸へ着いたのだ。  評定所の門へ入るとき、秋山大次郎は網代笠《あじろがさ》をぬぎ、これを、大治郎へ高々と打ち振った。 「その姿が、まだ、目に浮ぶ」  と、大治郎が三冬《みふゆ》にいった。  帰宅して入浴し、二人は夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に向ったが、大治郎がすべてを語り終えたときには、熱い干菜汁《ほしなじる》も冷え切ってしまっていた。 「算盤《そろばん》が達者で勘定方をつとめてはいても、腰の大刀を抜いたこともないほどの鳥居……いや、秋山大次郎殿だが、後を追うて来た八人の侍よりも、心構えは格段に立派なものでした」 「はい」 「これから、大公儀《おおこうぎ》のお裁きが、どのように下ることか……?」 「なにぶん、相手は三十二万石の大名家のことゆえ……」 「さよう。事は、むずかしい」 「なれど大治郎さま。よう、なされました」 「三冬どのが、そうおもうてくれるなら、私もうれしい」 「大治郎さまの剣が、生きましたな」 「まことに……?」 「はい」 「実はな、三冬どの」 「はい?」 「御油《ごゆ》の旅籠《はたご》で秋山殿と語り合《お》うたとき、秋山殿の新妻が、夫をはげまして自害したことを聞かなんだら、私は、秋山殿を助けたかどうか……?」 「大治郎さま……」 「何です?」 「その、おこころが、三冬うれしい」  膳を押しのけるようにして、三冬が大治郎の胸へすがりつき、 「ようなされました」 「む……」  正月へ、あと三日を残した夜である。  三冬を抱きしめた大治郎が、ふと、 「明日、父上に、このことを語ったら、父上は何と申されようか……?」  と、つぶやいた。     金貸し幸右衛門《こうえもん》  秋山小兵衛《あきやまこへえ》は、六十三歳の初春を迎えた。  おはる[#「おはる」に傍点]も、二十三歳になった。  早いものである。  新春早々、小兵衛は風邪気味で外出《そとで》をひかえていたが、十四日になって注連《しめ》かざりを取り払い、軒端《のきば》や門口へ削掛《けずりかけ》を掛けると、 「久しぶりじゃ。宗哲《そうてつ》先生のところへ行って来るよ」  おはるにいい置いて、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出た。  削掛は、柳や檜《ひのき》の枝を削り、茅花《つばな》の形に作ったもので、これを正月十四日から二十日まで、門先に掛けて邪気をはらい、福を招くまじない[#「まじない」に傍点]にするのが江戸の風習である。  昨日、おはるが浅草へ出かけて、削り花ともよばれる削掛を買って来たのである。  小兵衛は本所《ほんじょ》の小川《おがわ》宗哲宅へ着き、碁を囲みはじめたが二刻《ふたとき》(四時間)ほどで、宗哲が約束の往診へ出向くことになり、 「では、待っておりましょうよ」  と、勝ちほこっている小兵衛に、宗哲は、 「いやいや、今日は遅うなる。明日、こちらから鐘ヶ淵へ参上しよう」 「さようか。では仕方もない」  宗哲宅を出たが、まだ、空は明るかった。 (そうだ。久しぶりに、元長《もとちょう》へ寄ってみようか……) 〔元長〕は、小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしている橋場の料亭《りょうてい》〔不二楼《ふじろう》〕の料理人長次と座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]が夫婦になり、浅草|駒形堂《こまかたどう》裏の河岸《かし》にひらいている小さな料理屋である。  両国橋をわたった小兵衛は、ゆっくりと浅草へ向った。  元長へ着くと、長次夫婦がよろこんで出迎えた。階下は十坪ばかりの入れこみの座敷だが、どこまでも小ぎれいにしてあり、席を区切る衝立《ついたて》障子もしゃれた造りだ。  客が三組ほど入っていたが、その中で、小兵衛と同年配の老人が黙念と盃《さかずき》をなめているのが目についた。去年の暮に来たときも、小兵衛は、この老人を見かけている。  背丈が高く、腰も曲っていない、すっきりとした体つきの老人だが太い竹の杖《つえ》をつき、短刀をたばさみ、店を出て行く姿が印象に残っていた。  小兵衛と老人の目と目が合ったとき、老人も小兵衛をおもい出したらしく、軽く会釈《えしゃく》を送ってよこした。  小兵衛も、にっこりと会釈を返し、入れ込みへあがりかけるのを、おもとがむりやりに二階の小座敷へあげてしまった。 「おもと。長次と年始に来てくれたときは、ねむりこけていてすまなんだ」 「いいえ、とんでもございませんよ、先生」 「下に、また、あの爺《じい》さんが来ているな」 「はい。去年の秋ごろに、ひょいとお見えになってから、ひいき[#「ひいき」に傍点]にしていただきまして……」 「ふうん、そうかえ。見たところは町人でもなし、わしと同じような毎日を送っているのではないかな」 「いつも、おひとりでなんですよ」 「ふむ……」 「黙りこくって、お酒をめしあがって……」 「ふむ、ふむ……」 「まあ、おひとつ……」  小兵衛へ酌《しゃく》をしながら、おもとが、 「なんでも、高利の金を貸していなさるとか……」 「あの老人がかえ?」 「はい」 「そうは見えぬがなあ」 「私も、夫《やど》も、そうおもいます。けれど先生。いつでござんしたか、湯島天神下に住んでおいでの人形師で峯岸又七《みねぎしまたしち》さんとおっしゃる方……この方も、よくお見え下さいますが、ちょうど、あのお年寄りと一緒になりましたとき……」  そのときに、人形師の又七が、おもとへ、 「あの老人《おやじ》が、ここへ来ているとはおもわなかった。あれは、私の家の近くに住んでいる浅野幸右衛門という金貸しで、いやもう、血も涙もないというやつだよ。よくまあ、自分の金で酒をのめたものだ。ふうん、おどろいたね、あいつが、ひとりで、こんなところへ来て身銭《みぜに》で酒をのむ。ふうん、おどろいたね」  こういったそうな。  金貸しの老人・浅野幸右衛門は、出がけにじろり[#「じろり」に傍点]と人形師を見たが、そのときの目つきは、 「別人のようでございましたっけ」  と、おもと。 「ふうん。おもしろそうな老人じゃ」 「さあ、なんでございますか……」  いったん、階下へ去ったおもとが、蠣《かき》の酢振《すぶり》へ生海苔《なまのり》と微塵生姜《みじんしょうが》をそえたものと、鴨《かも》と冬菜の熱々《あつあつ》の汁を運んであらわれた。  このように、すこしも体裁にとらわれずに、うまいものが食べられるというので、このごろの元長は、なかなかどうしてよく繁昌《はんじょう》しているのである。 「金貸しのおじいちゃん、いま、お帰りになるところでございますよ」 「ほう、そうか……」  何気もなく秋山小兵衛は、窓の障子を細目に開け、外を見下ろした。  いましも、杖をついた浅野幸右衛門が元長を出て、駒形堂の傍《そば》を表通りへ出て行こうとしている。  いつの間にか、夕闇《ゆうやみ》が濃くなっていた。  と、そのとき……。  駒形堂の裏に屈《かが》み込んでいた浪人ふうの男が、つ[#「つ」に傍点]と立ちあがり、浅野幸右衛門の後をつけて行くのを、二階の窓から小兵衛が見て、 「おや……?」 「どうなさいました?」 「おもと。うまそうなものを残念だが、明日にしよう」  早くも、一分金《いちぶきん》を置いた小兵衛が、呆気《あっけ》にとられているおもとを尻目《しりめ》に、階下へ駆け下りて行った。      一  金貸し浅野|幸右衛門《こうえもん》は、ゆっくりと歩を運び、田原町から東本願寺門前へ出た。  新堀《しんぼり》川をわたると、大通りが一筋に下谷《したや》の車坂までつづいてい、両側は諸寺院と門前町だ。  用意の提灯《ちょうちん》に火を入れた幸右衛門は、その大通りへは出ずに、新堀川沿いの道を南へすすみ、阿部川《あべかわ》町の角を西へ曲った。  まだ宵《よい》の口であったし、町家からの灯《あか》りも洩《も》れてい、人通りもかなりある。  しかし、これが武家や大名の屋敷がたちならぶ町すじへ入ると、ばったりと人通りも絶え、いかめしい門や長い塀《へい》の中の灯りも外へは洩れてこない。  月もない曇った夜空が、かえって明るんで見えるほどに、道は暗かった。  どこかで、酔った男の声が聞えた。  幸右衛門が旗本・井上英之助邸の土塀の角を右へ曲りかけた。  そのとき……。  道をへだてた松前|伊豆守《いずのかみ》屋敷の土塀の裾《すそ》の闇《やみ》に溶け込み、息をころしていた黒い影が、突如立ちあがって、浅野幸右衛門へ走り寄った。  これは、先刻から幸右衛門を尾行していた浪人である。  いつの間にか、先へまわって待機していたらしい。  闇の中に、浪人の白刃《はくじん》が煌《きら》めいた。  酔漢の声がまだ聞えている路上に、大胆をきわめた襲撃であった。 「あっ……」  危険を知った浅野幸右衛門の叫びが聞え、襲いかかった浪人の刃が、その真向《まっこう》から打ち込まれようとしたとき、闇を切り裂いて、どこからか飛んで来た何かが浪人の頭へ命中した。 「う……」  浪人がよろめいたのは、相当な打撃を受けたものと看《み》てよい。  よろめいて、立ち直って、大刀を構えた浪人の前へ、井上邸の土塀の上を猿《ましら》のごとくつたわって来た小さな人影がふわり[#「ふわり」に傍点]と舞い下りて来た。秋山小兵衛である。 「あ……」  あわてた浪人が飛び退《しさ》りざま、片手なぐりに切りはらった刃風の下を掻《か》いくぐった小兵衛の拳《こぶし》が、浪人の鳩尾《みずおち》へ突き込まれた。 「むうん……」  呻《うめ》いて、刀を落し、前のめりになった浪人のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]を小兵衛が手刀で打った。  のめり倒れた浪人は、完全に気をうしなっている。 「もし……そこなお人……」  と、小兵衛が塀の上から浪人へ投げつけた枇杷《びわ》の木の杖《つえ》を拾いあげながら、 「大事ござらぬかな?」 「は、はい……」  浅野幸右衛門の手から道へ落ちた提灯が、めらめらと燃えはじめた。  その炎を受けた小兵衛の顔を、幸右衛門が見定めて、おどろきの声をあげた。 「おお……先程、元長におられた……」 「さよう。こやつが、あなたの後をつけて行くのを見かけましたのでな。老人の差し出たふるまい[#「ふるまい」に傍点]ながら、つい、気にかかって、蔭《かげ》ながらお見送りをしようとおもうたまでじゃ」 「さようで……私めは、湯島天神下に住まいまする浅野幸右衛門と申す者でございます。まことにもって、なんともかたじけなく……」  幸右衛門は両ひざをつき、深ぶかと頭をたれた。 「わしは、鐘《かね》ヶ淵《ふち》に棲《す》む河童《かつば》でござる」 「な、何と……?」 「いや、それは冗談。ところで、このような無頼の者に襲われるおぼえがござるのかな?」  すると、幸右衛門が沈黙してしまった。 (身におぼえが、ないでもないらしい……)  と、小兵衛は看た。 「さ、早う、面体《めんてい》をあらためなさい」 「は……」  提灯が燃えつきてしまっては、暗闇となる。  小兵衛は、倒れている浪人が頭からかぶっていた布を引き剥《は》がし、幸右衛門が浪人の顔を凝視した。  三十がらみの浪人は、それほどに垢《あか》じみていない。左の頬《ほお》から顎《あご》へかけて、うすい傷痕《きずあと》が残っている。  提灯が燃えつきた。 「見おぼえがおありかな?」  幸右衛門は強くかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って返事に代えた。 「ならば、よし。早く、お引き取りなさい」 「は……あの、この始末は?」 「まかせておきなさい。大丈夫じゃ。さ、早くお帰り」 「は……あの、御尊名を何とぞ……」 「そんなことはどうでもよろしい。さ、人が来ると面倒じゃ」 「は、はい……」  浅野幸右衛門にとって、この小兵衛のあつかい[#「あつかい」に傍点]は、願ってもないことだったようである。  幸右衛門は両手を合わせ、小兵衛を拝むかたちとなり、 「いますこし、この世[#「この世」に傍点]に未練もございますれば……」  つぶやくようにいうや、身を返して下谷七軒町の方へ消え去った。  それを見送った小兵衛は、近寄って来る人の足音に気づき、枇杷の杖をとん[#「とん」に傍点]と突き、ふたたび井上屋敷の土塀の上へ躍りあがって身を伏せた。 「おやっ……?」 「な、何だ、これは……?」  あらわれたのは若い町人がふたりである。  手にした提灯の灯りに、伏し倒れている浪人を見るや、 「うわ……」 「殺されている……」 「番所へ届けようか……」 「よしたがいい。関《かか》わり合いになってもつまらない。さ、行こう。早く早く……」  逃げるように、二人は走り去った。  その足音で、浪人は息を吹き返したらしい。 「う……うう……むう……」  半身を起し、はっ[#「はっ」に傍点]とあたりを見まわしてから、手さぐりに落ちていた刀を拾い、これを構えて気配をうかがっていたかと見る間に、ぱっと三筋町の方へ逃げ出した。  すかさず、道へ飛び下りた秋山小兵衛も、これを追って走り出している。      二  その翌日の夕暮れであったが……。  本所|小梅代地町《こうめだいちまち》の黒田道場へ、ふらりとあらわれたのは、昨夜、金貸しの浅野|幸右衛門《こうえもん》を襲い、秋山小兵衛からひどい目[#「ひどい目」に傍点]にあった浪人である。  黒田道場というよりも、もはや、渡部《わたべ》道場といったほうがよいだろう。黒田|治兵衛《じへえ》先生は六十八歳になり、いよいよ病床から離れられなくなり、渡部|甚之介《じんのすけ》は、もはや名実ともに道場の主《あるじ》といってよかった。  折しも甚之介は、黒田先生の老妻たみ[#「たみ」に傍点]の給仕で、夕飯をしたためていた。依然、食欲は凄《すご》い。巨体を屈《かが》め、例のごとく両眼《りょうめ》は垂れ下った瞼《まぶた》の中へ隠れたままで、膳《ぜん》に向って黙々と、ただひたすら、食べに食べる。  たみも心得ていて、大根と油揚をたっぷりと煮込んだのを鍋《なべ》ごと出したのを、無我夢中の態《てい》で、あっ[#「あっ」に傍点]という間に平らげてしまった。この間、飯を五杯も腹中へおさめている。  そこへ、件《くだん》の浪人が訪ねて来た。 「おう、藤丸《ふじまる》か。あがれよ。飯を食わぬか」 「いや、腹は減っていない」 「よし、では酒をのめ」 「うん……」 「どうした?」 「渡部。ちょいと、道場ではなしたい」  と、ささやいて浪人が、黒田先生夫妻のほうをちらり[#「ちらり」に傍点]と見た。 「ああ、そうか。よし……」  茶わんを二つに、酒が入った大きな白鳥《はくちょう》を、だれもいなくなった道場へ運び、さし向いにすわりこんでから、 「さ、のめ」  渡部甚之介が、浪人の茶わんへ酒をみたしてやりながら、 「何か、起ったのか? 心配事か?」 「うん……」  うなずいた浪人は童顔だし、意外に邪気がない風貌《ふうぼう》である。髪の手入れもせず、無精髭《ぶしょうひげ》ものびているが、どう見てもこれが、金貸しを闇討《やみう》ちにかけようとした男だとはおもえない。 「いってみろ。女か?……いや、女でもなさそうだな、お前のことだし……」 「ばかにするな」 「金か。すこしならあるぞ」 「いらん」  浪人の名を、藤丸|庄八《しょうはち》という。  二人は、渡部甚之介が十歳から二十歳まで、剣術の修行をした本所石原町の牧山右平太道場の同門であった。  二人とも父親が浪人だということもあり、年齢も近かったので、少年のころから仲良しになった。甚之介の亡父は小金《こがね》を持っていたけれども、藤丸庄八の父親は看板の字を書いたり傘張《かさは》りの内職をしたりして、藤丸を道場へ通わせていたのだ。  それだけに藤丸は、何ともして一人前《ひとりまえ》の剣客になりたいと念願し、一所懸命に修行をしたものだが、甚之介にくらべると、腕前は、 「いささか、落ちる……」  と、いってよい。  それでも、時折は江戸をはなれ、諸方の道場をまわっているらしいから、いまどきの大名の家来なぞでは、ちょいと歯が立つまい。 「どうした、藤丸。何か、相談に来たのではないのか?」 「む……」 「妙なやつだな、こいつ」  渡部甚之介は、強《し》いて尋《き》こうとはしなかった。  どれほどの時間《とき》がすぎたろう……。  黙念と冷酒をのんでいた藤丸庄八が、 「あのな、昨夜な……」  おもいあまったかして、ついに口をきった。 「昨夜……?」 「うん。おれ、人を斬《き》るつもりでな」 「何だと……?」 「いや、その男を殺してしまえば、却《かえ》って世のため人のためになるといわれてな……」 「だれが、そんなことをお前にいったのだ?」 「う……」 「だれだ。いえ!!」 「怒ったのか、渡部。いや、おれが斬ろうとしたのは悪い奴《やつ》なのだぞ。因業無類《いんごうむるい》の金貸しで、そやつのために、五人もの人が首を括《くく》って死んだそうだよ」 「ふうむ……そんな奴か……」 「そうなんだ、渡部……」 「それで……?」 「切り損ねた……」 「何だと。きさま、金貸しふぜいが斬って殪《たお》せなかったのか」 「邪魔が入って、な……」  藤丸庄八が、ぼそぼそと昨夜の一件を語った。 「あれは、魔物じゃないかとおもう。子供のように小さな男だった。どんな奴か、しか[#「しか」に傍点]とはわからぬ。たちまちに当身《あてみ》をくらって、気絶してしまったものだから……」 「ふうむ……」 「ところが、な……息を吹き返したら、もう消えていた。それで、おれも逃げ帰った。逃げ帰ったんだが、どうも、途中で妙な気がしてな……」 「どうして?」 「だれかに、後をつけられていたような気がしてならない。何度も振り返って見たし、大丈夫だとはおもうが……しかし、なんともうす[#「うす」に傍点]気味が悪いのだ」 「おい、藤丸。そのことが表沙汰《おもてざた》になったら大変だぞ。お前は辻斬《つじぎ》り同様のまね[#「まね」に傍点]をしたのだ。追剥《おいは》ぎ強盗だときめつけられても文句はいえぬぞ」 「だから……だから、こうして、相談に来たんだ」 「ばか」 「どうせ、もう、おれなんか三十をこえても、このざま[#「ざま」に傍点]なんだから、どうなってもいいようなものの、まだ、剣術に未練があるのだよ」 「それならなぜ、そんな、ばかなことをしたのだ。お前に、そのことをたのんだのはだれだ?」 「う……それは……」 「こいつ。金をもらってたのまれたな?」 「う……」 「いくらもらった?」 「に、二十両を、前金として……」 「だれだ、たのんだ相手は?」 「そ、それだけは勘弁してくれ」  藤丸庄八は、泣きくずれた。  たみが戸口へあらわれ、 「どうなされた?」 「いや、いいのです。このばか[#「ばか」に傍点]には、つける薬がありません」 「でも、藤丸さんが泣いていらっしゃる。黒田も心配しておりますよ」 「いいのです。私が相手をしていますから大丈夫です」 「さようですか……」  たみが奥へ去ってからも、藤丸は何としても、たのんだ相手の名をいわぬ。 「男の約束だ。いうわけにはいかない」  と、いうのだ。 「よし。いわせずにはおかぬぞ。いま、おれものみ直して、きさまに泥《どろ》を吐かせぬうちは承知しない。覚悟しろ」  いうや、空になった白鳥をつかみ、渡部甚之介は台所へ出て行った。  そして、甚之介が道場へもどって来たとき、藤丸庄八の姿は消えていた。  甚之介は外へ飛び出し、名をよんでみたが、あらわれて来ない。  何か、居ても立ってもいられない気持になり、甚之介は提灯《ちょうちん》の仕度をして、藤丸の後を追った。  藤丸庄八は、深川の海辺大工町《うみべだいくちょう》の裏長屋に独り暮しをしているのだ。  ところが、そこへ着いてみると、まだ、藤丸は帰って来ていなかった。 「ええもう、勝手にしろ。おれの気持もわからぬばか[#「ばか」に傍点]め」  道場へ帰ってしまおうとおもったが、そこは少年のころからの親友のことである。戸締りもしていない藤丸の長屋へ入り、しばらく待つうちに、甚之介は、ぐっすりとねむりこんでしまった。  そのころ……。  藤丸庄八は、もはや、この世[#「この世」に傍点]の人ではなかった。  藤丸は抜いた大刀をつかんだまま、小梅代地町の道場からも程近い妙縁寺裏の空地に倒れ、息絶えていた。  俯《うつぶ》せに倒れている藤丸庄八の背中に一本の矢が深ぶかと突き立ってい、くびすじ[#「くびすじ」に傍点]の急所から切り裂かれ、そこから、おびただしい血汐《ちしお》が流出していた。  死体が発見されたのは、翌日の昼下りであった。      三 「実は、秋山先生。実に、その、妙な事件《こと》が起りましてな」  と、渡部甚之介《わたべじんのすけ》が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅へ駆けつけて来たのは、夕暮れになってからである。  すると小兵衛が、いきなり、 「お前さんの友だちが殺害されたことなのだろう?」  こういったものだから、甚之介はびっくりした。 「えっ……よく、御存知で……?」 「ほほう。目の玉が瞼《まぶた》の中から飛び出しているところを見ると、お前さんにとっても大切な友だちだったらしい」 「さよう。そのとおりです。ですが、先生。よく、このことを……?」 「その友だちの、藤丸|某《なにがし》という浪人の住居《すまい》を、わしはな、故《ゆえ》あって見張らせておいたのだ」 「あ、秋山先生……」  さらに愕然《がくぜん》となった甚之介が、にらみつけるような眼《まな》ざしで小兵衛を見つめていたが、 「もしや……もしや、一昨夜、浅草|阿部川《あべかわ》町あたりの路上において、藤丸庄八を懲《こ》らしめられたのは、秋山先生なのではありませぬか?」 「そのとおり……」 「あっ……」 「そう、やたらにおどろくことはないよ、渡部さん」  と、小兵衛が、ざっと当夜のことを語り聞かせ、 「年寄りの冷水《ひやみず》。よけいなまね[#「まね」に傍点]をするようだが、それもこれも年寄りの退屈しのぎにやったまでじゃ。それというのも無益《むやく》な血をながすこともあるまいとおもってしたことだが、却《かえ》って、藤丸某が殺されてしもうた。つまり、金貸しの爺《じい》さんを殺し損ね、さらに、おぬしのところへ相談に出向いたのを、おもしろくないとおもうている奴に殺された、ということになるのではないか。どうじゃな」 「はあ……」 「昨夜、深川の住居を出て、おぬしの道場へあらわれた藤丸を、わしの指図で傘屋の徳次郎という者がつけていたのじゃ。この男は、むかしのわしの弟子で、いまは四谷《よつや》の御用聞きをつとめている弥七《やしち》という者の手先で、こうしたことにはうってつけの者じゃったが……」 「では、藤丸が殺害されたときも、見張っていたのですな?」 「そうじゃ。そのことじゃよ。何せ、人の後をつけるのはうまいが剣術のほうは、まるでいけない。これが弥七だったら、どうにか藤丸を助けられたかも知れぬが……」  昨夜、道場を出ると間もなく、藤丸庄八は頭巾《ずきん》をかぶった侍に声をかけられ、何かささやき合い、そろって妙縁寺前のさびしい道を歩き出した。  傘屋の徳次郎は、すこし離れて尾行をつづけたが、 「急に、ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]と、何か音がしたとおもったら、藤丸の背中に矢が突き立ったんでございます」  徳次郎は小兵衛に、そう告げた。  おどろいた藤丸庄八が抜刀して振り向くところを、連れ立っていた侍がいきなり斬《き》りつけた。 「味方だとおもっていた侍に斬りつけられたのだから、たまったものじゃあございません。藤丸は、すぐに引っくり返ってしまいましたが……すると、妙縁寺の門の蔭《かげ》に隠れていた別の侍、こいつは弓矢を持っておりまして、駆け出して来ると、藤丸を切った侍といっしょになって、藤丸の死体を、裏の空地へ運び込んだのでございますよ。私は、もう、いったい、どうしたらいいのかと、おもい迷ったのでございますが、すぐに二人が空地から出てめえりましたので、こいつはやはり、この二人の居所《いどころ》をつきとめて大《おお》先生にお知らせしなくてはならねえとおもい直して……」  おもい直して傘徳が、二人の後をつけた。 「秋山先生。その侍どもは、どこにおりますので?」 「そう殺気立つな。大丈夫、わしが逃《のが》しはせぬよ」 「私、藤丸庄八の敵《かたき》を討ってやります」 「ふむ。ま、それはそれでよいが、藤丸とても、金で人をひとり殺《あや》めようとしたのじゃ。これを忘れてはいかぬ」 「しかし、その金貸しは、まことに極悪の者にて、これまでに首を括《くく》った者が数人いるとか……」 「そんなこと、嘘《うそ》じゃよ」 「何とおっしゃる……?」 「その金貸しの爺さんについても、いま、四谷の弥七が調べてくれている。なるほど金貸しだから、期限が来ても金を返さぬ者には、きびしく取立てるけれども、それがために首を括って死んだ者など、これまでに一人もおらぬよ。これは、お上《かみ》の手の者が探ったことゆえ間違いはない」 「では、藤丸がだまされたのですな」 「おぬしだって、だまされたことになる」 「はあ……面目しだいもありませぬ」 「ま、わしにまかせてくれぬか。おぬしに出てもらわねばならぬときは、たのみに行くよ。それよりも、道場を留守にしてはいかぬ。老先生夫妻の身に何か起っては……」 「ですが、私は別に、何の関わり合いもありませぬ」 「関わり合いのない者に危害を加える者が多い世の中ゆえ、そう申すのだ。ちかごろの世の中は、幕府《こうぎ》の政道だけでは、おもうようにならぬのじゃ。たとえばごらんなされ。去年の秋に、おぬしが巻き込まれた事件もそうではないか……」 「いかにも、さようで……」 「戦国の世が終り、徳川将軍の下に天下《てんが》泰平が百何十年もつづいているのは結構なことだが……わしはな、かえって戦乱絶え間もなかったころのほうが、人のいのちの重さ大切さがよくわかっていたような気がするのじゃ。いまは、戦の恐ろしさは消え果てた代りに、天下泰平になれて、生死《しょうし》の意義を忘れた人それぞれが、恐ろしいことを平気でしてのけるようになった。なればこそ、油断は禁物ということよ」 「よく、わかりました」 「さ、早くお帰りなされ。ほんらいならば久しぶりで、酒をくみかわしたいところだが、今日は、あえてすすめぬ」 「はい」  素直に頭を下げて、渡部甚之介が、 「では、これにて」  と、帰って行った。  それから小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]の給仕で夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に向った。  四谷の弥七があらわれたのは、そのときであった。      四  弥七《やしち》は、金貸し浅野|幸右衛門《こうえもん》の住居《すまい》がある湯島天神下・同朋町《どうぼうちょう》に程近い、上野北大門町に住む御用聞きの文蔵《ぶんぞう》の協力を得て、かなりのことを探り出して来た。  文蔵は、日ごろ、弥七と親交の深い中年の御用聞きで、 「なあ、弥七どん。こんなことを口に出していえるものじゃあねえのだが、お前さんのことだから、はなさねえことにしてはなすよ。そのつもりで聞いておくれ」  といったそうな。  それは、一昨年《おととし》の秋も深まったころというから、丸一年四ヵ月ほど前のことになる。  或《あ》る日、浅野幸右衛門のひとりむすめ・お順が行方不明になった。  幸右衛門は、三河・岡崎《おかざき》七万石、松平家の浪人だが、江戸へ出て来て本郷の春木町へ住み、近くの旗本屋敷の奉公人や商家の子弟に読み書きを教える一方で、小金を元手に金貸しをはじめるうち、しだいに理財もたくましくなり、のちには現住所の門構えの家へ引き移るほどになった。  先妻は、すでに病歿《びょうぼつ》していたので、新居へ移るのと同時に、それまで女中をしていた清《きよ》と夫婦になり、お順が生れたのである。  その清も、お順が十歳のころに病歿した。  よくよく、女房運のない浅野幸右衛門であったが、お順は健康で、美しく成長した。  幸右衛門の溺愛《できあい》ぶりも、およそ察しられる。  したがって、どのような縁談が来ても、幸右衛門が片端から打ちこわしてしまうという、これもまた、可愛《かわゆ》いひとりむすめを持った父親の、どこにでも見られる姿であったといえよう。  その日。  お順は、女中のおうの[#「おうの」に傍点]につきそわれて、小石川の白山前町《はくさんまえまち》の道涼寺《どうりょうじ》へ生母の墓詣《はかまい》りに出かけた。  いくら寄り道をしたところで、明るいうちに帰宅するはずなのが、日暮れになっても帰って来ない。  幸右衛門は、手をつけぬ夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》の前で、いらいらと帰りを待っていたが、たまりかねて、 「ちょっと、見て来るぞ」  と、下女のおみね[#「おみね」に傍点]にいい置き、夜の闇《やみ》の中へ飛び出して行った。  おろおろしながら、あたりを探りまわりつつ、ついに道涼寺まで行き着いて、むすめのことを尋ねると、八ツ(午後二時)ごろに寺を出たという。 (これは、たしかに異変があったのじゃ……)  そうおもう一方では、 (もしや、家へ帰っているのではないか……?)  とも、おもわれてきて、急いで我が家へ引き返して見ると、 「その留守中に、下女が殺されていたばかりでなく、二百両ほどの金が盗まれていたというわけなので……」  と、四谷の弥七が秋山小兵衛に語った。  二百両といえば大金だが、むろん、浅野幸右衛門は、その数倍の金を絶対に盗まれぬ場所へ隠してあった。盗まれた金は手廻《てまわ》りのものである。 「下女はね、くび[#「くび」に傍点]を絞められて殺されていたのだが、髪も着ているものも乱れていなくてね。だから、どうも、こいつは浅野さんのところへ出入りをしていた者の仕わざではねえかと、おれは睨《にら》んだ。八丁堀《はっちょうぼり》の同心方《だんながた》もそのおつもりで、いろいろと手をつくして見たんだが、いや、どうにも手がかりがつかめねえ。ずるずると今日まで来てしまってね。いや、おれも気にかかってならねえのだが、他《ほか》にいろいろと面倒な事件《こと》を抱えているもので、つい、そのままにしてあるのさ」  と、北大門町の文蔵が弥七へ語ったそうだ。  お順の行方《ゆくえ》が知れぬままに一年余の歳月がすぎ去って、はじめのうちは浅野幸右衛門、近所の人びとが、 「まさか、くび[#「くび」に傍点]でも括《くく》って死んだのではあるまいね……?」  うわさをするほどに、一歩も家から出なかった。  それが、去年の秋ごろから、毎日のように長い杖《つえ》をついて外出《そとで》をし、暗くなってから帰って来るようになった。  食事の仕度も自分ひとりでやっているらしく、下女も女中も雇い入れぬ。  金貸しだけに、こうなると近寄って来る人もなく、幸右衛門もまた、人びとに貸した金のことなぞ、 「どうでもいい……」  ような暮しぶりに変ったらしいのだ。 「ふうむ……弥七。これは何じゃな。むすめと女中は、何者かに勾引《かどわか》されたのだろうよ」 「はい。勾引しておいて、浅野さんを外へ引き出し、その隙《すき》に下女を殺して金を盗んだのでございましょうね」 「うむ、おそらく……」 「それにしても、ふてえ奴《やつ》らでございます。むすめと女中を勾引したままで……」 「顔を見られているからのう」 「え……?」 「二人とも、もはや、この世[#「この世」に傍点]の人ではあるまい」  ずばりと、小兵衛がいった。  小兵衛の傍《そば》で、おはる[#「おはる」に傍点]が眉《まゆ》をひそめながら、 「だから先生。私をひとりで留守番させたりしちゃあ、いけないんですよう」 「うむ、そうじゃ。たしかにそうじゃな」 「私も、三冬《みふゆ》さまに剣術を習おうかねえ、先生」 「お……そうか。よし、そうしろ。たのもしいぞ」 「だって、先生が教えてくれないのだものねえ、弥七さん」  いわれて弥七が、 「そんなことをしたら、もう、大先生がお前さまに、尚更《なおさら》お頭《つむり》が上らなくなってしまいます」 「もう、よい。おはる。酒をたのむ」 「あい」  それから、小兵衛と弥七は一刻《いっとき》ほど打ち合せをした。  弥七が探ったところによると、浅野幸右衛門は、藤丸庄八《ふじまるしょうはち》に襲われたことを、お上へ届け出ていないらしい。      五  翌日の夕暮れに、秋山小兵衛はおはる[#「おはる」に傍点]を連れて元長《もとちょう》へあらわれた。 (や……来ているな……)  果して浅野|幸右衛門《こうえもん》が、先夜と同じように、黙念と酒をのんでいたのである。  幸右衛門は、小兵衛を見るや、すぐに立ちあがって来て、 「先夜は、まことにもって……」 「いや、いや、礼にはおよび申さぬ」 「な、何と申してよろしいのやら……」 「それよりも、お近づきのしるしに一献《いっこん》さしあげたい。いかが?」 「いや、それは……」 「私が、おきらいかな?」 「めっそうもございませぬ」 「では、二階へおあがり下さい。これ、おはる。お前は板場にいて、何かうまいものでも食べさせておもらい」  おはるにいいおいて、小兵衛は幸右衛門を二階座敷へ誘《いざな》った。 「あれから、何事も起りませぬでしたかな?」 「はい。おかげさまにて……」  幸右衛門は、探るように小兵衛を見て、 「まことに失礼ながら……」 「名は秋山小兵衛。年老いた剣術遣いでござるよ」 「さ、さようでございましたか?」 「心配なさることは何一つない老人ゆえ、ひとつ、肚《はら》を割っておはなし願いたい」 「は……?」 「先夜の事じゃが、妙なことから、わしの親しくしている若い友達に関《かか》わり合いが出来てまいってな」 「それは……それは、どのような?」  幸右衛門は、いくらか青ざめた顔色《がんしょく》となり、ひざ[#「ひざ」に傍点]をすすめてきた。  小兵衛が、先夜以来のことを、ざっと語るにつれて、幸右衛門はいよいよ緊張してくる。 「湯島から浅草まで、足|繁《しげ》くお通いなさるのは……?」 「秋山先生が、そこまでお調べになられたからには、何も包み隠すこともございますまい」 「そのとおり」 「実は……実は、先生。むすめが行方知れずとなりました折に、つきそっておりました女中のおうの[#「おうの」に傍点]を、浅草寺《せんそうじ》の境内で見うけましたので……」 「何と……」  それは去年の秋のことであったが、お順が消えてより、食べることも歩むことも面倒になってしまった浅野幸右衛門は、 (もはや、こうなるからには神や仏に祈るよりほかに道はない……)  ふと、そうおもい立ち、観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》を本尊とする浅草寺へ参詣《さんけい》に出かけた。  好晴の午後のことで、浅草寺境内は雑沓《ざっとう》をきわめていた。  参詣を終え、本堂の階《きざはし》を下りて来た幸右衛門は、人ごみの向うに、見なれたおうのの顔を見出《みいだ》し、 「あっ……」  叫び声を発して近寄ろうとしたとき、おうのも、幸右衛門を見て、その顔が一瞬、空間に貼《は》りついたようになった。 「おうの……」  人ごみを掻《か》きわけて、およそ五|間《けん》の彼方《かなた》にいるおうのへ近寄ろうとする幸右衛門が、あわてていた所為《せい》か躓《つまず》いてよろめき、顔をあげたときには、すでに、おうのの顔は見えぬ。 「おうの……おうの!!」  狂人のように幸右衛門は、人ごみの中を泳ぐようにして探しまわった。  だが、ついに、おうのを見つけ出すことができなかったというのである。 「浅野どの。そのことを、お上へ届け出られましたろうな?」 「はい。すぐさま……」 「それで?」 「どのように、お調べがすすんでいるものやら、私へは、さっぱり音沙汰《おとさた》もございませぬ」 「ふうむ……」  北大門町の文蔵へも、何度か足を運んだが、文蔵も持てあましたかたちで、おうのを見かけたのは幸右衛門の錯覚だとおもっているらしい。 (お上のすることなぞ、たのみ[#「たのみ」に傍点]にはならぬ。こうなれば、わしが独りで見つけ出さずにはおくものか……)  と、それから浅野幸右衛門の浅草通いがはじまった。浅草寺周辺を中心に、幸右衛門は本所《ほんじょ》から向島のあたりまで足をのばし、いまも尚、 「わら[#「わら」に傍点]をもつかむおもい……」  で、浅草へやって来るのである。  三十を一つ二つ越えた女中のおうのは、大柄《おおがら》な目鼻立ちのはっきりとした、色の浅ぐろい、きびきびとよくはたらく女だったと、幸右衛門は語った。  おうのは、足袋職人の市太郎という者の女房だったが、夫に死なれたのち、小石川仲町の糸物問屋〔伊勢屋勘兵衛《いせやかんべえ》〕方へ奉公に出た。  幸右衛門の後妻で、お順を生んだ清の父親も足袋職人だったし、その縁で、おうのも二、三度、清を訪ねて幸右衛門の家へ来たことがある。清に死なれてからは、新しい妻をもらう気も失《う》せた幸右衛門だが、なんとしても家事を取りしきってくれるものがいないと困る。そこで、伊勢屋へたのみ、おうのに来てもらうことにしたのであった。  声を落し、なぜか伏し目がちに語る浅野幸右衛門を、凝《じっ》と見まもっていた秋山小兵衛が、 「よけいなことを、お尋ねしてよろしいかな?」 「はあ……何なりと」 「あなたは、その、おうのとやら申す女中へ、手をつけられましたな?」  幸右衛門が、ぎくり[#「ぎくり」に傍点]と小兵衛を見て、すぐにうつ向いた。 「いかが?」 「おそれいりましてございます」 「いや、よく申して下された」 「まことにもって……年甲斐《としがい》もなきことを……」 「何をおっしゃる。ほれ、私が、いま連れてまいった若い女をお目にとめられましたかな?」 「おむすめごで……?」 「いや、女房でござるよ」 「ははあ……」 「うふ……のう、幸右衛門どの。たがいに年をとっても、この道[#「この道」に傍点]ばかりは、な……」  笑いかけられて幸右衛門が、少年のごとくはにかむ態《さま》が、小兵衛にとっては意外であった。  金貸しをして財を成すからには、生半《なまなか》なことではどうにもならぬ。幸右衛門も人のうわさにのぼるほどなのだから、相応にきびしく金を取り立てたものであろう。 (なれど、女にかけては、この年をして、まことに産《うぶ》なお人よ)  であった。  ところで……。  小兵衛は、藤丸庄八を殺害した曲者《くせもの》たちが何処《どこ》へ帰ったか、それを浅野幸右衛門には洩《も》らしていない。  傘《かさ》屋の徳次郎が彼らを尾行し、居所をつきとめたことだけは、なぜか隠しておいたのである。 「ときに、浅野どの」 「はい」 「袖《そで》すり合うも何とやら申しますな。私がひとつ、お手つだいをいたそうか」 「あの、それは……」 「その女中探しに、一役買いましょうかな」 「か、かたじけのう存じます」 「さて、それならばひとつ、見せていただきたいものがある」 「なんでございましょう?」  それは、幸右衛門が金貸しをはじめるようになってからの貸付帳を見たいということなのだ。 「はい、それは、わけもないことで……」 「明日、あなたのお宅へうかがってよろしいかな?」 「はい、はい」  翌日。  小兵衛は朝のうちに隠宅を出て、浅野幸右衛門宅へ出向き、貸付帳を見せてもらった。  何しろ、二十余年にわたっているから二冊や三冊ではない。  何とおもったか小兵衛は、もっとも新しい貸付帳から、さかのぼって調べはじめたものである。  秋山小兵衛のするどい視線が、貸付帳の或《あ》る一点にとまるまでには、さほどの時間を必要としなかった。 「あの、何ぞ……?」  と、幸右衛門。 「この、お人は、どういう……?」  と、小兵衛が指した人名を見た幸右衛門は、 「川田十兵衛《かわだじゅうべえ》どの……」 「さよう」 「このお人は、幕府《こうぎ》の徒目付《かちめつけ》をしておられましてな」 「ほう……」  幕府には徒士《かち》といって将軍の警備をする兵士があり、これは二十八人ずつが一組で、二十組の編成になっている。  役高が百俵五人|扶持《ぶち》の川田十兵衛は、徒士組とも関係をもち、たとえば将軍が外出するときは、これに先行して目的の土地なり場所なりを探りあらため、 「異状なきこと」  を、たしかめもするし、平常は諸方へ出入りして隠密《おんみつ》の役目にはたらき、ときには幕府から密命を受け、他国へ密《ひそ》かに出張して〔探偵《たんてい》〕をつとめることもある。  川田十兵衛が、浅野幸右衛門から金三十両を借り受けたのは、三年ほど前のことで、ときには、一両、二両と返金をしているが、そのうちに返金の記入が絶え、去年の暮になってから、突如、利息をふくめての全額をきれいに返済しているのである。  十兵衛は、浅草富坂町に住み、三十歳になったいまも妻子がなく、弟の平四郎と共に暮している。 「いえもう、ちかごろの侍ほど汚ないものはございませぬ。この川田どののみではなく、金を借りるときはどこまでも下手《したで》に出て、あきれるほどに頭を下げますが、借りたとたんに、それが前々から自分《おのれ》のふところにあった金のような気になってしまい、返すのがばかばかしくなって、こちらが根負けするほどに居直ってしまうのでございます」  と、両刀を捨てて三十年にもなる浅野幸右衛門の口調は物やわらかであったが、急に身を正し、 「借金は、おのれの金ではございませぬ。危急をしのぐ方便でございますゆえ、どこまでも、これを返済することによって、危急が消え去り、ひいてはその人[#「その人」に傍点]の信用も却《かえ》って増すのでございます」  きっぱりといった。 「そのとおりじゃ、浅野どの」 「私が、きびしく取り立てましたのは、川田どののようなお人のみにて、きちんと返済をするお人には、これでものちのち、いろいろと相談に乗ってあげておりました」 「なるほど……」 「ああ……なれど、おもえば嫌《いや》な稼業《かぎょう》でございました」 「ほう……?」 「はじめは、人にたのまれて、やむなく小金を貸しあたえているうちに、年を経るにしたがい、しだいしだいに金貸し稼業に身が入ってしまいましたようで……」  いいさして幸右衛門が、 「それはさておき、秋山先生。その、川田十兵衛どのが、何か……?」 「いやなに、むかし、このお人の父《てて》ごが私の門人だったのじゃ」 「さようで……」  わざと嘘《うそ》をついてまで、小兵衛がさあらぬ[#「さあらぬ」に傍点]態《てい》を見せたのは、まだ事が煮つまらぬうちから、幸右衛門を刺激してはならぬとおもったからだ。  実は……。  藤丸庄八を殺した二人づれが引きあげて行った先こそ、浅草富坂町の川田十兵衛宅だったのである。      六  浅野|幸右衛門《こうえもん》老人の浅草通いは、翌日も翌々日もつづけられた。  昼前に、先《ま》ず、浅草寺へ詣《もう》で、それから足にまかせて歩きまわり、日暮れに元長《もとちょう》へあらわれ、酒一本で夕飯をすませ、寒夜の道を湯島天神下の我が家へ帰って行くのである。  幸右衛門は、秋山小兵衛と語り合った元長の二階座敷が気に入ったらしく、ちかごろは二階へあがるようになった。元長から出て行く時は、寒いので綿入れ頭巾《ずきん》をすっぽりとかぶり、杖《つえ》をついて、とぼとぼ帰って行く。  こうして、七日がすぎた。  幸右衛門は日々、ちがう道筋をえらんで帰って行くのだが、この夜は何とおもったか、新寺町の大通りを右へ折れ、武家屋敷と寺院がつづく道を何度も曲り、入谷田圃《いりやたんぼ》の方へ向った。  この前、藤丸庄八の襲撃を受けていながら、ひとりきりで、暗い道を歩いて帰るのだから、幸右衛門もそこは侍あがりの老人だけに、肚《はら》が据《す》わっているのであろうか……。  今夜は、いつもより元長を出るのが遅くなり、幸右衛門が入谷田圃の道を金杉《かなすぎ》の方へすすみはじめたときは五ツ(午後八時)ごろになっていたろう。  冷え込みがきびしい暗夜であった。  何か、冷たいものが落ちて来て、幸右衛門の頬《ほお》をかすめた。  雪が落ちてきたのだ。  それと知って、幸右衛門の足が、すこし急ぎはじめたとき、田圃道に足音がした。  幸右衛門が振り向いたとき、背後から走り寄って来た人影が、 「ぬ!!」  猛然と、刀を突き入れて来た。  ぱっと、幸右衛門の体《たい》がひらき、闇《やみ》を空《むな》しく切り裂いた曲者《くせもの》の面上へ、幸右衛門の手から提灯《ちょうちん》が叩《たた》きつけられた。 「くそ!!」  このため、二の太刀《たち》が振り込めず、飛び退《の》いた曲者へ、老人ともおもえぬ素早さで浅野幸右衛門がつけ入り、組みついた。  そのとき、別の足音が駆け寄って来て、 「早く、早く……」  声をかけ、これも大刀を振りかざして、幸右衛門へ迫った。  幸右衛門は曲者と組み合ったまま、田圃へ落ち、そこで烈《はげ》しくもみ合ったかと見る間に、 「あっ……おのれ……」  曲者の叫び声がした。 「どうした? 平四郎」  道から別の曲者が声をかけ、田圃へ下りようとしかけたとき、 「待て!!」  背後から駆け寄って来た小さな人影が、その曲者へ、 「川田|十兵衛《じゅうべえ》。見とどけたぞ!!」  鋭い一声を浴びせかけたものだ。 「な、何……」  曲者が大刀を振りまわし、小男へ打ちかかった。  ふわりとかわした小男が、十兵衛のひ[#「ひ」に傍点]腹へ拳《こぶし》を突き入れ、 「徳次郎。こいつを御縄《おなわ》にかけろ」  と、いった。  秋山小兵衛である。  小兵衛の後から駆けつけて来た傘屋の徳次郎が、田圃道へ倒れ伏した川田十兵衛へ縄を打った。  この間……。  田圃の中では、二人が、まだ、もみ合っている。 「おい、弥七《やしち》。手つだおうか?」  小兵衛が、闇を透かして声をかけると、 「なあに、もうすぐでございます」  息も乱れぬ四谷《よつや》の弥七の声がこたえた。  浅野幸右衛門そっくりの着物を身につけ、頭巾をかぶり、夜道を急いでいたのは四谷の弥七だったのである。 「それっ!!」  立ちあがった弥七が、相手の曲者を引き起し、道の方へ突き飛ばすようにした。  よろめいて、膝《ひざ》を折った曲者の顔をおおっていた布は、すでにむしり取られ、くびから両手にかけて、弥七が掛けた捕縄が搦《から》みついている。  曲者は、鞴《ふいご》のように荒い息づかいで、小兵衛を睨《にら》み、 「わ、罠《わな》にかけたな、おのれ……」 「かけずとも召し捕れたのだが、一汗かいて御縄にかかったほうが、きさまたちもあきらめがつくだろう。どうじゃ」 「うぬ……」 「きさまが、川田十兵衛の弟、平四郎か。道理で面《つら》つきがよく似ているわえ」 「おのれ、何者だ?」 「生意気な口をきくのじゃない。それよりも、女はどうした。おうのはどうした?」 「し、知らん」 「こいつめ、殺したな」 「う……」 「いずれにせよ、おのれら兄弟は死罪じゃ。覚悟しておくがよい。さ、こいつらを引っ立てろ。なに、川田十兵衛が、まだ気絶しているとな……よし、よし。そこへ寝かしておけ。わしが小便を引っかけてやろう。そうすれば気がつくだろうよ」      七  このところ連夜。四谷《よつや》の弥七《やしち》は浅野|幸右衛門《こうえもん》の身代りとなり、川田兄弟の出現をさそっていたのである。  日中は、幸右衛門自身が安全な場所をえらんで歩く。このときも傘徳や他《ほか》の手先が、それとなく幸右衛門をまもっていた。  日暮れになって、幸右衛門は元長へ入り、そこで弥七と入れ替る。  秋山小兵衛も、連夜、元長に待機していたのだ。  四谷の弥七は、湯島天神下の幸右衛門宅へ入ると、そのまま泊る。幸右衛門は元長へ泊りつづけていた。  そして朝になると、両者が入れ替り、幸右衛門はふたたび、浅草へ出向いて来るというわけだ。  さて……。  幕府の評定所《ひょうじょうしょ》へ連行されて取り調べを受けた川田兄弟の自供により、すべてが判明した。  浅野幸右衛門から金を借りたのは兄の川田|十兵衛《じゅうべえ》だが、犯行の主力となったのは、弟の平四郎である。  さらに、平四郎の計画を実現させたのは、元浅野家の女中おうの[#「おうの」に傍点]であった。  幸右衛門が、おうのへ手をつけたことは、すでにのべた。  特別に、幸右衛門が好色だったというわけでもない。 「もの[#「もの」に傍点]のはずみ……」  である。  ところが、おうのは、幸右衛門に体をゆるしたことを楯《たて》に取り、 「後添いにして下さいまし」  と、迫った。  おうのも、別に悪女ではない。  ないが、しかし、身寄りもない女として、最後の機会をつかもうとした気持もわからぬではない。  それに、浅野幸右衛門にしてからが、 (そうしてもよい)  と、一時はおもったのだ。  前に結婚の経験もあり、寡婦《かふ》となってからは、江戸で知られた糸物問屋の伊勢屋《いせや》で奥向きの女中をつとめ、信用も厚かったおうのだけに、幸右衛門としては、まことに便利な存在であったし、おうのに迫られたときも、それほど迷うことなく、 「よろしい。妻にしよう」  と、言質《げんち》をあたえたのである。  そうなってしまうと、幸右衛門も、ついつい、おうのの女体にさそわれるようになり、むすめのお順も、これを黙認するかたちとなった。  おうのは、 (もう大丈夫……)  と、おもったのかして、しきりに、幸右衛門と晴れて夫婦になることをのぞみ、実行を迫った。  幸右衛門も、まさかに、お順の反対を受けようとはおもわなかったから、 「実は、な……」  おうのとのことを切り出してみると、意外にも、お順はきびしく反対をした。  もしも、おうのを自分の義母にするようなことになれば、 「死んでしまう」  と、いうのだ。  その、おもいつめた様子に、幸右衛門は狼狽《ろうばい》をした。  それは幸右衛門にしても、おうのが、いまでいう家政婦のままで、折にふれ、自分の相手[#「相手」に傍点]をしてくれることが、もっとものぞましい。  そこで、おうのを説得しようとした。  いや、強引に、 「むすめの反対を押し切ってまで、夫婦になるつもりはない」  と、突き放した。 「約束がちがいます」  おうのは、烈《はげ》しく怒った。 「金なら出そう。それをもって、家を出てもらってもよい」  いい争いが、ここまで来て、おうのは沈黙した。  そして……。  幸右衛門の代理として、川田十兵衛宅へ貸金の催促に出向くうち、おうのは十兵衛の弟・平四郎に肌身《はだみ》をゆるし、どちらからともなく、あの犯行の計画に熱中するようになった。  犯行の当日。  墓参のお順につきそって行ったおうのは、その帰り途《みち》に、本郷の団子坂《だんござか》に待ち受けていた川田兄弟へお順を引きわたし、兄弟は、お順を扼殺《やくさつ》し、死体を近くの百姓地へ埋め込み、さらに天神下の浅野家へ押し入り、下女を殺し、金を盗み去った。  おうのは、その後、川田兄弟宅に隠れていたが、去年の秋、浅草寺《せんそうじ》境内で浅野幸右衛門を見かけたことを川田兄弟に告げるや、 (おうのを生かしておいては危ない)  というので、川田兄弟は、おうのを亀戸天神参詣《かめいどてんじんさんけい》へさそい出し、帰途、これを殺して押上村の林の中へ埋め込んだ。 「それでも兄弟は、不安になり、浅野幸右衛門に目をつけていると、これが毎日のように浅草へやって来る。自分たちの住居も浅草だし、どうも川田兄弟め、居たたまれぬ気持になってきて、弟のほうの剣術仲間だった藤丸庄八を引きこみ、幸右衛門を殺せば四十両やるともちかけたというぞ」  と、秋山小兵衛が、渡部甚之介《わたべじんのすけ》へ語った。 「藤丸はな、その四十両で、市中からはなれた場所へ小さな道場を構えるつもりだったらしい」 「ばかなやつです」 「そうともいいきれぬさ。人間なんて、みんな、そんなものじゃよ」  死罪となった川田兄弟の刑は、すぐに執行され、それから五日ほど後の午後であった。  今日も雪もよいの空で、小兵衛は炬燵《こたつ》へもぐりこみ、甚之介と酒を酌《く》みかわしている。 「川田の兄のほうは、徒目付《かちめつけ》と申しても、実に無能な男だったらしい。下手な博奕《ばくち》をおぼえたのが病みつきで、借金だらけだったというが、それをまた、弟が喰《く》い散らしていたのだから、たまったものじゃあない」 「藤丸庄八も、とんだ奴《やつ》らに引っかかったものです」 「そこへ行くと、お前さんはいいな」 「はい……それも、黒田|治兵衛《じへえ》先生のおかげです」 「真《まこと》の親ともおもい、孝養をつくすがいいな」 「はい。はい……」  そこへ、おはる[#「おはる」に傍点]が甚之介大好物の煮染《にしめ》の大鉢《おおばち》を運んで来た。 「さ、お食べ。お前さんひとりで、みんなお食べ」 「よろしいのですか?」 「いいとも、いいとも」  渡部甚之介が、よろこび勇んで箸《はし》を取ったとき、北大門町の文蔵《ぶんぞう》が駆けつけて来て、浅野幸右衛門が自殺したことを告げた。  縊死《いし》であった。  その点、幸右衛門は完全に、侍だった前身から脱けきっていたことになる。  これといって身寄りもないらしい浅野幸右衛門は、死後の事をすべて秋山小兵衛に托《たく》し、あの世[#「あの世」に傍点]へ去った。  小兵衛へ当てた遺書には、貸付金のいっさいを無効とし、証文を焼き捨てたことが記されてあり、遺金千五百余両を、 「まことにもって御面倒ながら、なにとぞ、いかようにも御処分下されたく……」  と、したためられていた。 「おかげをもって、むすめの敵を討つことができ、泉下《せんか》のむすめへのいいわけも、どうやら立ちまする。かたじけのうござりました。ありがとうござりました」  浅野幸右衛門の、しわがれた声が遺書の中から聞えて来るようであった。  小兵衛は、すぐに浅野宅へ駆けつけ、貸付帳に記された未済の貸金を調べ、これを無効となしたことを、それぞれの借り主へ知らせてやった。  文蔵・弥七の手先たちがよくはたらいてくれた。  幸右衛門お順|父娘《おやこ》の通夜《つや》は、翌日にいとなまれ、翌々日に、小兵衛が喪主となって、ひっそりと葬式がおこなわれた。  金を返さずにすんだ借り主たち二十人ほどは、通夜にも葬式にも姿を見せなかった。 「父上。ひどいものですな」  小兵衛と共に葬儀の席へすわった秋山大治郎が呆《あき》れ果てたようにささやいたものだ。 「そうしたものよ。おどろくには当らない」 「ですが父上……」 「それよりも大治郎。わしはな、幸右衛門殿から千五百両もの大金をあずけられてしまった。これにはどうも、困っているのじゃ」 「千、五百両……」 「浅野幸右衛門という人は、よほど、さびしい境遇の人らしいのう」 「はあ……」 「この天神下の家を、わしにくれたのじゃよ」 「この家を……」 「うむ。仕方がない。もらっておくことにした。何か、そのうちに、世の中の役に立つこともあろうからな」  僧侶《そうりょ》の読経《どきょう》がいったん絶え、焼香をうながされた秋山小兵衛が数珠《じゅず》を手に立ちあがった。  葬儀の席につらなったのは秋山|父子《おやこ》夫婦に四谷の弥七、傘《かさ》屋の徳次郎。北大門町の文蔵と、その手先二名のみである。  外は、雪が降りしきっていた。     いのちの畳針  二月に入ったばかりの、暖かく晴れわたった或《あ》る日の夕暮れであった。  まだ四十にもならぬ植村友之助《うえむらとものすけ》が杖《つえ》をつきながら、大塚町《おおつかちょう》・横小路《よここうじ》にある本伝寺《ほんでんじ》門前へさしかかって、ふと足をとめ、腰を屈《かが》め、何か拾いあげた。  道に落ちていた畳針を拾ったのである。  おそらく、ここを通りかかった畳職人が落していったものであろう。  友之助は、拾った畳針を懐紙でぬぐってから、これを手ぬぐいに包《くる》み、何やらうれしそうな微笑を浮べ、ふところへしまいこんだ。  十三年前までの植村友之助は、秋山小兵衛《あきやまこへえ》道場の、 「逸才」  だとか、 「駿足《しゅんそく》」  だとか、評判をうけたほどの剣士であって、小兵衛も、いま尚《なお》、 「友之助が重い病にかからなければ、いまごろは大した剣客《けんかく》になっていたろうよ」  折にふれて、息・大治郎《だいじろう》に洩《も》らすことがあった。  友之助は、いま、道場をひらいていたころの秋山小兵衛が、畳針をつかって紙に穴を明け、これを綴《と》じ合せたものへ、日記をしたためていたことを想《おも》い出している。 (先生にも、ずいぶん、お目にかからぬなあ……)  手紙のやりとり[#「やりとり」に傍点]はしているけれども、いまだに体力が回復せぬ友之助は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ恩師を訪ねることもためらわれるほどなのだ。  今日は、小石川七軒町の宗慶寺《そうけいじ》門前にある薬種屋へ行き、持薬をもとめての帰途であった。 (おれも、秋山先生のまね[#「まね」に傍点]をして、この畳針をつかって紙を綴じ、日記でもつけようか……)  そうおもうと、何ともなしに、たのしくなってきた。  いまの友之助には何一つ、たのしみがない。  人なみ外れた激烈な剣術の修行と、底なしの飲酒とで、死にかけるほどの大病に見舞われた友之助なのである。  むかしにくらべると、一まわりも二まわりも小さくなってしまった体を杖にささえつつ、友之助は西へ向って歩みはじめた。  痩《や》せこけた頬《ほお》に、まだ微笑が残っている。  切長の目に、何かちから[#「ちから」に傍点]が加わってきたかのようだ。  修行はきびしかったが、弟子おもいの秋山小兵衛の温顔を想い浮べながら、大塚町の通りへ歩みかけ、 (や……?)  道の南側の木立へ何気なく目をやった植村友之助が、急に立ちどまった。  夕闇《ゆうやみ》がただよう道には、人影も絶えている。  江戸の内ではあるが、当時の大塚は、むしろ郊外といってよかった。  友之助は、三人の侍が、中年の男を撲《なぐ》りつけながら、木立の中へ引き入れたのを見た。  その男を、友之助は見知っている。  大塚町の通りにある炭屋・喜兵衛《きへえ》の弟で為七《ためしち》という者だ。  為七は四十になっても六、七歳の知能しかない気の毒な男だが、兄をたすけての労働に力を惜しまぬ。汗みずくになってはたらき、自分の生きざまにいささかの疑念も抱かず、うれしそうに、うまそうに飯を食べ、安らかに眠るのである。端《はた》から見れば気の毒におもえようが、当人は、 (幸福《しあわせ》なのかも知れぬな……)  と、植村友之助は、かねて、そうおもっていた。  為七の兄夫婦や子供たちも、為七を、 「可愛《かわい》がっている……」  ようであった。  ほんの、すこし前に、為七は道端で放尿をしていた。  よほどに我慢をしていたと見え、放出の量がおびただしかった。  その小便が、通りかかった三人のうちの一人の袴《はかま》へ飛び散ったのである。 「おのれ!!」 「無礼千万!!」  三人は、有無をいわせず、為七を撲りつけ、蹴《け》りつけ、それでもおさまらず、木立の中へ引き入れたのだ。  三人のうちの一人は、二十《はたち》を越えたばかりに見える若侍で、これがもっとも立派な身なりをしている。色白の、鼻の隆《たか》い、傲慢《ごうまん》な顔貌《がんぼう》だ。  一人は、この若侍の家来のようにおもわれる。いま一人は総髪の剣客ふうの三十男で、こやつが為七を木立の奥深くへ引き立て、蹴倒しておいて、若侍へ、 「若殿。よい折でござる。お試しなされい」  と、いったものだ。 「む……やるか」 「さいわい、だれの目にもとまっておらぬ」 「よし」  若侍が、大刀を引き抜いた。  土下座をして、両手を合わせた為七が、啜《すす》り泣くような声をあげ、三人に憐《あわ》れみを乞《こ》うている。その為七を剣客と家来が両側から押えつけた。  言語も不自由な為七は動顛《どうてん》の極に達し、叫び声も出ぬらしい。  若者の目は血走り、顔色が緊張のために青ぐろく変じ、 「よし」  と、二人にうなずいて見せた。  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、二人が為七からはなれた。  若侍が試し斬《ぎ》りの大刀を振りかぶり、為七の脳天めがけて打ち込もうとした。  刹那《せつな》……。  濃い夕闇の幕を切り裂いて疾《はし》って来た畳針が、ぐさ[#「ぐさ」に傍点]と若侍の左眼《ひだりめ》へ突き刺さった。 「ぎゃあっ……」  悲鳴をあげ、大刀を放《ほう》り捨てた若侍が崩れ倒れた。  一本の畳針だが、その半分まで眼中へ没するほどの激烈な打ち込みで、若侍が全身に受けた衝撃は剛刀を浴びせかけられたのとすこしも変らぬ。 「わ、若殿……」  おどろいて、二人が駆け寄り、若侍を抱き起した。 「人殺し。人殺しだあ!!」  木立の向うで、男の叫び声がした。  為七が、ようやく身を起して逃げ出した。 「おのれ……」  剣客は歯がみをして、刀の柄《つか》へ手をかけたが、 「人殺し……」  と、連呼する声に舌打ちを鳴らし、家来が抱き起した若侍をたすけ、木立を走りぬけ、高処《たかみ》の下の畑道へ逃げはじめた。  なんといっても、若侍が受けた傷は尋常のものではない。眼中に突き刺さった畳針を引きぬくことも容易ではなかった。  本伝寺門前の道で、 「なんだろう、いまの声は……?」 「人殺しと聞えたが……」 「物騒な……関《かか》わり合わぬことじゃ」  人声がしている。  畳針を投げて為七の危急を救い、叫び声をあげた植村友之助の姿は、もう、どこにも見えなかった。  為七は息|急《せ》き切って、大塚の通りへ駆けている。      一  大塚町の通りを巣鴨《すがも》の方へ向って行き、護国寺門前へ出る富士見坂を左に見た、その右側に波切《なみきり》不動がある。  本尊の不動明王は、むかし、伊勢《いせ》の国・小幡《おばた》村の大乗寺に安置してあったそうだが、建長五年の春に、かの日蓮上人《にちれんしょうにん》が伊勢路を過ぎようとした折、霖雨《りんう》のために川水があふれて渡ることもならず、困り果てているとき、一人の老翁《ろうおう》があらわれ、 「師、川をわたらむとならば、われに水を切る術あり」  と、いい、上人を誘引し、たやすく水上をわたり、自分は小幡の山寺に住む者とのみ告げ、立ち去った。  この老翁が、すなわち大乗寺の不動明王の化身で、のちに、本尊の霊示あって江戸郊外の大塚へ移し、松の樹《き》の下に一宇《いちう》の草堂を営建《えいこん》し、これを安置したというのが、波切不動の縁起だそうな。  通りに面して、鳥居前の空地があり、横斜めに建っている鳥居をくぐると十段ほどの石段があり、門を入れば、ただちに小さな堂宇の前へ出る。  植村|友之助《とものすけ》が、いま、住んでいる場所は、この鳥居の傍《そば》に在る茶店であった。  藁屋根《わらやね》の茶店には、屋根裏のような二階が一間あり、そこに友之助が暮している。  茶店の亭主《ていしゅ》・徳兵衛《とくべえ》は、むかし、友之助の屋敷に女中奉公をしていたお清《きよ》の父親である。  お清は、すでに嫁いでいるから、六十を越えて矍鑠《かくしゃく》としている徳兵衛がひとりで茶店をやっていた。  植村友之助は、重病にかかって剣の道へすすむことをあきらめたときに、みずから、 「この一命も長くは保《も》たぬ」  と断じ、家督を弟の新太郎へゆずりわたし、徳兵衛の茶店へ身を移した。  新太郎は腹ちがいの弟だ。  それだけに、 「こうなったからには、弟に気がねをさせてはいけない」  と、友之助は考えたのであろう。  家督といっても、わずか五十俵二人|扶持《ぶち》という家柄《いえがら》で、将軍に目通りもゆるされぬ低い身分の、いわゆる〔御家人《ごけにん》〕の端くれであったから、兄に代って植村家の当主となった新太郎の暮しも楽ではない。しかし、新太郎からは年に三両ほどの仕送りがあるし、友之助も、徳兵衛が注文をとって来る手紙の代筆や、商家の看板書きをしたり、近辺の子供に読み書きを教えたりして、何とか、いまのところ、ささやかな安らぎをおぼえながら、体を養うことを得ている。  さて……。  本伝寺近くの木立の中で、為七《ためしち》の危急を救った翌朝になると、為七の兄で、波切不動の斜向《はすむか》いに炭屋の店を出している喜兵衛《きへえ》夫婦が、茶店の二階へあらわれ、 「昨日は、へえ、うち[#「うち」に傍点]の為が何だか、いのちを助けていただきましたそうで……」  大きな菓子箱を差し出し、畳に頭を擦《す》りつけるばかりにして、礼をのべた。 「為七から聞いたのか?」 「はい、はい」  昨日、道へ転げ出て来た為七を、友之助が、 「為や。早く来い」  素早く、本伝寺裏の道へ連れ込み、夕闇《ゆうやみ》にまぎれて逃げたのである。 「それなら一つ、いっておきたいことがある」 「はい……?」 「このことは決して、他《ほか》へ洩《も》らしてはならぬぞ。家の子たちにもだ。為七にも、そのようにいっておくがよい」 「はい、はい」 「むかしのおれならば体も利《き》いたし、もっと別の仕様もあったろうが……ともかく、為七を助けるためには、あれ[#「あれ」に傍点]よりほかに仕様がなかった。相手は片眼を潰《つぶ》されて、おれを恨んでいるだろう。おれはよいが、為七だとて、見つかったら徒事《ただごと》ではすむまい。見たところ、しかるべき身分のある侍らしかった。これから先、おれと為七を見つけ出そうとして、このあたりを探りまわるかも知れない」 「へ……」  喜兵衛夫婦は息をのみ、青ざめ、顔を見合せ、 「そりゃ大変だ。いったい、どうしたらよろしゅうございましょう?」 「しばらくは外へ出ぬこと。おれもそうする」 「はい、はい……」 「それから先のことは、また別に考えればよい。当分は、為七を外へ出すな」 「わかりましてございます。そういたします」  喜兵衛夫婦が帰ってから、友之助は寝床を敷き直し、眠ることにした。  昨夜は、何か昂奮《こうふん》して、よく眠れなかったのだ。自分が木蔭《こかげ》からねらい[#「ねらい」に傍点]を定めて投げ撃った畳針が、ねらいどおりに相手の目に突き刺さったことが、久しぶりに友之助の血を湧《わ》き立たせたようである。  友之助は、根岸流の手裏剣《しゅりけん》を修め、このほうの腕前もすばらしかったものだが、病を得てのち、一度も稽古《けいこ》をしたことがないにもかかわらず、咄嗟《とっさ》の場合に、あれだけの手練が発揮できた。それが友之助を昂奮させたのであろう。 「もし……もし、友之助さま……」  徳兵衛の声に、友之助は眠りからさめた。 「う……いま、何刻《なんどき》だ?」 「まだ日暮れ前でございますよ。下に、秋山先生がお見えで……」 「なに、御師《おんし》が……」 「はい」 「ここを、早く片づけてくれ。おれは下へ……」 「はい、はい」  息をはずませながら、植村友之助が階下へ降りて行くと、茶店の土間から、恩師・秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]と共に笑いかけてきた。 「友之助。久しいな」 「はい」  両手をつかえ、友之助は、われ知らず泪《なみだ》ぐんでいる。  この日の朝。秋山小兵衛は、ふと、おもいたち、おはるを連れて町駕籠《まちかご》で雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の鬼子母神《きしもじん》へ参詣《さんけい》をし、その帰途、予定どおりに、かつての愛弟子《まなでし》・植村友之助を見舞ったのであった。  二階へ落ち着いてから、小兵衛が、 「友之助。小遣をやろう」  金二両を紙に包んで友之助の前へ置き、にっこりとして、 「鰻《うなぎ》でも、お食べ」 「かたじけなく……」  友之助は金包みを押しいただいた。 「ときに、な……」 「はい?」 「むり[#「むり」に傍点]にとはいわぬが、ちょいと、たのみがあるのじゃ」 「何なりと、お申しつけ下さい。この一命、いつにてもお役に立てます」 「これ、大仰《おおぎょう》なことをいうなよ」 「いいえ、まことのことです」 「お前の気持はうれしくいただいておこう。さて、そのたのみ[#「たのみ」に傍点]というのは……わしに、家を一軒、くれた人がいてな。もう、その人は亡《な》くなってしもうたのじゃが……いまさら、わしが移り住むわけにもまいらぬ。いずれ、何らかのかたちで世の中のために役立てようとおもうてはいるが、とりあえず、無人の家にしておくわけにもいかぬ。人が住まぬ家は、たちまちに腐ってしまうのでな。そこで友之助。お前、しばらく、その家に住んでくれぬか」 「は……」  そのとき、植村友之助の脳裡《のうり》に閃《ひらめ》いたものがある。  すぐに、友之助はこたえた。 「私でよろしければ、よろこんで、御留守居をさせていただきます。それにつきまして先生。いま一人、私と同居させていただきたい者がございますが、よろしいでしょうか?」 「ほう……好きな女ができたと見える」 「あれ、ほんとに……」  と、おはる。 「いえ、ちがいます。女ではございません。鈍牛《のろうし》のような男でございます。よろしいでしょうか?」 「ああ、かまわぬよ」      二 〔金貸し幸右衛門《こうえもん》〕の事件で、四谷《よつや》の弥七《やしち》に協力してくれた上野北大門町の御用聞き文蔵《ぶんぞう》の家へ、 「いなさるかえ?」  ぶらりと立ち寄ったのは、これも、御用聞きをつとめている富五郎《とみごろう》という男で、本郷・菊坂町《きくざかまち》に住んでいるところから、 「菊坂の親分」  などと、土地《ところ》の人びとはよんでいるそうな。五十を一つ二つ越えた富五郎は温厚な人柄で、土地の評判もよかった。 「久しぶりだな、菊坂の」 「お前さんも達者で何よりだ」  菊坂の富五郎は、御徒町《おかちまち》まで用事があったついでに、文蔵の家へ寄ったのだといい、文蔵との間には、格別あらたまった用事もないように見えた。  茶のみばなしをして、間もなく、富五郎は菊坂へ帰って行ったのである。  そのあとで、文蔵は女房にこういった。 「今日の菊坂[#「菊坂」に傍点]は、すこし変だ。妙に塩辛い顔をしていたが、何か困ったことでも起ったのかな……?」 「尋《き》いてみなすったのかえ?」 「いいや、向うからいい出さねえものを、こっちが立ち入ることはねえ。いずれ、御用の筋のことなんだろうが……」  同じ、お上《かみ》の御用をつとめているだけに、交際《つきあい》はあったが、文蔵にとっては、四谷の弥七ほどに親しくはない菊坂の富五郎であった。  文蔵の家を出た富五郎は、むずかしい顔つきになり、不忍池《しのばずのいけ》のほとりにある〔松桂庵《しょうけいあん》〕という蕎麦《そば》屋へ入り、酒をたのんだ。  この日は、秋山小兵衛が大塚に愛弟子《まなでし》の植村|友之助《とものすけ》を訪ねてから七日目にあたる。 (さて、どうしたものか……)  盃《さかずき》を嘗《な》めながら、富五郎はためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いた。  文蔵には、 「前を通ったから寄ったのだ」  そういったが、実は、たのみ事があって、わざわざ文蔵を訪ねて来たのだ。  だが、そのたのみ事を、ついにいい出せぬまま、帰途についた自分を、いま、富五郎はあらためて見つめている。 (どうにも、こいつは気のすすまねえ仕事……)  だったからである。  文蔵へのたのみ[#「たのみ」に傍点]というのは、大塚の久保町《くぼちょう》に住む、これも御用聞きの藤兵衛《とうべえ》へ、添え状(紹介状の手紙)を書いてもらうことであった。  自分は、藤兵衛との面識がなく、文蔵が藤兵衛と親しいことを知っていたからだ。  しかし、添え状をたのむからには、一応、その理由を文蔵に語らなければならない。  それが、菊坂の富五郎には、ためらわれた。いい出しかねた。  事情は、こうである。  富五郎の家からも程近い小石川の上富坂に大きな屋敷を構える五千石の大身旗本・小堀信濃守利氏《こぼりしなののかみとしうじ》のもとへ、かねてから富五郎は出入りをゆるされていた。  小堀のような大身旗本が、日ごろ、富五郎のような御用聞きに手当をあたえておくのは、何か自分の家に内密の異変でも起ったときに役立てようとするからだ。  大名の藩邸でも、町奉行所の与力《よりき》や同心を出入りさせ、これに手当をあたえ、いざというときの便利にそなえておく。  藩邸の場合は、なんといっても将軍ひざもとの江戸府内のことで、本国は江戸からはなれたところにあるのだから、異常事態が起ったとき、自由がきかない。  そうしたときに、幕府の町奉行所の警吏が相談に乗ってくれれば、 「何よりのこと……」  なのだ。  だから、手当といっても相当の金《もの》を出している。  将軍と幕府の家臣である旗本には、その必要もないといってしまえばそれまでだが、ちかごろは、御用聞きの一人二人を出入りさせておくと、 「便利である」  という事件が、ひそかに起っているからこそ、富五郎のような御用聞きもいることになる。  四谷の弥七や、北大門の文蔵なぞは、どこの屋敷へも出入りをしていない。  菊坂の富五郎は、小堀家から年に二十両の手当をもらっている。  この金高は、当時の庶民一家族が二年間を暮すことを得るほどのものであって、ばか[#「ばか」に傍点]にはならない。  それはつまり、富五郎が、自分のために骨身を惜しまずにはたらいてくれる手先を二人、一年の間、面倒を見ることができることになる。  御用聞きが奉行所からもらう手当はわずかなもので、とても手先を使って探偵《たんてい》活動ができるものではない。四谷の弥七のように、女房が料理茶屋を経営していれば、なんとかやって行けようが、どこの御用聞きでも、何かしら余分の収入を得なくては、お上の御用もつとまらぬのだ。  だから、十手《じって》の威光を見せつけ、蔭《かげ》へまわれば道に外れたあくどい[#「あくどい」に傍点]ことをして金をつかんでいる御用聞きも少なくない。そして、そういう御用聞きほど、手柄も多い。  富五郎のように、大身旗本への出入りを二つ三つもっている男のほうが、むしろ、御用聞きとしては、 (まじめなほうだ)  四谷の弥七などは、そうおもっている。  ところで、四日前のことだが……。  菊坂の富五郎は、小堀屋敷から呼び出しを受けた。  すぐに、上富坂の小堀家へ出向くと、用人・三浦又左衛門《みうらまたざえもん》があらわれ、人ばらいをして、先《ま》ず、富五郎へ、 「他言無用」  と、釘《くぎ》を刺した。  三浦用人がいうには、小堀信濃守の長男で、二十一歳になる右京利久《うきょうとしひさ》が、三日前に家来をつれて王子権現《おうじごんげん》へ参詣《さんけい》に出た帰り途《みち》、大塚の本伝寺の近くで、 「無法者に、乱暴をされた」  とのことだ。  このため、右京の左眼は、完全に、 「失明をしてしまった」  というのである。  容易ならぬことだ。  それならば、すぐに、お上へ届け出て、すぐさま犯人を探し出すべきなのを、出入りの御用聞きをひそかに呼びつけ、これに探索を命じるというのは、それなりの理由があるからだろう。  用人・三浦又左衛門は、犯人が二人か三人で、その中の一人だけは顔も姿もわかっているから、ともかく、その男だけを探し出してもらいたい。その男は、 「智恵《ちえ》の足りぬ大人《おとな》で、体は大きいが、ろく[#「ろく」に傍点]に口もきけぬ魯鈍《ろどん》な奴《やつ》である。近くに住む百姓か、または町家の奉公人やも知れぬ。うす[#「うす」に傍点]汚ない風体《ふうてい》の男じゃ」  と、いった。  それ以上のことは、あまり、くわしく語らぬ。  富五郎も強《し》いて尋ねなかった。  いずれにせよ、跡つぎである右京が暴行を受けた一件を、小堀家では公《おおやけ》のものとしたくないのだ。世間に知れては困るのだ。だれにもわからぬうちに犯人たちを見つけ出し、ひそかに葬《ほうむ》ってしまいたいのだ。  小堀右京について、富五郎の耳へ入ってくるうわさ[#「うわさ」に傍点]は、よいものではない。 (片眼《かため》を潰《つぶ》されたというが、右京様は、そんな仕返しをされるような悪いことをなすったのだろう)  と、富五郎は察知した。  しかし、手当をもらって出入りをしているだけに、引き受けぬわけにはまいらぬ。 「急いで、たのむ」 「はい」 「このような事件《こと》が起ったときにそなえて、お前を出入りさせておいたのだ。わかっておるな」  そういわれては一言もない。 「承知いたしました」  引き受けて帰って来たが、どうも、気が乗らない。  去年の秋に、小堀右京が、つまらぬことで癇癪《かんしゃく》を立て、屋敷の小者を手討ちにかけたことも、富五郎は知っていた。  その右京の片眼を潰した男に、むしろ、拍手を送ってやりたいのが富五郎の本心なのだ。  右京には悪い取り巻きがいて、市中へつれ出しては、よからぬことを右京に教えこんだりするらしい。  いずれにせよ、右京の片眼を潰した者の口から、このことが世間へ洩《も》れては小堀家にとって一大事である。  大身旗本の跡つぎが、みだりに市中をうろついたあげく、名も知れぬ者に辱《はずか》しめを受けたとあっては、五千石の家柄《いえがら》に傷もつこうし、まかり間ちがえば幕府から叱責《しっせき》されかねない。  そこで、密命が富五郎に下ったのだ。  北大門の文蔵を通じて、大塚の藤兵衛に探索をたのめば、おそらく、その智恵の足りない大男は見つけ出されるにちがいない。  けれども、文蔵や藤兵衛が、気もちよく引き受けてくれるか、どうかだ。  二人とも、富五郎のたのみには、かならず疑問を抱《いだ》くにちがいない。  突っこまれて反問されたら、こっちは、相手を納得させるだけの説明ができない。  なぜなら、小堀家では、くわしい事情を……それも真実を、富五郎につたえていないからである。 (こうなったら、だれの手も借りず、おれが大塚へ行き、そっと探し出すよりほかに道はねえ)  酒の味も、蕎麦《そば》の味もわからぬままに、富五郎は松桂庵を出た。  どんよりと曇った午後である。  桜花《はな》が咲くまでには、まだ、一月《ひとつき》に近い日にちがあるというのに、気味がわるいほど暖かく、歩いているうち、妙に汗ばんでくるのが却《かえ》って富五郎の気分を重くした。  湯島の切通《きりどお》しをのぼりはじめた富五郎が、吸い込まれるように湯島天神の境内へ入り、拝殿の前へ額《ぬか》ずいたのも、落ち着かぬ気持を鎮《しず》めたかったのであろうか。  その富五郎の肩へ、うしろから手を置いた者がある。  おもわず、ぎくりとなって振り向いた富五郎へ、 「久しぶりだな」  と、杖《つえ》をついた植村友之助が笑いかけた。      三  十五年ほど前の夏の夕暮れどきに、菊坂の富五郎《とみごろう》は、二人の殺人犯を千駄《せんだ》ヶ谷《や》の畑地まで尾行し、途中で気づかれて取り囲まれ、危うく殺害されようとしたことがある。  そのときに、当時は、まだ元気だった植村|友之助《とものすけ》が通りかかり、富五郎の危急を救い、二人の無頼者を捕えてくれた。  このところ半年ほど、 「すっかり、御無沙汰《ごぶさた》をしてしまいまして……」  友之助を見舞っていない富五郎だったが、年に何度かは、手みやげをたずさえ、かならず、波切《なみきり》不動前の茶店へあらわれている。 「先生。よくまあ、大塚から、こんなところまで……お体によろしいのでございますか?」  と、おどろく富五郎へ、友之助が、 「いまな、おれは、この近くに住んでいるのだよ」 「では、波切不動の茶店を引き払ってでございますか?」 「まあ、そんなところだ。当分はな……」 「それは、すこしも存じませんでございました。申しわけもございません」 「いや、なになに……」  手を振った友之助が、 「親分。顔色がすぐれぬようだな?」 「いえ、別に……」 「何か、こみ入った事件《こと》でも起ったのか?」 「え……まあ、そんなところで……」 「これから、何処へ行く?」 「菊坂へ帰りますんで……」 「それなら、ちょいと寄って行かぬか、おれの隠れ家へ……」 「な、何でございますって……?」 「何が、どうした?」 「いま、隠れ家とおっしゃいました」 「あ、そうか……まあ、そんなところだ。植村友之助も、こんな体になってしまっては、どうにもならぬ。何かにつけて大事をとるようになってしまった……」 「いったい、何が起ったのでございます。お聞かせ下さいまし。こんなときに、いくらかでも先生のお役に立てれば、富五郎、こんなうれしいことはございません」  口先だけではない。  富五郎の面《おもて》には熱誠があふれている。 「いや、さほど大仰に考えることもないのかも知れないのだ。ま、とにかく寄って行かないか」 「はい。それでは、お供をいたします」  友之助の身辺に、何か不穏《ふおん》があると看《み》た富五郎は、一時《いっとき》、これまでの憂鬱《ゆううつ》を忘れてしまった。  杖《つえ》をひいて歩む植村友之助に寄り添うようにして、富五郎は湯島天神の境内を出た。  二人は中坂を東へ下った。  右側が幕府|小普請《こぶしん》方の組屋敷。左側が同朋町《どうぼうちょう》の町家である。  太田屋治助という扇屋の横道を入った突当りの、門構えの家の前へ来て、友之助が、 「親分。此処《ここ》だ」 「こりゃあ、どうも、立派なお宅で……」 「いまのおれが住むような家ではないのだがね。おれの剣術の師匠・秋山小兵衛先生から留守居番をたのまれてな」  まだ、会ったことはないが、富五郎は小兵衛のことを、友之助を通じて知っている。 「なあんだ、そうだったのでございますか。隠れ家なぞとおっしゃるから、いいかげん、心配をしてしまいました」 「いや、留守居番をよいことに、隠れているのだ。秋山先生には内密にしてあるのだが……」  萱《かや》ぶき屋根の腕木門《うでぎもん》の扉《とびら》は閉ざされていたが、 「おい……おい、為七《ためしち》。いま帰ったぞ」  友之助が声をかけ、潜戸《くぐりど》を三つ叩《たた》くと、門の内側に人の気配がして、潜戸が開いた。 「お帰り」  大きな体の四十男が、あどけない表情で、友之助へ笑いかけるのを見た瞬間に、 (あっ……)  菊坂《きくざか》の富五郎の脳裡《のうり》へ、電光のごとく閃《ひらめ》いたものがある。  そこは、御用聞きを二十何年もやっている富五郎であった。  大塚《おおつか》の波切不動門前に住んでいた植村友之助が、愚鈍の大男と共に、ちかごろ大塚から[#「大塚から」に傍点]、この湯島同朋町へ移り、隠れ住んでいる。  この事と、小堀|信濃守《しなののかみ》の用人から聞かされた事とが一つになって富五郎の胸に納得できた。  用人は、犯人のうちの一人は、 「智恵《ちえ》の足りぬ大人で、体は大きいが、ろくに口もきけぬ魯鈍《ろどん》な奴《やつ》……」  と、いったではないか。  面を伏せ、友之助のうしろから門の内へ入って行く菊坂の富五郎の脳裡をかすめたものが、もう一つある。  十五年前の、あのとき……。  兇漢《きょうかん》二人の短刀《あいくち》を前に、ほとんど絶望していた富五郎を助けるため、植村友之助は小柄《こづか》を投げ撃った。  脇差《わきざし》の鞘《さや》に差し込んであった小柄は手裏剣ではなく、刀の飾りでもあるし、髪をなでつけたり、紙を切ったりすることもできる。  その小柄が夕闇《ゆうやみ》を切り裂いて疾《はし》って来て、兇漢の一人の耳の穴へぐさり[#「ぐさり」に傍点]と突き刺さったのである。  おどろいた兇漢たちが、富五郎を刺すのを忘れた一瞬、友之助が駆け寄って、たちまちに二人を叩き伏せたのだ。 (そうか……植村先生の小柄に、小堀の若殿が片眼《かため》を突き刺されたのか……)  このことであった。      四  この日、菊坂の富五郎が我が家へ帰ったのは、夜に入ってからである。  出て行くときにくらべて、見ちがえるような明るい顔になっている富五郎を見て、女房のお吉《きち》は安心をした。御用の筋のことは女房の耳へ入れぬ富五郎であったが、お吉は、すぐに夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を出し、 「何か、いいことがあったようですね?」  おもわずいうと、富五郎が、 「そうか……迷いの雲が吹っ切れたのだろうよ」 「迷いの雲、ですって?」 「肚《はら》が決ったということさ」 「それなら、いいけれど……」  十年前に、一人きりの男の子を病で失っている富五郎夫婦なのだ。  富五郎は、湯島天神境内で植村|友之助《とものすけ》に出合い、同朋町《どうぼうちょう》の家へ案内されたことを女房には洩《も》らさなかった。  そして、友之助が為七《ためしち》の危急を救ったことを、 「親分にはなすのなら安心だ」  と、包み隠さず語ってくれたことも、自分の胸ひとつにたたんでおいた。  友之助のはなしを聞けば、あきらかに、小堀右京《こぼりうきょう》の片眼を突き刺したのは、友之助の畳針にちがいない。  そうとわかったからには、 (植村先生のことを、口が裂けても、小堀屋敷へは洩らすまい)  と、肚が決まり、むしろ、富五郎はさっぱりとした。 「お吉。小堀様から、お呼び出しはなかったか?」 「いいえ。今日は、別に……」  昨日は、呼び出しを受けて、三浦用人から、 「お前が探って見れば、わからぬはずがない。いったい、何をしているのだ」  富五郎は、きびしく叱責《しっせき》された。  夜ふけて、寝床《とこ》へ入ってから、富五郎の胸には新たな不安がきざしはじめ、それが、たちまちに大きくひろがってきて、彼の眠りを奪った。 (いつまでも、このままにしておくわけにはいかねえ)  のである。  小堀屋敷への出入りを、さしとめられることは覚悟をしているが、小堀家が他《ほか》の者へ手を廻《まわ》し、大塚方面への探索にかかれば、植村友之助と為七の行方《ゆくえ》を突きとめることなど、さして、むずかしくはないようにおもわれた。 (先生は、あの波切不動前の茶店の爺《じい》さんへ、行先を告げなすったのだろうか?)  先《ま》ず、そのことが気がかりだ。  もし、そうだとすると、事情を知らぬ茶店の老爺《ろうや》は、探りに来た者へ、うっかりと友之助の行先を教えてしまいかねない。為七のことから友之助の存在へ探りの手が伸びることは、充分にあり得ることだ。  大塚の、あの辺で、為七のような男の存在を、 (知らねえ者はねえ……)  はずなのである。  翌朝。  富五郎は、女房へ、 「ちょいと、出かけて来る」  いつものような一言を投げて、家を出た。何も知らずに友之助を見舞いに来たということにして、それとなく、茶店の老爺に当ってみるつもりだ。老爺は富五郎をよく知っている。 (あの爺《とっ》つぁんが、先生の居所をおれにも、教えてくれねえようなら、先ず大丈夫だ)  先ず、それをたしかめたい。  富五郎は今朝まで、そのことをおもい悩んでいたのだが、こうなれば、長年出入りをさせてもらっていた小堀信濃守《こぼりしなののかみ》を裏切っても、命の恩人である植村友之助に、 (恩返しをするのが、人の道だ)  と、おもいはじめていたのだ。  つまり、小堀屋敷の人びとが血眼《ちまなこ》になって、友之助と為七を探しまわっていることを友之助へ知らせてやりたい。まだ、はっきりと決心をかためたわけではないが、もしそうすれば、友之助の用心が一つの的にしぼられる。したがって、 (あの先生のことだ。きっと、いい智恵《ちえ》が浮んで来て、もっと安心な場所へ、お隠れなさるだろう)  このことであった。  こうして、大塚の波切不動へ出向いた富五郎なのだが、日が暮れても、夜がふけても、そして翌朝になっても、菊坂の我が家へ帰って来なかったのである。  女房のお吉は、亭主《ていしゅ》の御役目が御役目だし、前にも、こうしたことがなかったわけでもないので、さらに一日、待った。この間に、富五郎が使っている手先たちにも問い合せたが、要領を得ない。  日が暮れて、また、朝が来た。  お吉も、さすがにたまりかねた。  三日前、出て行くときに、 「北大門の文蔵《ぶんぞう》のところへ行って来る」  と、富五郎がいっていたのをおもい出し、お吉は、 (何か、文蔵さんといっしょの御用をつとめているのかも知れない……)  女ながら、そこは御用聞きの女房だけに、おもいつくと矢も楯《たて》もたまらなくなり、手先の庄太郎《しょうたろう》をつれて、文蔵の家へ駆けつけて行った。 「妙だな……」  文蔵も、くび[#「くび」に傍点]をかしげた。  富五郎の手先たちは交替で、毎日、親分の家へ連絡《つなぎ》に顔を見せるのだが、ここ数日は、富五郎が「いまのところ、用はねえ」といい、そのくせ一人で、何やらむずかしい顔つきで考え込んでいたり、ふらりと出て行ったりしていたと聞いて、文蔵も(そういえば、おれのところへ寄ったときも、何だか屈託のある様子だったっけ……)と、おもい当ったのである。 「お内儀《かみ》さん。私もね、菊坂とは、これで親しい間柄《あいだがら》だ。この稼業[#「この稼業」に傍点]は、たがいに手柄を争ったり、縄張《なわば》りのこともあって、なかなか打ち解けねえものだが、それだけに菊坂のことが気にかかってならねえ。ようござんす。私もひとつ、ちから[#「ちから」に傍点]になりましょうよ……なぞといっていて、案外、お内儀さん。家《うち》へ帰ると、富さん帰っているかも知れませんぜ」 「そんなことなら、いいんですけれど……」  そこへ、 「ごめんなさいよ。親分はいなさるかね?」  と、あらわれたのは、四谷《よつや》の弥七《やしち》であった。  弥七は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅を訪れる途中、これこそ格別の用事もなく、文蔵の家へ立ち寄ったのだ。      五  弥七《やしち》は、間もなく、文蔵宅を辞去した。  富五郎《とみごろう》の女房と文蔵との間に、何やら、こみ入ったはなしがあるらしいと、看《み》てとったからである。  しかし、文蔵が、 「なあ、弥七どん。菊坂の富さんが一昨日《おととい》から、家へ帰って来ねえのだ」  そういったので、ひととおりのはなしは聞いた。  富五郎とのつきあい[#「つきあい」に傍点]はない弥七だけに、 (おれが、よけいな口出しをしては、却《かえ》っていけない)  そうおもって、文蔵には「帰りに、もう一度、寄るから……」と、ささやいた。文蔵は「そうしてくれ」と、こたえた。  四谷《よつや》の弥七は、そのまま小兵衛の隠宅へ行き、女房にたのまれた蛤《はまぐり》の籠《かご》を台所へ運び、小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]をよろこばせた。  それから、小兵衛の酒の相手をするうち、 「どうも、世の中が物騒になっていけません。此処《ここ》へ来る途中、通りかかったもので、御用聞きの文蔵のところへ、ちょいと顔を出しましたら、私ども同様、お上の御用をつとめる菊坂の富五郎という男が……」  と、問わず語りに、小兵衛へはなした。 「ふうむ……その、富五郎という名に、わしは聞きおぼえがあるぞ」 「何でございますって……?」 「ほれ、いま、湯島天神下の家へ入れてある植村友之助《うえむらとものすけ》の知り合いじゃよ、たしか……」  弥七と友之助は、いわば旧秋山道場の同門である。  今度は小兵衛が、友之助と富五郎の関係について語りはじめた。 「なるほど……」 「弥七。お前は何と看るな?」 「前後の様子を照らし合せてみると、こいつは、ただの行方知れずではないとおもいます。第一、自分の手先たちには何もいわずに姿を消してしまったというのが、どうも、おもしろくありません」 「ふうむ……」 「大《おお》先生。これから天神下へ行き、このことを植村さんにつたえておきましょうか?」 「そうしておくれか?」 「はい。ついでに、もう一度、文蔵のところへ寄って、その後のはなしを聞いてまいります。いえ何、夜になっても、かならず、こちらへもどってまいりますよ」 「お前の女房が心配せぬかえ?」 「なあに、私はいつも行先だけは傘《かさ》屋の徳次郎へ告げてありますんで」 「そうか、それならよいが……」  弥七は、すぐに隠宅を飛び出して行った。  空は、どんよりと曇っている。  おはるが昼餉《ひるげ》の膳《ぜん》を運んで来て、 「あら、何か空で鳴っていますよ。まさか、雷じゃあないでしょうね?」 「春雷《はるがみなり》というやつさ」 「ほんとう?」 「うむ……」  浮かぬ顔で、小兵衛は箸《はし》を把《と》った。  何となく、いや[#「いや」に傍点]な予感がした。  何故《なぜ》かと問われれば、小兵衛にも実は、その予感の正体がわからないのである。  四谷の弥七が、湯島天神下へ着いたのは八ツごろであったろうか……。  武家屋敷に囲まれた道を折れ曲って、中坂の下の方から同朋町《どうぼうちょう》へ入り、扇屋の横道へ足を踏み入れたとたんに、 (おや……?)  弥七は、妙な気がした。  横道の突当りの、旧金貸し幸右衛門《こうえもん》宅の前に、剣客《けんかく》ふうの侍がひとり、佇《たたず》んでいるのを見たからだ。  すると、その侍が、近づいて行く弥七の気配を知って、くるり[#「くるり」に傍点]と向き直り、弥七とすれちがい、同朋町の道へ出て行ったのである。侍は一度も弥七の顔を見なかった。  弥七としては、それがどうも、気に入らなかった。  この横道の突当りは、幸右衛門宅のみで、他に家はない。 「おお、四谷の親分か。よく来てくれた」  弥七が潜戸《くぐりど》を叩《たた》くと、植村友之助が戸を開けてくれた。 「親分はねえでしょう、植村さん」 「なあに、そのとおりだもの。照れることは少しもない」 「意地の悪いことをおっしゃる」 「ま、あがってくれ」  弥七は、友之助と為七《ためしち》が大塚《おおつか》から引っ越して来た晩に、小兵衛と共にこれを迎え、酒をのんだので、為七の顔も見知っていた。 「ときに、植村さん……」  と、弥七は先《ま》ず、菊坂《きくざか》の富五郎のことを語った。  植村友之助の顔色が、少し変った。 「それでは弥七。富五郎はおれと天神境内で出合った翌朝に家を出たまま、帰って来ないというわけか……」 「植村さんが富五郎と出合った……?」 「さよう」  今度は、友之助が語った。 「ここへ案内をしたときは、何やら浮かぬ顔だったが、しだいに元気を取りもどして帰って行った。何か、むずかしい御用の筋でもあるのだろうと、そうおもっていたのだが……」 「なるほど……」  叩きつけるように、雨が落ちてきはじめた。 「植村さん……」 「え……?」 「妙なことをうかがいますが……」 「うん。何だね?」 「先刻《さっき》、私が、この横町へ入って来ると、この家の門の前に、剣術つかいのような侍が一人、立っていたのですがね」  すると、あきらかに植村友之助の面《おもて》が緊迫した。  台所の方で、為七が、ふとい声で何やら唄《うた》っている。唄なのだろうが、節も言葉も、まったくわかりかねるしろものであった。 「どうなさいました?」 「う……」 「心当りが、おありになる……?」 「さて……よくはわからぬが、その侍は、この家をうかがっていたというのかね?」 「そうとしかおもえませんでしたよ」 「ふうむ……」 「そうだとしたら、心当りが……」 「ないことも、ない」 「いったい、そりゃあ……?」 「秋山先生に、つまらぬ御心配をかけてはとおもい、このこと[#「このこと」に傍点]はおつたえしていなかったのだが……」  いいさして、友之助が、 「為七……為七。此処へ来い」  台所にいる大男を呼ぶと、 「アイヨウ」  奇妙な返事がして、のっそりと、為七が部屋へ入って来た。 「これ、為七。お前は、私がいないときに、どこへも出て行かなかったろうな?」 「行った」 「何……どこへ行った?」 「てんじんさまへ、おまいりに行った」 「天神様へ、何度行った?」  為七は、手指を二本、出して見せた。 「ふうむ。そこを、だれかに見られたものか……?」  友之助が腕をこまぬいた。 「植村さん。私に、はなして下さいませんかね。実は、大先生も、私がもどるのを待っておいでなので……」 「秋山先生が、このことを御存知なのか。そんなはずはない」 「いえ、菊坂の富五郎のことを、気にかけておいでなので」 「こうなったら、お前に聞いてもらうよりほかはないだろうな」  落ちついた手つきで、弥七と自分の茶をいれ替えながら、傍《そば》で鼻の穴を穿《ほじ》っている為七を見やり、 「おれは、どうでもよいのだが、こやつが可哀相《かわいそう》なのでな……」  つぶやくように、友之助がいった。      六  大男の為七《ためしち》は、やはり、 「見られていた……」  のである。  それは一昨日のことだ。  植村|友之助《とものすけ》が、小石川七軒町の薬種屋へ持薬を取りに出かけた留守中、退屈でたまらなくなった為七は、湯島天神境内へ出かけて、切り立った男坂の石段を二度も三度も上ったり下りたりした。まるで、子供が遊んでいるようなものだ。  そこを、見られた。  見たのは、為七が木立の中へ連れ込まれ、殺されようとしたとき、小堀右京《こぼりうきょう》につきそっていた総髪の剣客である。  この男は、市木典馬《いちきてんま》といい、湯島からも程近い山本町代地に中条流の剣術道場を構えている。  五年ほど前に小さな道場をひらいたのだが、場所もよし、市木典馬も相当な遣手《つかいて》だし、教え方もうまいというので、旗本の子弟に門人が多い。  小堀右京も、その一人なのだ。  市木は、為七を見かけたとき、 (斬《き》ってしまおう……)  かと、おもったが、しかし、小堀右京の片眼《かため》を潰《つぶ》したのは、この愚鈍な大男ではない。 (そやつの居所を、つきとめるまでは……)  おもい直して、為七の後をつけ、同朋町《どうぼうちょう》の家をつきとめた。  それから、昨日今日と、道場に寄宿している剣客たちに命じ、見張りをさせたところ、為七のほかには、 「杖《つえ》をひいた、弱々しげな浪人|体《てい》の男がひとり。そのほかには人も住んでいないようです」  とのことだ。  ところが、今日は、 「御用聞きの風体をした男が訪ねて来て、日暮れになってから帰って行きました。その後で、急に、何やら戸締りをきびしくしたようです」 「その御用聞きの後をつけたのか?」 「いや、先生。拙者ひとりで見張りをしていたものですから……」 「うむ。そうか……そうだったな」  旅まわりの剣客が、いま三人ほど、市木道場に転げ込んでいる。 「よし。おぬしはすこしやすめ」  市木典馬は、別の一人を見張りに出し、もう一人に、 「小堀屋敷へ行き、御足労ながら、御用人に道場へ来ていただきたいと申せ」 「心得た」  小やみになった雨の中を、二人の剣客が道場を出て走り去った。  一刻《いっとき》後に……。  小堀屋敷から用人・三浦又左衛門《みうらまたざえもん》が市木道場へ到着し、市木典馬の居間へあらわれた。  市木道場は、五年前にくらべると三倍の大きさになっている。となりの空地を借り受け、立派に改築をした。  その金を出してくれたのが、小堀右京の父・信濃守利氏《しなののかみとしうじ》だそうな。  そのかわり、右京は市木典馬から切紙《きりかみ》(最初の免許状)をもらっている。むろん、それだけの腕はないが、信濃守利氏は、ほんとうに息子の剣術が上達したとおもい、大よろこびであった。  このように市木典馬は、まだ四十にもならぬのに、剣客としての世わたりが、なかなか巧妙なのだ。 「市木先生。若殿の御目を傷つけたる曲者《くせもの》はあらわれましたかな」 「御用人。実は……」  と、市木が今日の始末を語り、 「かくなっては、もはや、見張りをつづけることもなりますまい」 「御用聞きが、何で……?」 「さて、わかりませぬ」 「御用聞きといえば、富五郎の口を封じてもらえましたろうな?」 「ぬかり[#「ぬかり」に傍点]はござらぬ。もはや、この世[#「この世」に傍点]の者ではないとおもわれたい」 「結構。気の毒をしたが、あの男の口から、小堀家の失態が世間へ洩《も》れては、な……」 「いかにも」 「先生にも、責任《せめ》を負うていただかねばなりませぬぞ」 「承知している」 「それで……?」 「その、杖をひいている、弱々しげな浪人でござるが……」 「ふむ、ふむ……」 「体が利《き》かずとも、畳針を投げ撃つことはできる」 「それ[#「それ」に傍点]じゃ、先生」 「昨日、その浪人が買物に出かけるのを、拙者、そっと見かけましたが、足どりは弱々しくとも、体の構えは、まさに武芸者と看《み》ました」 「なるほど、なるほど」 「おそらく病を患《わずら》ったのではないか、と……それにしても、大塚から湯島まで、身を移したというのは、やはり、われわれのことを用心しているからにほかならぬ」 「だが、その御用聞きというのが、どうもわからぬ」 「しかし、長引かせると、世間へ洩れるおそれがあります。明日の明け方に打ち入り、二人を討ち取ってしまったほうがよいとおもわれる」 「ふうむ……殿様は、そやつどもを捕え、屋敷内において、嬲《なぶ》り殺しにしてやりたいほどじゃ、と、おおせられてな」 「いや、ごもっともですが、それは、いささかむずかしい」 「では、市木先生におまかせいたそうか」 「心得た。門人の手を借りるわけにはまいりませぬ。私をふくめて四人。それで充分なれど、あと三、四人、あの家を取り囲み、見張りをする人手がほしい」 「よろしい。では、すぐに……殿様と若殿に、このことをおつたえしてまいる」 「よろしければ、折り返し、道場へ……」 「明け方、といわれたな?」 「空が白まぬうちにです。夜の闇《やみ》にまぎれて逃げられてはならぬ。こうしたことは明け方に、一気にやってのけるのが、もっともよいのです」 「よし。相わかった」  三浦用人は、町駕籠《まちかご》をよんでもらい、すぐさま小堀屋敷へ引き返して行った。      七  翌日の未明。  暁闇《ぎょうあん》にまぎれ、同朋町《どうぼうちょう》の扇屋・太田屋治助方の横道へ入って来た同勢は、市木|典馬《てんま》以下三名の剣客と、小堀|信濃守《しなののかみ》の家来五名の合わせて八名で、いずれも覆面をしている。  ところが、件《くだん》の家を見張っているはずの、剣客が何処《どこ》にもいない。 「田口……おい、田口……」  声をひそめて呼んだが、姿を見せぬ。 「どうしたのでしょうな、田口は……」 「うむ……」  市木典馬も、とっさに判断がつきかねた。  水の底にでもいるようなあかつきの闇《やみ》である。  その闇が、うす[#「うす」に傍点]紙を剥《は》ぐように明るみを増してきつつある。 「よし。かまわぬ。打ち込もう!!」  市木は決断を下した。  用意の梯子《はしご》が板塀《いたべい》へかけられ、剣客の一人が塀を乗り越え、内側から潜戸《くぐりど》を開けようとして身を屈《かが》めたとき、植込みの蔭《かげ》から走り出た男が、棍棒《こんぼう》を揮《ふる》ってそやつ[#「そやつ」に傍点]のくびすじを強打した。  秋山大治郎である。 「むうん……」  わずかに呻《うめ》いて昏倒《こんとう》した剣客を、待ち構えていた四谷《よつや》の弥七《やしち》が庭の方へ引き擦り込んだ。 「どうした?」 「おい……?」  門の外から呼びかける刺客《しかく》たちの背後から、 「そこで、何をしている?」  と、声がかかった。  愕然《がくぜん》と振り向いた刺客たちの目は、横道へ入って来る白髪頭《しらがあたま》の、小さな老人の姿をみとめた。  秋山小兵衛である。 「おのれたちは、盗賊だな?」  軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、両刀をたばさんだ小兵衛が、ゆっくりと歩み寄りつつ、 「将軍家|御膝元《おひざもと》を騒がす無頼の者どもめ。奉行所へ引きわたしてくれるぞ」  と、いった。 「斬《き》れ!!」  たまりかねて、市木典馬が叫んだ。  同時に、身を低めつつ走り寄った小兵衛の腰間《ようかん》から、藤原国助《ふじわらくにすけ》二尺三寸一分の銘刀が疾《はし》り、 「うわ……」  小堀家の家来が一人、ざっくりと太股《ふともも》を切り割られ、地にのめった。 「うぬ!!」  巾《はば》二|間《けん》の横道が、門の前で十坪ほどにひろがっている。  そこにあつまっていたやつどもが、いっせいに抜刀したとき、潜戸を開けた秋山大治郎が飛び出して来て、物もいわずに棍棒を揮った。 「あっ……」 「むう……」  たちまちに二人、門前へ転倒する。 「退《の》け、退けい!!」  市木典馬は残る三名と共に、横道を駆けぬけて逃げるつもりになった。  逃げるには、先《ま》ず、目の前の小さな老人を斬って殪《たお》さねばならぬ。 「おのれ!!」  典馬は大刀を下段につけたまま、一気に間合いをせばめた。  するすると退《さが》る小兵衛。  背後からは大治郎がせまる。  はさみ打ちだ。 「ぎゃっ……」  と、また一人、大治郎の棍棒を鳩尾《みずおち》に突き込まれて倒れた。  典馬は焦《あせ》った。  大刀をだらり[#「だらり」に傍点]と提げたまま後退して行く小兵衛の恐ろしさを、たしかめる余裕《ゆとり》もなく、 「たあっ!!」  得意の、激烈な突きの一手。  小兵衛の胸もと目がけて突き入れたが、ふわりとかわされた。 「ぬ!!」  刀を引き、小脇《こわき》にそばめつつ、必殺の一刀をかわした敵を追いもとめる市木典馬の視線が、うしろから逃げようとする小堀の家来二人に体を打ち当てられ、ぐらりと揺れた。  瞬間、市木は自分の右腕に火がついたかとおもった。  痛みではない。焼けるような激しい衝撃であった。  大刀をつかんだ市木典馬の右腕は肘《ひじ》の下から小兵衛の一刀に切断され、彼の肉体から飛び離れ、土の上へ転がっていたのである。      ○  この事件は、当然、明るみに出た。  老中・田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》の指令もあって、幕府の評定所《ひょうじょうしょ》は、植村友之助《うえむらとものすけ》と為七《ためしち》はもちろん、小堀信濃守|父子《おやこ》から秋山小兵衛、弥七、文蔵《ぶんぞう》まで呼び出し、厳格な詮議《せんぎ》をおこなった。  友之助と為七を抹殺《まっさつ》せんとした刺客八名の襲撃は、秋山父子によって破砕されたが、いずれも死んではいない。  捕えられた彼らの自白が、すべてを決した。  市木典馬の自白によって、彼らが尾行し、殺害した菊坂《きくざか》の富五郎《とみごろう》の遺体は、千駄木《せんだぎ》坂下の百姓地の雑木林に埋められてあることがわかった。  市木典馬が、湯島天神境内で為七を見かけ、その所在をつきとめたからには、わずかながら事情を知る富五郎をも、 「生かしてはおけぬ……」  という小堀家の、五千石の体面を傷つけまいとする陰険きわまる策略が、ここにあきらかとなった。  もしも、富五郎が為七や友之助の所在を探り出し、これを小堀家へ告げたとしても、やはり、抹殺されたにちがいない。 「さて、どのような裁決が下るか……これは見ものじゃな」  と、秋山小兵衛が植村友之助にいった。  こちらは、友之助にも為七にも、 「おかまいなし」  の裁決が下り、為七は大塚《おおつか》の兄のもとへ帰り、以前のように汗水をながしつつ、喜々として立ちはたらいているらしい。 「それにしても、友之助」 「はい」 「お前が、畳針を投げつけたとはなあ……」 「恐れ入ります」 「いや、さすがは友之助じゃ。師匠としてうれしい」 「かたじけなく……」 「どうじゃ。これからも、湯島の家の留守居をしてくれるか?」 「私で、よろしければ……」 「たのむ。今度のことは、直接《じか》にではないが、亡《な》き富五郎が、お前の一命を救うてくれたのじゃ。富五郎が、お前に受けた恩義を忘れねばこそ、わしの耳へも富五郎の名が聞えた。なればこそ、富五郎が行方《ゆくえ》知れずとなったことを、いち早く、お前に知らせてやろうとおもい、四谷の弥七をさし向けた。それがよかった」 「はい。さもなくば、私も為七も、あの連中の餌食《えじき》となっておりましたろう」 「これから、富五郎の女房を見舞いに行くといったな」 「はい。ずっと、寝込んでおりますとか……」 「これを持って行っておあげ。見舞金じゃ。金五十両ある」 「えっ……せ、先生。このような大金を……」 「まさか、わしが盗みもすまいよ。その金はな、前に湯島の家に住んでいて、いまは亡き浅野|幸右衛門《こうえもん》という年寄りが、このようなときにつかってくれといい遺《のこ》し、わしにあずけた金じゃよ」 「さようでございましたか……」 「それに、もう一つ……」  いいさした小兵衛が、鬱金《うこん》木綿に包んだ小さな物を、友之助の前へ置いた。 「先生。これは……?」 「開けてごらん」  ひらいてみると、古びた畳針が一つ。 「あっ、先生……」 「むかし、わしが紙を綴《と》じるに使《つこ》うていたものよ。見おぼえがあろう」 「は、はい」 「お前にあげよう。ごほうびじゃ」 「せ、先生……」  植村友之助は、変哲もない畳針を押しいただいた。  切長の彼の両眼《りょうめ》が、うるみかかるのへ、秋山小兵衛がやさしくうなずいて見せ、 「湯島の家でゆっくりと、これまで、お前が生きて通って来た道の景色を書きしたためて見るがよい。その一枚々々を綴じる畳針じゃ」 「かたじけのうございます」 「友之助……」 「はい?」 「真《まこと》の師弟というものは、よいものじゃのう」     道場破り      一  三冬《みふゆ》は、庭を掃《は》く手をとめ、朝空をわたって行く引鶴《ひきづる》の群れを見送っていた。  見も知らぬ寒い異国からわたって来る鶴は、秋の末に日本の空へあらわれ、翌年の早春に西北をさして飛び帰る。  この帰る鶴を、引鶴とよぶのだ。  引鶴を見れば、 (もはや、春……)  なのである。 「ああ……」  何《なに》とも知らず、三冬は深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いた。  根岸にある和泉屋《いずみや》の寮に、一昨日から夫の秋山大治郎《あきやまだいじろう》と泊っている三冬であった。  三冬の生母の兄にあたる和泉屋|吉右衛門《きちえもん》の寮には、いまだに、老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》が留守居をしている。  独身のころの三冬が、田沼《たぬま》屋敷へ滞留していて、寮へ帰らぬ日がつづくと、嘉助は、よく、上野山下の五条天神門前にある和泉屋を訪ねては、 「すっかり、お嬢さまに嫌《きら》われてしまいました」  などと、零《こぼ》したものだが、いまは人妻となった三冬へ、 「たま[#「たま」に傍点]には、お帰りなすって下さいまし」  ともいえぬ。  しかし、和泉屋へ出かけては、老いの身のさびしさをうったえることに変りはなく、それが、大治郎夫婦の耳へ入ったので、 「よし。私も、いっしょに泊りに行こう」  大治郎のほうから、そういい出してくれた。  一昨日から、嘉助は、うれしさのあまり、夢中で二人をもてなしている。  裏の井戸端で、大治郎が体をふいているらしい水音が聞えはじめた。  三冬は、庭を掃くことも忘れ、顔を赤らめ、庭の一隅《いちぐう》へ屈《かが》み込んでしまった。  そして、凝《じっ》と目を閉じている。  昨夜のことをおもい返すと、はずかしさに居たたまれぬほどであった。  奥の間で、大治郎と床をならべて身を横たえたが、どうしたわけか、眠《ね》つけない。  夫の、すこやかな寝息がこもる闇《やみ》の中で、三冬はおもいもかけぬ烈《はげ》しい衝動が体の奥底からつきあげてきて、口中が乾き、あたまに血がのぼり、どうにも耐え切れなくなってしまった。  その息苦しさと悩ましさが、何も彼《か》も三冬に忘れさせた。  三冬は、夫の寝床へ身を入れ、あえぎを高めながら、夫の胸元を押しひろげ、厚い胸肌《むなはだ》へ顔を押しつけ、夫の香《こうば》しいにおいを吸いこみ、くちびるで夫の肌をまさぐっていたのである。 「み、三冬……」  目ざめた大治郎が、おどろいて、 「どうした?」 「ああ……」 「三冬どの……」  三冬は大治郎のくびすじを双手《もろて》に巻きしめ、身をもむ。 「私を……私を……」 「三冬どの。嘉助がいます」  この一言で、三冬は我に返った。  一間をへだてた向うの小部屋に、嘉助が眠っている。  合わせて三部屋だけの寮なのだ。 (なんという、はしたないまねをしてしまったのだろう、私は……)  体をふいた大治郎に向い合って、嘉助が仕度してくれた朝の膳《ぜん》についたときも、夫と眼が合うと、三冬はうつ向いてしまった。 「今日は、本銀町《ほんしろがねちょう》の間宮道場へ寄り、それから田沼様御屋敷の稽古《けいこ》をすませ、橋場《はしば》へ帰ります」  と、大治郎がいった。 「はい」  と、三冬。 「もう、お帰りになるのでございますか?」  と、嘉助。 「いや、嘉助さん。これからは月に一度、かならず泊りに来させてもらう。どうだね」 「さようでございますか、まことでございますね?」 「まことだ」 「よかったね、爺《じい》や」 「はい、はい」  飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年……いや、彼は元服をし、すでに前髪を落している。これからは少年とよぶのはやめにしよう。彼は一昨日から、橋場の秋山道場へ泊りこみ、留守居をしてくれている。  いつものように、塗笠《ぬりがさ》を手に出て行く夫を外の道まで見送りに出た三冬へ、大治郎がささやいた。 「三冬どの。今夜は、また、二人きりになれる」 「はい」  こたえたが、ほとんど声にならなかった。 「では、行ってまいる」 「お気をつけられて……」 「うむ」  そのころ……。  和泉屋の寮とは目と鼻の先の、金杉《かなすぎ》村|新田《しんでん》の外れにある小屋の中から、あかじみた中年男がひとりあらわれた。  小屋の傍《そば》に、小さな稲荷《いなり》の祠《ほこら》があり、この男のつとめ[#「つとめ」に傍点]は稲荷の祠の清掃であった。  つまり、祠をまもることを条件に、男が小屋に住むことを、金杉新田の百姓町屋がゆるしているのだ。  今朝は、柄糸《つかいと》も解《ほつ》れ、鞘《さや》の色も剥《は》げた大刀一つを腰に帯しているところを見ると、この男は浪人なのであろうか。ふだんは刀なぞ腰にしてはいない。蓬髪《ほうはつ》をむぞうさに後ろへ束ねて紐《ひも》で結び、つぎはぎだらけの着物の裾《すそ》を端折《はしょ》り、それでもこまめ[#「こまめ」に傍点]に稲荷の祠の掃除をしている。  その姿を、嘉助も何度か見ていた。  男の名を、 「鷲巣見平助《わしすみへいすけ》」  と、いう。  もっとも、このあたりでは彼のことを、 「稲荷の先生」  と、よんでいる。 「先生」とよばれるのは、彼が小屋の中で、いつも倦《う》むこともなく、読書をしているからであろう。  では学問を好むのか、というと、そうでもないらしい。  彼が今朝、小屋を立ち出《い》でたのは、 「久しぶりで……」  剣術の道場破りをしようと、おもいたったからだ。  今日だけではない。明日も、明後日も、やるつもりでいる。 「ほんに、久しぶりのことよ」  小屋を出たとき、鷲巣見平助はつぶやいた。  よれよれの袴《はかま》をつけたのも、久しぶりのことだ。  昨日いちにち、市中を歩きまわり、目ざす道場を三つ四つ、見つけておいた。  今日は先《ま》ず、日本橋本銀町四丁目にある無外流・間宮孫七郎の道場を破るつもりである。  そこは、いま、秋山大治郎が訪れようとしている道場であった。  大治郎が坂本の通りから、上野の山を右手にのぞみつつ、下谷《したや》車坂へ出たとき、鷲巣見平助は八町(約八百七十メートル)をへだてて、同じ通りへあらわれていた。      二  間宮孫七郎は当年五十二歳で、秋山|小兵衛《こへえ》の亡師・辻平右衛門直正《つじへいえもんなおまさ》に無外流をまなんだ。  ゆえに、小兵衛とは同門というわけだ。辻平右衛門が麹町《こうじまち》の道場を閉じ、山城《やましろ》の大原《おはら》の里へ隠棲《いんせい》したのち、小兵衛が四谷《よつや》仲町に自分の道場をひらいたとき、間宮は二年ほど、小兵衛の代稽古《だいげいこ》をつとめ、のちに独立をした。  小兵衛は、四谷の道場を閉じて鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ引きこもった折、わが門人たちの大半を、間宮孫七郎へ依託した。 「間宮は、いうところの名人でも豪傑でもないが、人柄《ひとがら》は、まことに立派なものじゃ。また教え方が巧妙で、それぞれの門人の性質をよく看《み》ぬき、その特徴を生かした剣客《けんかく》に仕立てあげる。気の短いわしなどには、とてもとても、あのまね[#「まね」に傍点]はできぬよ」  などと、秋山小兵衛は間宮孫七郎の人格を非常に高く、 「買っている」  のである。  こういうわけで、大治郎も幼少のころから間宮を知っていたし、江戸へ帰って来てからは父の使いで道場を訪ねもし、間宮もまた、何くれとなく大治郎のことを心配してくれる。  何しろ、自分の道場で稽古をする門人といっては飯田粂太郎《いいだくめたろう》のみの大治郎であったから、間宮は自分の門人を大治郎へまわしてくれようとした。  ところが、いずれも間宮の手許《てもと》をはなれたがらないのだ。これを見ても、間宮がいかに門人たちの敬慕を受けているかが知れよう。  近ごろは大治郎も田沼|意次《おきつぐ》邸内に設けられた道場をまかされるようになり、間宮はそのことを我が事のように、よろこんでくれている。  秋山大治郎が、今日、間宮道場へ立ち寄ると三冬《みふゆ》にいったのは、数日前に、間宮から手紙が来て、 「先日、ふと、おもい立ち、枇杷《びわ》の木で木太刀《きだち》をつくってみたら、大治郎殿にちょうどよいものができたので、通りがかりにお立ち寄り願いたい」  と、いってよこしたのだ。  それならば、手紙をとどけに来た門人に、その木刀《ぼくとう》を持たせてよこせばよいのだが、大治郎に自分が手わたしたいのは、大治郎の顔を久しぶりに見たいからなのであろう。  間宮孫七郎は妻女との間にむすめ[#「むすめ」に傍点]を一人もうけているが、すでに嫁いでいる。  このため、大治郎のことを自分の息子のように、 「おもっている……」  と、古い門人のひとりに洩《も》らしたことがあるそうな。  大治郎が間宮道場へ到着すると、門人たちが二十坪の道場にあふれ、稽古をはじめている。  間宮孫七郎は道場の見所《けんぞ》に端座し、稽古を見まもっていた。  その傍《そば》へ来て、 「突然に、うかがいまして……」  大治郎が挨拶《あいさつ》をするや、 「おお。ようまいられた」  間宮は顔中を笑みくずし、 「新世帯《しんじょたい》はいかが?」 「はあ。いえ、別に……」 「小兵衛殿にお変りはないか?」 「おかげをもって、すこやかにしております」 「それは何より。では、向うへまいろう」  間宮が、大治郎を奥の居間へ誘《いざな》おうとして片膝《かたひざ》を立てたときであった。  道場の出入口に、ざわめきが起った。  鷲巣見《わしすみ》平助があらわれて、 「自分は無外流の鷲巣見平助と申す。間宮先生に、一手の御指南にあずかりたい」  と、申し入れたからだ。  鷲巣見の風体《ふうてい》から見ても、これは、あきらかに、 「道場破り」  と、門人たちは看たし、事実、そのとおりなのだ。  いま、ここにいる門人の中では、もっとも上位の酒井録郎《さかいろくろう》が出て行き、やんわりと断わったが、平助は一向に肯《き》き入れぬ。  これが他流の者ならば、断固として承知せぬところだが、同じ無外流の剣客の申し込みだけに、酒井は、 「では、お待ちを……」  と、いい、まだ見所にいた間宮へ報告をして、 「いかが、取りはからいましょうか?」 「同流の申し入れならば、無下《むげ》には断われまい。どのような人か?」 「むさ苦しい風体をしておりますが、徒者《ただもの》ではないようにおもわれます」 「ふうむ……それならば尚更《なおさら》に断われまい。よし、道場へお通しするがよい」 「はい」  すぐに、鷲巣見平助が入って来た。  先ず、二人の門人が平助の相手をすることになった。  その二人は、あまりにも呆気《あっけ》なく、平助の木刀を受けて退く。  立ちあがるや否《いな》や、電光のごとき平助の一撃が襲いかかり、有無をいわせなかった。  たちまち、道場が緊迫に包まれ、水を打ったようになる。 「酒井。出て見よ」  間宮孫七郎の声が、重おもしい。  高弟の酒井録郎は木刀をひっさげて道場の中央へ出た。大治郎にくらべても負《ひ》けはとらぬほどの堂々たる体格の酒井である。  この酒井の木刀が鷲巣見平助の木刀に巻き込まれて、 「たあっ!!」  はじめて発した平助の気合声もろとも、巻き落されたときには、声にならぬどよめき[#「どよめき」に傍点]が道場にみなぎりわたった。  間宮孫七郎の、ふとい眉毛《まゆげ》がぴくり[#「ぴくり」に傍点]と動いた。  こうなれば、間宮が出るよりほかにない。  だが、 「間宮さんは勝てまい」  と、大治郎は看た。  間宮が負ければ、道場の玄関に掛けてある〔無外流・間宮孫七郎道場〕と認《したた》めた看板を平助が外してしまっても文句はいえぬ。  それでは、今後の間宮道場の存在は江戸の剣術界において、 「無きも同様……」  のことになろう。  むろん、鷲巣見も、それを承知で乗り込んで来た。  看板よりも金がほしいのは、こちらにもわかっている。  だから、奥へ招じ入れ、先ず金五両から十両ほどを包んでわたし、帰ってもらうのがもっともよい。  けれども、間宮孫七郎は、闘って負ければ、 (いさぎよく、道場を閉じるにちがいない)  と、大治郎はおもった。  鷲巣見平助は道場に端座し、 「間宮先生に、御指南を」  と、見所に向って呼びかけた。  間宮が顔色も変えずにうなずき、腰をあげかけた、そのときであった。  大治郎が見所から道場へ下り、 「私が、お相手いたします」 「御門人か?」 「さよう。秋山大治郎と申します」 「ふむ……」  すこし、平助の表情がうごいたようだ。もしやすると、秋山小兵衛の名を知っていたのであろうか……。 「では……」  と、平助がうなずいた。  刀の下緒《さげお》を外して襷《たすき》にかける大治郎へ、酒井録郎が木刀をえらんで手わたした。  間宮孫七郎は落ちつきはらって、この様子をながめていたし、酒井をはじめ門人たちも、この異常事態によって道場の格整《かくせい》が乱れることをおそれ、つとめて昂奮《こうふん》を抑えている。  秋山小兵衛がいう間宮の立派な人格は、つまり、こうしたところにあらわれているといえよう。  それにしても、これは、門人たちにとっておもいもかけぬ見物《みもの》になったといってよい。  秋山大治郎が木刀を左手に、不敵な道場破りの男と相対して、礼をかわしたときには、どの門人の顔にも、ねっとりと汗が浮き出してきた。  汗ばんでいないのは、見所の間宮孫七郎のみであった。      三  立ちあがって、ゆるりとはなれた両者の間合《まあい》は約三|間《げん》である。  中肉中背の、均整のとれた鷲巣見《わしすみ》平助の体が、やや斜めに秋山大治郎へ相対し、構えは八双《はっそう》。  大治郎は木刀を中段につけ、濃い眉《まゆ》の下の切長の両眼《りょうめ》に光が凝っている。闘志満々と平助に立ち向った酒井録郎とはちがい、大治郎の静かな姿勢は、むしろ平助の一刀をさそいこもうとしているかのようだ。 「むう……」  低く唸《うな》った平助が八双につけた木刀を脇構《わきがま》えに転じて、一歩、二歩とせまる。  大治郎は、うごかぬ。  どちらかといえば童顔で、平常は円《つぶ》らな鷲巣見平助の両眼が活と見ひらかれている。  酒井と立ち合ったときの平助とは、あきらかにちがっていた。無精髭《ぶしょうひげ》に埋まった顔が真赤になり、早くもねっとり[#「ねっとり」に傍点]と汗が浮いて、 「や、やあ!!」  脇構えのまま、渾身《こんしん》の気力をあつめて大胆にも肉薄した平助が、間合を一|間《けん》に詰めたかと見えた転瞬、我からぱっと飛び下り、木刀を下段に移した。  この間《かん》、大治郎の足と体は、微動だにしなかった。 (無外流といったが、この人の剣法は独自のものだ)  と、大治郎は看《み》た。  肉薄したが、こちらが動じなかったのを見るや、平助は飛び退《さが》って下段につけた。それを見て、 (突いて来る……)  と、感じた瞬間、大治郎が、わずかに左足《さそく》を引き、腰を沈めた。  その大治郎の動きに乗じて、 「鋭!!」  気合声を発した鷲巣見平助が、木刀を下段につけたまま突進しつつ、 「たあっ!!」  一気に剣尖《けんせん》を垂直に伸ばし、大治郎の喉元《のどもと》を目がけて突き入れた。  猛烈きわまる突きの一手であった。  大治郎の体がくるり[#「くるり」に傍点]とまわった。  一瞬、 (突かれた……?)  と、見ている人びとの目には映ったやも知れぬ。  二人の体が、もつれ合ったようになり、道場の床板を踏み鳴らしつつ、見所《けんぞ》の前まで移行し、そこで左右に飛びはなれたとき、 「う……」  鷲巣見平助が片ひざをつき、頭をたれた。  大治郎は腰を沈め、木刀を正眼半身《せいがんはんみ》に構えている。 「まいった」  平助の、いさぎよい声がした。 「恐れ入りました」  と、右腕を差しあげて見せた平助が、 「打たれたというより、たしかに切られた。すっ[#「すっ」に傍点]と切られた。ありがたい。これなら、今日のうちに、いま一つ、別の道場へ出向けましょう」 「これから、また?」  と、大治郎。さすがに息がはずんでいる。 「さよう。急に、金が要ります」 「まことに失礼だが、私にできる金高ならば、御用立いたそう」 「いや、おかまいなく」  木刀を門人に返し、鷲巣見平助が、 「秋山大治郎殿」 「はい」 「もしや……秋山小兵衛先生に、関《かか》わり合いがござるのか?」 「父を、御存知でしたか」 「あ、御子息……」 「はい」 「いや、父上の御高名のみ、耳にしていたまでのこと」  と、今度は見所にいる間宮孫七郎へ、 「間宮先生。御無礼いたしました。ごめん」  一礼するや、さっさと身を返し、道場から出て行った。  大治郎と平助の問答を呆気《あっけ》にとられて聞いていた門人たちは、まだ、茫然《ぼうぜん》としている。  大治郎が間宮孫七郎に一礼し、間宮の後から見所を引きあげて行く姿を見送ったとき、門人たちの口から、いっせいに称讃《しょうさん》のどよめきがわき起った。 「秋山先生の太刀筋には、おどろいたな」 「相手の腕を打ったのではない」 「音もなく、切ったという……」 「あの鷲巣見|某《なにがし》にもおどろいたな」 「いかがです、酒井殿……」 「さよう」  うなずいた酒井録郎が、 「よい修行をさせてもらった」  素直にいった。  大治郎は居間へ通され、間宮が手づくりの木太刀を受けた。  長さは柄《つか》をふくめて三尺二寸。無反《むぞり》で、わずかに刀身は丸棟《まるむね》のかたちに削ってあるが、ほとんど刀の形をなしてはいない。  だが、両手に握りしめて見て、 「これは……」  大治郎の目が、かがやいた。 「いかが?」 「かたじけなく……」 「気に入られたか?」 「はい。何よりでございます」 「それはよかった」  はじめて、間宮孫七郎の顔に微笑が生れ、 「それにしても、よう、なされた」 「いえ……」 「わしが出たら、負けていたろう。礼を申さねばならぬ」 「いや……」  強く、大治郎がかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って、 「真剣ならば、わかりませぬ」 「ほう……」 「あの鷲巣見平助という仁《じん》。殺意を抱いて立ち向ったら、それは恐ろしいとおもいます」 「ふむ……」 「それにしても、あのような剣客《けんかく》が、まだまだ、この世に隠れ棲《す》んでいるのですなあ……」 「そのことよ」  この日。  間宮道場を出た鷲巣見平助は、他《ほか》に道場を二つまわった。  そして、金十両を得て、金杉新田《かなすぎしんでん》の小屋へ帰って来た。 (あと、四十両ほどは欲しい)  粥《かゆ》を煮て、その上へ生卵を一つ割り落し、これを食べ終えてのち、いったん飯茶碗《めしぢゃわん》を洗い、それから冷酒をなみなみと汲《く》み入れ、ゆっくりとのみはじめた。 「あんな男が、江戸にいたのか……」  平助のつぶやきが洩《も》れた。 「秋山、大治郎……」  これも、つぶやきである。  そのとき、平助の両眼が閉じられ、深いためいき[#「ためいき」に傍点]が吐かれた。 (秋山大治郎と、真剣で立ち合ってみたいものだ)  この声は、声にならなかった。  声は、ずっしりと、平助の肚《はら》の底へ沈んだ。  夜が更《ふ》けた。  浅草の橋場《はしば》の外れにある我が家に帰った大治郎と三冬《みふゆ》は、すでに眠っている。  大治郎の腕の中へ、三冬は身を差し入れ、すやすやと寝息をたてていた。  大治郎の両眼は閉じられているが、眠ってはいない。  脳裡《のうり》に、鷲巣見平助の顔、体、太刀先《たちさき》が浮いては消え、消えては浮ぶのだ。  金杉新田の小屋でも、平助は眠っていない。  小屋の中の闇《やみ》を、平助は見つめつづけている。  七ツ(午前四時)ごろ、平助は身を起し、日に一度、飯茶碗に一杯ときめてある酒を、たてつづけに二杯もあおった。      四  鷲巣見《わしすみ》平助は、両親の顔も知らぬ。  物心がついたときには、美濃《みの》の国・揖斐《いび》郡の春日《かすが》という山村の小さな寺にいた。  平助の姓名は、その寺の和尚《おしょう》がつけたものである。  和尚がいうには、 「香六《こうろく》村の木樵《きこり》が、伊吹山《いぶきやま》の山中で、お前を見つけたのじゃ。よいかな、よう聞けよ。その木樵が、山道を歩いていると、高い樹《き》の上で赤子の泣声が聞えたので不審におもい、樹に登って見ると、そこに鷲《わし》の巣が在ったという。  よく見ると、その巣の中の鷲の子にまじって一人の赤子が泣き叫んでいた。これが、すなわち、お前なのじゃ。いや、嘘《うそ》ではない。真《まこと》のことよ。  おもうに、その大鷲が何処《いずこ》からか、赤子のお前を引き攫《さら》い、わが巣へ連れ帰ったと……ま、そう看《み》るよりほかに仕方はあるまい。しかも、どう看ても、武士の家に生れた子じゃ。身につけていたものを見れば、それがようわかった。ほれ、これが、そのとき、お前が着ていたものよ。大切に仕舞《しも》うておけ。  さ、そこでな。木樵が、お前を鷲の巣から下ろし、この寺へ連れてまいったので、わしは、村里の女房たちの乳を借り、お前を養いながら、手をつくして、美濃から近江《おうみ》、果ては京・大坂まで、お前の親たちを探しまわったが、いっかな知れなんだわい。  いまは、お前も十歳になった。この寺の小坊主《こぼうず》でおるのもよかろうが、ひとつ、おもい切って、この寺を出て、お前のちからで両親を探して見てはどうじゃ」  鷲巣見平助という仮の姓名を、和尚がつけてくれたのも、そのときであった。  子供心にも苦しみ、悩んできた疑問が、ここに解けたといってよい。  小坊主の平助を村の子たちが、 「鷲の子や、鷲の子や」  と、ささやき合うのを耳にするたび、平助は何ともいえぬ気持がしたものであった。  そして、十四歳の夏を迎えたとき、平助は山寺と和尚に別れを告げ、和尚は、美濃・近江・京都を中心にして、平助が身を寄せるべき知人へ添状《そえじょう》を十五通も書いてくれた。  京都の東洞院《ひがしのとういん》五条下ルところに中条流の道場を構えていた青山忠兵衛《あおやまちゅうべえ》も、その一人であった。  平助の剣法は、先《ま》ず、この青山忠兵衛によって、 「ひとかど[#「ひとかど」に傍点]のもの」  と、なり得たのだ。  鷲巣見平助は、道場破りの第一日目に訪れた間宮道場で、見所《けんぞ》にいる間宮孫七郎を見て、先ず想《おも》ったのは、すでに亡《な》き青山忠兵衛のことである。 (忠兵衛先生が、ここにも在《おわ》したか……)  顔や姿が似ているというのではない。  風格が、そっくりだ。  無言で端座している間宮孫七郎のみか、道場の雰囲気《ふんいき》も、京の青山道場そのものだったといってよい。  秋山大治郎に負けてのち訪れた、他の二つの道場なぞ、くらべものにならなかった。  春日の寺を出てから二年目に、青山道場を訪れた平助が、そのまま、五ヵ年も足をとどめてしまったのは、やはり、剣術の魅力に引き込まれるほどの天性をそなえていたからであろう。  以後の、平助が自分を鍛えるためにおこなった剣の修行について、くだくだしく書きのべるにもおよぶまい。  青山忠兵衛は、 「人の子は、天が女性《にょしょう》の腹を借りて地上に送り出すものじゃ。いまさら、両親《ふたおや》を探し出し、めぐり会《お》うたところで何になる」  と、平助にいった。  けれども平助が、 「いずれは、わしの跡をつぎ、この道場をまもってくれい」  とまでいってくれた恩師の言葉を容《い》れず、放浪の旅へ出たのは、やはり、両親を探すこころが、失《う》せていなかったからであろう。  親の顔を知らずとも、自分の出生があきらかならば、まだよい。  しかし、平助のような、鷲の巣で見つけられた赤子というだけの素姓の者にとっては、自分で自分が、 「得体の知れぬ者……」  としか感じられなくて、何やら、うす気味がわるい。  自分の心身の拠《よ》り所がなく、折にふれて不安がきざし、高まり、たよりなくてたまらなくなってくるのだ。  平助の剣は、放浪の旅によって磨《みが》きぬかれた。その剣が荒《すさ》まなかったのは、あくまでも青山忠兵衛に育てられた剣であったからだ。  青山忠兵衛は、平助が旅へ出てから十年目に亡くなり、平助がそれを知ったのは、死後の二年目に京都へあらわれたときである。  青山道場は、閉ざされていた。  忠兵衛に妻子はない。  墓は、寺町の称名寺《しょうみょうじ》にある。  ところで、いまの鷲巣見平助は、すでに両親を探しもとめる旅をやめてから年久しい。  亡き師の言葉が、近ごろの平助には、素直に、受け容れられるようになってきている。  江戸へ来て、根岸の外れの金杉新田《かなすぎしんでん》の小屋へ落ちつき、稲荷《いなり》の祠《ほこら》をまもっている生活が三年ほどつづいている平助であった。  そして、近ごろは無性に、読書がおもしろくなった。  近辺の寺から借りて来た書物を、夢中で読む。  平助の衣食なぞは、いくらもかからない。無一文になったときは、道場破りをすればよいのだ。  一つの道場を破り、金五両になるとすれば、それで、 「二年は食える」  のである。  金杉新田の人びとも、折にふれて食物を運んでくれるし、着古した衣類もとどけてくれる。 (いっそ、このまま、この小屋で朽ち果てるのもよいな)  と、平助はおもいはじめていた。  それが、いま、あわただしく道場破りを重ねなくてはならなくなった。  まとまった金が要るからだ。一日も早く、その金を送ってやりたい。  たった一人の我が子に、送ってやらねばならぬ。  その子は、平助が旅の空で、旅籠《はたご》の女中に生ませた子だ。女は五年前に病歿《びょうぼつ》している。  平助は、その間、旅の空から金を送りつづけた。  平助の子は盲人であった。  我が子は、伊勢《いせ》の桑名に暮してい、座頭となって、もみ[#「もみ」に傍点]療治をしながら、はたらいている。  名は又太郎。座頭名は又の市。年齢《とし》は二十一歳。  その若さで女房もいるし、去年、女の子が生れたそうな。  又太郎は、父親の鷲巣見平助を、こころよくおもっていない。  平助も五年ほど前に、会ったきりである。  いまは、又太郎の女房およし[#「およし」に傍点]と文通だけはしている。  今度、又太郎が重病にかかったことを知らせて来たのは、およしであった。  すでに医薬代として二十五両も借金をしているらしく、わざわざ京都から取り寄せる特種な薬の代金が大きい。  又太郎の体は、おいおい回復しつつあるが、又太郎夫婦は借金に苦しみ、たまりかねた女房が、平助へ相談の手紙を書いてよこしたのである。  鷲巣見平助は、間宮道場で秋山大治郎と闘った翌々日に、市中をまわって二つの道場を破り、金十両を得た。  さらに十日後。  平助が、道場破りで得た金は合わせて五十五両に達した。  平助は、この内の一両を自分の手許《てもと》に置き、残る五十四両を飛脚問屋を通じて、伊勢桑名の我が子又太郎の女房およし宛《あて》に送った。 (これで、よし)  である。  これで、我が子の危急は一応、避けることができたといってよい。  さいわい、病患は回復しつつあるという。  借金を返し、病後の医薬代があれば、 (気だてのやさしい女房がついていてくれることだし、又太郎のもみ[#「もみ」に傍点]療治は桑名でも評判がよいというから、これからも、何とか生きて行けるだろう)  と、おもった。  むろん、父親としてのつとめ[#「つとめ」に傍点]を、これで果せたとはおもっていない鷲巣見平助であるが、 (この上、おれが、この世[#「この世」に傍点]に生きていてもはじまるまい)  そこで、久しぶりに、身内にわきあがってきた剣術への情熱へ、自分を賭《か》けて見たいと決意するに至った。  十二日前に、平助の脳裡《のうり》の片隅《かたすみ》に浮んだ一片の想念は、しだいに重味を加え、いまや、 (ぬきさしならぬもの……)  と、なっていたのだ。 (真剣……真剣ならば、勝てるやも知れぬ!!)  このことであった。  平助が目ざす相手は、いうまでもなく、秋山大治郎である。  長い放浪の歳月のうちに、鷲巣見平助は、剣客としての果し合いを二十数度おこなっていた。いずれも真剣をもっての立ち合いで、この間に斬《き》って殪《たお》した相手は三十七人におよぶ。  平助の右|脇腹《わきばら》、左腕、左股《ひだりもも》、背中などに残る十二ヵ所の傷痕《きずあと》は、いずれも、決闘の折に受けたものだ。  木刀で立ち合うのと、生命をかけて真剣の勝負をするのとは、まったくちがう。  そのことを平助は、これまでの体験から充分にわきまえていた。  もっとも、目ざす秋山大治郎が真剣勝負に弱いと看たわけではない。  いや、むしろ、 (真剣ならば、おれは、もっと、おれのちからを出しきって闘える。そこに勝機も生じよう。剣客として、あれほどの相手に出合ったことは、これまでになかった。一期《いちご》の冥利《みょうり》に、ぜひとも真剣をもって闘ってみたい。その上で、斬り捨てられたとしても、おれはすこしも思い残すことはない……)  のである。  平助は、本銀町《ほんしろがねちょう》の間宮道場へ行き、 「秋山大治郎先生に、ゆるりとお目にかかり、いろいろとおはなしをうけたまわりたいと存じ……」  と、神妙にいい出て、大治郎の住居《すまい》を教えてもらった。  その夜。金杉新田の小屋へ帰った平助は、大治郎にあてて丁重な果し状を書きしたためた。  自分の心境を率直に吐露したつもりである。  おそらく、秋山大治郎は、こちらの申し出を拒《こば》みはすまい。  それが剣客の宿命である。  だが、万一にも、大治郎が、 「お断わりをする」  と、返事してきた場合には、いさぎよく、あきらめるつもりの鷲巣見平助であった。      五  翌日の昼前に、鷲巣見《わしすみ》平助は、橋場《はしば》の秋山大治郎道場へ姿をあらわした。  灰色の雲が重くたれこめた空に、鳶《とび》が一羽、悠々《ゆうゆう》と輪を描《か》いていた。  大治郎は飯田粂太郎《いいだくめたろう》を連れて、田沼屋敷へ稽古《けいこ》に出てい、三冬《みふゆ》がひとり、井戸端で桶《おけ》に水を汲《く》み込んでいるところへ、 「ごめん下され」  近寄って来た平助が、あくまでも礼儀正しく、 「こちらは、秋山大治郎先生の御宅でありましょうな?」 「はい」 「先生は御在宅でござろうか?」 「いま、他行中《たぎょうちゅう》でございますが……」 「失礼ですが……」 「私は、秋山が妻でございます」 「おお、これは……」  一歩|退《さが》り、あらためて一礼した平助は、懐中から件《くだん》の果し状を出し、 「では、この書状を秋山先生へ、おわたし願いとうござる」 「承知いたしました」 「私は、鷲巣見平助と申し、先般、本銀町の間宮孫七郎先生の道場で、お目にかかりました者とおつたえ下されば、おわかりのはず」 「心得ました」 「では、ごめん下され」 「おかまいもいたしませず」 「何の……」  鷲巣見平助が去って行く後姿を見送りつつ、三冬は、 (かなりの遣《つか》い手らしい……)  と、看破《かんぱ》している。  平助もまた、 (あの御家内の武芸の心得は相当なものだ。さすがに、さすがに……)  と、おもいつつ、うしろへ垂らした髪を束ね、その先を紫縮緬《むらさきちりめん》をもって包んだ三冬の、水木結《みずきむす》びにした細目の帯、短袖《みじかそで》の小袖など、いかにも古風な姿がめずらしくもあり、美しくもおもわれて、平助は畑道を下ろうとするとき、いま一度、振り返ると、彼方《かなた》で三冬が静かに頭を下げるのが見えた。 「あ……」  あわてて礼を返し、平助は畑道を小走りに下って行った。  三冬は、根岸の寮にいる老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》から、金杉新田の稲荷《いなり》の祠《ほこら》をまもる浪人のことを聞いてはいたが、その姿を見たことはなく、名も知らなかったので、いま、眼前にあらわれた鷲巣見平助がその人[#「その人」に傍点]だとは、いささかも気づかぬ。  風体は身すぼらしくとも、 (立派な、お方のようじゃ)  と、三冬は平助を好感の目で見送ったのである。  書状の筆蹟《ひっせき》も、みごとなものであった。  夕暮れになって、秋山大治郎は一人で帰って来た。  飯田粂太郎は、母がいる下屋敷へまっすぐに戻《もど》ったそうな。 「お留守中に、鷲巣見様と申されるお方が見えました」 「わしすみ……おお、あのときの……」  大治郎は、間宮道場で、平助と立ち合ったことを三冬に語っていなかった。 「この御手紙を……」 「ほう……」  平助の手紙をわたした三冬は、台所へ行き、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかった。  ちかごろは三冬、日に日に女の業《わざ》が進歩し、食事の仕度も、どうやら自分ひとりの手で間に合うようになったと見える。  膳《ぜん》をととのえて、三冬が台所からあらわれたとき、すでに大治郎は平助の果し状を読み終え、これを巻きおさめ、ふところへ入れてしまっていた。  もとより三冬は、すこしの疑惑も抱かず、したがって、手紙の内容を問うこともしなかった。  箸《はし》を把《と》る大治郎の様子は、平常と変りない。  田沼道場での、今日の稽古の模様などを語り合いつつ、夫婦は、つつましい夕餉を終えた。 「三冬どの」 「はい?」 「明朝は、早目に外出《そとで》をします」 「はい」 「七ツに家を出たい」  三冬が、ちょっと目をみはった。  午前四時の、まだ夜の闇《やみ》が消え去らぬうちに家を出るというのだ。  ここに至って、三冬は、 (では、鷲巣見殿の書状というのは、果し状であったのか……?)  と、直感したのである。  これは三冬自身が、ひとかどの剣士だったからこそで、常の女ならば到底、気づかぬことだといえよう。  大治郎もまた、三冬の前には隠し切れぬこととおもいきわめているらしい。 「三冬どの」 「はい……?」 「先日、間宮孫七郎殿からいただいた木太刀《きだち》を持って行きます」  三冬の顔色《がんしょく》が、また、微妙に変化をした。  木刀を持参するからには、真剣の立ち合いではない、ということになるからだ。 「はい」  落ちつきを取り戻し、三冬は、しっかりとうなずいた。  三冬は、夫の勝ちを信じてうたがわなかった。      六  その日の夕暮れに……。  鷲巣見《わしすみ》平助は、いつもより、多量に酒をのんだ。  道場破りで金を得るのは、気がすすまぬことなのだが、今度は我が子の危急を救うためだったので、平助も必死であった。  易《やす》やすと金五十五両を得たのではない。危うく負けそうになった場合もあったし、その内の二つの道場は、ついに破ることができなかったのである。  それだけに、金を送ったのちの、 (おれの、父親として成すべきことは、これで終った。おれはおれなりにそうおもっている……)  その、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたおもいと、いよいよ、明日にせまった秋山大治郎との真剣勝負をひかえて、 (ぐっすりと、ねむりたい)  それもあって、つい、のみすごしたのである。  といっても、一升はのまなかったろう。  一丁の豆腐で酒をのんだあと、冷飯に白湯《さゆ》をかけまわし、沢庵《たくあん》でこれを食べ、早くも平助は五ツ(午後八時)には、ねむりに入った。  明朝の六ツ(午前六時)に、この小屋からも近い新堀《しんぼり》の里の一本松で、平助は秋山大治郎と闘うことになっている。  もっとも、大治郎があらわれぬときは、真剣の立ち合いを拒否されたとして、いさぎよく、あきらめるつもりの平助であった。  寝床に入って、どれほどねむったろうか……。  いずれにせよ、夜ふけになっていた。  突然、鷲巣見平助が、枕元《まくらもと》の大刀をつかんではね[#「はね」に傍点]起きた。  そのときは、もう、小屋が火をふきあげていたのだ。  ひそかに小屋へ近づいた曲者《くせもの》たちが、小屋へ油をかけ、火を放ったのである。  煙と炎が、いっせいに小屋を包んだ。  むろん、焼死するような平助ではなかった。  はね起きて、一気に炎の中を駆けぬけ、戸外へ走り出た。  燃えあがる小屋の炎を背にして飛び出して来た鷲巣見平助の姿は、だれの目にもあきらかであった。  その平助をとらえて、道をへだてた竹藪《たけやぶ》の中から鉄砲の音が響いた。  平助が、翻筋斗《もんどり》を打って転倒した。 「それっ……」  闇《やみ》の中からあらわれた覆面の侍が五人。  白刃《はくじん》を振りかざして倒れた平助へ駆け寄って来た。  そのとき……。  倒れていた平助が、半身を起し、片ひざを立てた。  斬《き》りかかった覆面の一人が、平助の抜き打ちに、股を切られてよろめいた。 「おのれ!!」 「まだ、死なぬぞ!!」  喚《おめ》きつつ、残る四人と、竹藪の中から新たに駆けあらわれた二人が、平助を取り囲み、 「早く、早く……」 「切れ!!」  斬りつけて来た。  また一人、平助に斬られた。  そこまでが限度であった。  即死はしなかったが、曲者が撃った弾丸《たま》は、平助の腹に命中していたのである。 「むう……」  凄《すさ》まじい形相《ぎょうそう》となって、鷲巣見平助が、曲者たちの刃《やいば》の下へ伏し倒れたとき、道の向うの金杉新田の百姓町屋で、人びとの叫び声が聞えた。  小屋の火事に、気づいたのだ。  板木《ばんぎ》が打ち鳴らされ、人びとが駆けつけて来る。 「引けい!!」  覆面の一人が叫んだ。 「もう、死んでいる。大丈夫だ」 「よし。引け、引けい」  平助に斬られて重傷を負った二人を抱えあげた曲者たちは、たちまちに、闇の中へ姿を隠してしまった。 「先生の小屋が焼けてるぞ」 「あっ……」 「何だ、どうした?」 「あそこに、打《ぶ》っ倒れていなさるは稲荷《いなり》の先生じゃねえか……?」 「えっ……」 「そうだ、先生だ」 「いけねえ。早く、早く……」  人びとが、平助のまわりへ駆けあつまって来た。  すぐに、坂本二丁目に住む外科医・川野米庵《かわのべいあん》のもとへ、人が走った。  こうして、手当をうけた鷲巣見平助は翌日まで、息が絶えなかった。  未明、三冬《みふゆ》に見送られて橋場《はしば》の家を出た秋山大治郎は、平助が指定してよこした新堀の一本松へおもむく途中、平助の小屋の前を通り、 「や……?」  瞠目《どうもく》した。  大治郎も、老僕・嘉助《かすけ》から「稲荷の先生」のうわさ[#「うわさ」に傍点]は、かねてから耳にしていた。  それが、鷲巣見平助だと知ったのは、昨夕、平助の果し状を見たからである。  異変を知った大治郎が、金杉新田の町屋へ行き、様子を聞くと、重傷の平助が、近くの荒物屋へ引き取られているという。  すぐに、そこへ行った。  平助は、まだ、死んでいなかった。  入って来た大治郎を見ると、平助の、ちから[#「ちから」に傍点]を失った双眸《そうぼう》に光が加わり、 「来て下されたか……」 「まいりました」 「かたじけない。身勝手なことを、申しあげた……」 「何の……いったい、これは?」 「いや、なに……」 「相手は何者です?」 「私が、破った道場の……」 「ふうむ……」 「私を、生かしておいたのでは、のちのち、道場の体面にかかわると、おもったのでしょうな……」  鷲巣見平助は、それから一刻《いっとき》(二時間)ほどのち、大治郎に見とられて息絶えたのである。  翌々日の朝。  飯田町の黐木坂《もちのきざか》にある一刀流・大場治右衛門《おおばじえもん》の道場へあらわれた一人の剣客《けんかく》が、 「無外流、秋山大治郎」  と、名乗って、立ち合いを申し込んだ。  大場道場は、旗本の子弟に門人が多く、なかなかに、 「流行《はや》っている……」  そうな。  わざと、かなりの時間をかけて、大治郎は大場治右衛門の高弟四人を打ち込み、見所《けんぞ》で、これを見まもっていた治右衛門へ、 「この上は、大場先生より、一手の御指南にあずかりたい」  と、いった。  大場は、六尺ゆたかの巨漢で、年齢は四十前後に見える。剣客として、もっとも脂《あぶら》が乗ったところであろう。 「秋山殿、と、申されたな……?」 「はい」 「立ち合《お》うてもよいが、その前に先《ま》ず、貴公の剣法についてうけたまわりたい。まことに見事なものだ。感服をいたした。単に無外流とのみ、いいきれぬものがある。おはなしをうけたまわろう」 「それには、およびませぬ」 「ふうむ……」 「立ち合いを拒まれますか?」 「む……」 「ならば、道場の看板を外してもよろしいか?」  がらりと、大治郎の口調が変った。  大場治右衛門の、痘痕《あばた》が浮いている顔の色が、さっと変った。  怒りに両眼《りょうめ》が血走ってきたかとおもうと、 「よろし!!」  奮然と、身仕度にかかった。  大場は、大治郎の名を聞いても、それを〔秋山小兵衛〕にむすびつけることができなかった。  放浪の剣士でありながら、小兵衛の名を知っていた亡《な》き鷲巣見平助とは、大分にちがう。  木刀をつかんで、大治郎の前へすすみ出た大場を迎え、 「では……」  一礼するや、大治郎が、 「大場殿」 「何じゃ?」 「鉄砲の御用意がなくともよろしいのか?」  この一言で、大場治右衛門が愕然《がくぜん》となった。  やはり、 (身に、おぼえがある……)  と、看《み》てよい。  大治郎は、主《あるじ》の大場が知らぬうちに、門人たちだけの一存で、鷲巣見平助を襲ったのやも知れぬと考えぬでもなかった。  息絶えるに際して、平助は大治郎に、こういいのこした。  自分が道場破りをして金五両を受け取った黐木坂の大場道場の者たちにちがいない。覆面をしてはいたが、彼らの太刀筋《たちすじ》や声、姿などにおぼえがあったし、彼らの中の一人は自分と斬り合ううちに、顔をおおっていた黒布が外れ、たしかに面体《めんてい》を見た、というのである。  このとき、道場に詰めていた門人たちは二十名ほどだったが、そのうちの三人ほどが、あわてて立ちあがり、どこかへ走り出て行った。  それには、すこしもかまわず大治郎は、間宮孫七郎手づくりの枇杷《びわ》の木太刀をひっさげたまま、 「鷲巣見《わしすみ》平助がことを、お忘れではないようですな」 「知らぬ!!」 「さ、まいられい」 「ぬ!!」  大場が、ぱっと飛びはなれ、木刀を正眼にかまえた……いや、かまえかけた、と、いったほうがよいだろう。  かまえる間もなく、大治郎が木刀をひっさげたまま、つかつか[#「つかつか」に傍点]と恐れげもなく、まるで無防備に見える姿勢で近寄って来たので、大場は正眼《せいがん》にかまえた木刀を急に振りかぶった。  大治郎の体が、 「隙《すき》だらけ……」  に、見えたからであった。  だらりと木刀を下げたままで、急速に接近して来る大治郎の脳天を目がけて、 「やあ!!」  大場治右衛門が、猛然と打ち込んだ。 「やった!!」  と、だれの目も、その一撃の成果をうたがわなかったろう。  だが、つぎの瞬間、大場治右衛門の体がくるくる[#「くるくる」に傍点]と独楽《こま》のようにまわって、道場の西の羽目板へ打ち当り、 「むうん……」  呻《うめ》き声を発したかとおもうと、仰向けに倒れた。  木刀をつかみしめ、倒れた大場の顔はどす[#「どす」に傍点]黒く変って、厚い唇《くち》と鼻腔《びこう》から血がふき出してきた。  すでに大場は、息が絶えている。  秋山大治郎は襷《たすき》を外し、 「私に用あらば、御老中・田沼主殿頭《たぬまとのものかみ》様御屋敷へお尋ねなさい」  と、いいはなった。  これは、田沼の威勢を誇ったのではない。  こういっておけば、門人たちが無用の復讐《ふくしゅう》をくわだてることもないとおもったからだ。  果して、この声を聞くや、騒然となりかかった門人たちが、ぴたりと静まった。  前に道場から走り出て行き、大刀を抜き放って引き返して来た三人の高弟も、大治郎の声を聞いたらしく、道場へ踏み込めなくなってしまった。  外へ出た大治郎は〔一刀流・大場治右衛門道場〕と、したためた看板を外し、これを黐木坂の道へ放《ほう》り捨てた。  道を行く人たちが、呆気《あっけ》にとられ、大治郎を見つめている。  霧のようにふりけむる雨の中を、傘《かさ》もささぬ秋山大治郎の姿が、ゆったりと、九段坂の方へ去って行った。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平  五月三日の早朝、「小説現代」のN氏から電話がかかってきた。池波正太郎先生が亡《な》くなられたという。まさかとは思わなかった。池波さんの病気が重いというのは本当だったのだ。その一週間ほど前に、池波さんに可愛《かわい》がられた編集者から、先生が悪いということを聞いていた。  連休にはいって、することもなく、私はまた『鬼平犯科帳《おにへいはんかちょう》』を読みかえしていた。読みおわったら、『剣客商売《けんかくしょうばい》』にとりかかろうと思っていた。  四月末から五月はじめにかけての連休や年末年始にこの二つのシリーズと『仕掛人《しかけにん》・藤枝梅安《ふじえだばいあん》』を私はいつも読んでいる。その理由がようやくわかりかけてきたところだった。その時期は疲れがたまって、何をする気にもならず、その疲れを癒《いや》すために、池波正太郎の作品を読んだのである。この三つのシリーズに少くとも私は力づけられ励まされてきた。  正直のところ、池波さんは私などより長生きされると信じていた。秋山小兵衛《あきやまこへえ》のように九十三歳まで生きられると思っていた。  それで、『剣客商売』の六冊目にあたる『新妻』の解説を書くのにとまどっている。『新妻』に収められた七編が書かれた昭和五十年当時、作者は元気そのものだった。その作者が書く秋山小兵衛も鬼平こと長谷川平蔵宣以《はせがわへいぞうのぶため》も元気そのもので、病気をするといっても、風邪をひくか、食べすぎて腹をこわすか、そんな程度だったのである。  鬼平も秋山小兵衛も、池波さんが食べたものを食べていた。それらの食べものはまた池波さんが料理できるものだった。池波さんはこの二人を通して、そして梅安を通して、自分を語っていたのだ。  鬼平も小兵衛もときどき死について語っている。池波さんもまたエッセーで死を語った。しかし、三人にとって死は遠い先にあるように思われた。それだけに、池波さんの死は早すぎたのである。 『新妻』は実は『剣客商売』のなかでも、私の一番好きな一冊である。秋山|大治郎《だいじろう》と佐々木三冬《ささきみふゆ》の結婚を待っていた、その読者の、私は一人だった。 『剣客商売』の一話一話が待たれた理由の一つは、大治郎と三冬がいつ結婚するかということにあった。作者も二人の恋の推移を楽しんで書いていたふし[#「ふし」に傍点]が見える。  父親である小兵衛や田沼意次《たぬまおきつぐ》はいかにも世なれた人物だが、大治郎と三冬は剣一筋に生きてきた、世間を知らぬ、微笑《ほほえ》ましいほどに初心《うぶ》なカップルである。その作者はといえば、食卓の情景ばかりか男女の機微にも通じた小説家である。  とりわけ佐々木三冬は池波さんの小説に登場する女のなかでは珍しい存在だ。たいてい「凝脂《ぎょうし》のみなぎった」女が多いのであるが、三冬は彼女たちとも、また小兵衛の妻、おはるとも対照的で、可憐《かれん》で凛々《りり》しい。  けれども、三冬が登場する一話ごとに、彼女は少しずつ変っている。「品川お匙《さじ》屋敷」では、生母の実家、和泉屋《いずみや》に颯爽《さっそう》と現われた三冬は「例のごとき若衆髷《わかしゅわげ》の男装で、紅藤色《べにふじいろ》の小袖《こそで》に茶宇縞《ちゃうじま》の袴《はかま》。四つ目|結《ゆい》の紋をつけた黒縮緬《くろちりめん》の羽織。細身の大小を腰に、絹緒の草履《ぞうり》という姿《いでたち》」である。  まさに「女武芸者」であるが、三冬が男か女かわからぬようなおもいをしていた伯父の和泉屋|吉右衛門《きちえもん》は彼女に若い女を感じる。前よりもきれいになったと吉右衛門は看《み》て、三冬の恋を知る。  いつもの三冬なら、書物問屋である伯父の家を訪れると、夕飯のさいそくをするのだが、根岸の寮(別荘)で留守居をしている老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》が淋《さび》しがっていると聞いて、上野山下から車坂の通りに出て、切り立った上野の山を左に見ながら、奥州街道《おうしゅうかいどう》へつらなる往還をすすみ、坂本二丁目と三丁目の境の小道を左に曲った。  そのあたりはかつて三冬が無頼の剣客、浅田虎次郎《あさだとらじろう》一味に襲われ、投網《とあみ》を投げかけられ、危機一髪のところを秋山小兵衛に救われた場所である。  三冬はそのころを思い出して、全身に熱い血が駆けめぐるのをおぼえる。あのこと[#「あのこと」に傍点]がなければ、秋山小兵衛を知ることもなく、ひいては大治郎と知り合うこともなかったからだ。けれども、その熱いおもいを打明けるすべを彼女は知らない。小兵衛に言わせれば、「大治郎も三冬どのも、二人そろって朴念仁《ぼくねんじん》ゆえ……」なのである。 「鷲鼻《わしばな》の武士」では、草雲雀《くさひばり》が透き通った可憐な声で鳴いていて、小兵衛の隠宅の庭の向うでは葦《あし》の群れがかすかにそよいでいたのに、佐々木三冬が根岸の寮に向うときは、夕風が冷え冷えと吹きながれていて、寺の塀《へい》の内に見える柿《かき》の木の実も色づいている。池波さんはこのように、たった一行か二行で季節を語ってきた。 「品川お匙屋敷」では大治郎と三冬が小兵衛の力を借りることなく、力を合わせて事件を解決する。といっても、三冬はとらわれの身となり、大治郎が助けにいくラヴ・ストーリーだ。  こうして、その年の十一月、二人の朴念仁はめでたく結婚する。浅草|橋場《はしば》の不二楼《ふじろう》で簡素に行われた婚礼では、「白無垢《しろむく》の綸子《りんず》の小袖に、同じ打掛。綿帽子をかぶった三冬の花嫁姿は、意次にとって、はじめて見るわがむすめの女の姿であった」  男装の麗人だった三冬の女の姿を見るのは、小兵衛や大治郎にとってもはじめてだったので、この一編を読みおわると、はらはらさせる筋立てでありながら、くすくす笑いだしたくなる。ここで恋物語は終りを告げるのであるが、「川越中納言《かわごえちゅうなごん》」で、作者はおはるに言わせている。「奇妙な夫婦ができあがったものだねえ、先生」 「川越中納言」はじつに淫靡《いんび》な事件の物語である。これだけのストーリーだったら顔をそむけたくなるところだが、作者は新妻三冬の滑稽《こっけい》なところを巧みに描いていて、それが息抜きになっている。グロテスクとユーモアをまじえた一編で、やはり池波さんは無類のストーリーテラーだったと思わないわけにいかない。  隠宅へ呼びだされた三冬が小兵衛に「一肌《ひとはだ》ぬいでいただきたいのじゃ」と言われて、「何を勘ちがい[#「勘ちがい」に傍点]したものか、顔を赤らめて、うつ向いて」しまうシーンなど、小兵衛と三冬のやりとりだから、おもしろい。三冬なら「本当に、肌をぬぐ」と思うからである。 『新妻』に収められた七編も力作ぞろいで、一編一編が時代小説の楽しさを堪能《たんのう》させてくれる。池波さんが最も快調だったころである。 『池波正太郎の銀座日記㈼』に以下のような記述があった。 「外神田《そとかんだ》の〔花ぶさ〕へ行き歌舞伎《かぶき》の中村又五郎さんと食事をする。二人とも、あまり酒をやらぬほうだが、いまの私は又五郎さんよりも、のめなくなってしまった。  又五郎さんの秋山小兵衛、加藤剛君の秋山大治郎で〔剣客商売〕を帝劇でやったのは昭和五十年だから、もう十一年たってしまったのだ。当時の又五郎さんはいまの私より若かったはずである」  これは昭和六十一年の夏の日記である。中村又五郎氏はいうまでもなく秋山小兵衛のモデルだ。 『銀座日記㈼』は昭和六十年の秋からはじまっていて、池波さんはじつにたくさんの映画を観《み》ておられる。映画と芝居と食べものの日記になっている。「〔煉瓦亭《れんがてい》〕へ行き、ロース・カツレツ。ちょっと物足りない感じだが、これくらいにしておくのがちょうどよいのだ」と食欲も旺盛《おうせい》である。  両切りのラッキーストライク一缶《ひとかん》買うなどという記述もあった。池波さんは煙草《たばこ》が好きで、いろんな煙草を喫《す》っておられた。お目にかかるたびに、煙草がちがっている。もっとも、一つに決めないのは、煙草の味がなくなったからだとあるエッセーに書いておられる。酒はあまり飲まれなかったけれども、若いころはいくら飲んでも平気だった。 『新妻』の「金貸し幸右衛門」では、秋山小兵衛は六十三歳の春を迎え、おはるは二十三歳。池波さんがこれを書かれたとき、小兵衛よりほぼ十歳年下だった。その十年後の池波さんは『銀座日記㈼』を読むかぎり、六十三歳の小兵衛のように元気である。それから四年後に亡くなられるとは思いもしないことであった。  六十七歳という年齢はけっして若くはないが、まだまだ書ける時期である。池波さんは『藤枝梅安』と『鬼平犯科帳』の連載をあとわずか残すばかりだったし、『原っぱ』の続編『居酒屋〔B・O・F〕』の連載をはじめられたばかりで、死を迎えられた。読者にとっては残念というしかない。  池波さんが亡くなられてから、女性のなかに池波ファンが意外に多いのを知って嬉《うれ》しくなった。ある若い女性は『食卓の情景』を読んで、信州まで蕎麦《そば》を食べに出かけたし、ある女性はまた『鬼平犯科帳』の熱烈なファンであり、それで、TVドラマになったこのシリーズの中村吉右衛門が好きになったという。二人ともごくごく普通の女性である。ただ、そのうちの一人は詩人の白石|公子《こうこ》さんであるが。  池波正太郎先生のお通夜《つや》のあと、私は友人と山の上ホテルに行った。山の上ホテルは池波さんが愛されたホテルであり、夏休みはここで過ごされた。山の上ホテルの天ぷら屋はもう店を閉めるところだったが、私たちを快く迎えてくれた。ここで精進落しをしたかったのである。  葬儀では中村又五郎氏が弔辞を読まれ、山口|瞳《ひとみ》氏は弔辞で、池波さんは旅をした人であり、「江戸に長|逗留《とうりゅう》された」と言われた。その「長逗留」の日記が『剣客商売』や『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』になったように思われてならない。 [#地から2字上げ](平成二年八月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十一年三月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売六〈新装版〉新妻 新潮社 平成14年11月15日 発行 平成16年2月5日 6刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第06巻.zip 涅造君VcLslACMbx 33,798,730 b6870a9b8726dbb92d5cdae951863f03296a3572 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。 90行  彼方《かなた》の大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)を行く舟の、艫《ろ》の音まで聞えてきそうな 艪・櫓・艫 この文庫シリーズでは、舟を漕ぐ道具としての「ろ」に、 艪・櫓・艫の三種の漢字が出てきます。 「艪」と「櫓」は舟を漕ぐ道具という意味があるのですが、 「艫」自体にはそういう意味がありません(広辞苑調べ)。 なので、「艪」の間違いではないかと思われます。